第68話 偽りの愛【side:幸希】

 脳内に流れ込んできたのは、おそらく、優司視点での景色。それも、ちょうど『あの日』の直後らしきもの。

 血と硝煙の臭いが鼻をつく。そんな中、ぼんやりと話し声が聞こえてくる。


「…………だから、君に託したい」


縋るような声で話すのは、悠麒さんだろうか。それに対して、


「なんで俺なんだ。大鳳や古白の方が適任じゃないのか」


不服そうに返すのは、霧玄さんだった。


「朱雀のところは娘だから、年頃の男の子とは相性が悪い。ただでさえ過敏になっている時に多感な時期の娘と合わせるな。彼が気を遣う。白虎はもう歳が歳だろう。孫息子はなかなかのやんちゃをすると聞く。善悪の区別がつかない年のやんちゃ者とは合わせられない。彼の心が死ぬ」


なんとか説得しようと言葉を必死で並べる悠麒さんだったが、霧玄さんはまだ納得しない。


「俺にはできない。手一杯なんだ。そもそも、俺に父親は向いていない。ずっと妻に頼りきりなんだぞ。それが、これ以上、しかも他所の子を預かる? 自分の子とすら上手く付き合えず必死なのに? ……無理だ、俺には」


今では考えられないような否定的な言葉の数々に、思わず絶句する。


「それは、神守家を見捨てるということか」

「……どう受け取ってくれても構わない」

「先代の息子を……現・頭首を見殺しにするというのか?」

「……」


沈黙。肯定、ということか。これを優司は目の当たりにしたのだろうか。それはあまりにも、息が詰まっただろう。


「わかった。もう、いい」


悠麒さんは深いため息をつくと、目を伏せて、静かに、そして低く言った。


「僕は、先代が命を懸けて守った子を見捨てるつもりはないよ。他人を殺してでも、この子が寿命を全うするまで守り抜く。君は明日の朝刊でも眺めていたら良いさ。すぐに無差別殺人の記事が連日上がるだろう」


悠麒さんの目は本気だった。


「そんなこと、許されると思っているのか」

「許す? おかしなことを言うね。僕は霊体に近い身体だ。加えて、本業は暗殺。僕がやった証拠は決して残らない。残さないさ。僕が犯人だと知ることができないのに、一体、誰がどうやって僕を裁くんだい?」

「優司は優しい子だ。そんなこと望まない」

「案ずるな、僕は洗脳も得意だ」


優司を抱え、悠麒さんは改めて言う。


「霧玄武瑠、君が決めろ。先代から託された、小さな子ども……主を守り、育てるか。或いは主を捨て、殺すか。後者を取るなら、僕は本気で彼を生かすよ。どんな罪も犯してやる。その覚悟が、僕にはある」


彼の言葉に、霧玄さんはしばらく考え込んだ。時々、唸り声を上げている。そして、ようやく


「……五日、いや、三日だ。三日のうちに心を決めて引き取る。から、殺人はやめろ。優司の教育に悪い」


「優司が無差別殺人なんてしたら、真司さんに地獄で合わせる顔がなくなる」と、霧玄さんは悠麒さんから優司を奪う。


「良かった。彼に殺しを教えずに済みそうで」


パッと顔を明るくして笑う悠麒さん。それを、霧玄さんは睨みつける。そして、優司へと目を向けると


「真司さんの子、か……」


柔らかな微笑みを向けた。


 ……違う、優司に対してではない。


 なんだこれ。なんだ、この感覚。優司を見ているのに優司を見ていない。優司の中の誰かを見ている。真司さんを? この時、真司さんが優司の中にいるから? それを見ている?


「あの人の自慢の、優しい、子……」


それなのに、ふと闇を秘めた目を見せる。誰に対して? 真司さん? いや、違う。この目は真司さんに対して向けたものじゃない。この目こそ、優司に向けられたものだ。優司は、彼に憎まれているのか? でも、そんなはず……


「……っ」


優司を抱く力が強くなる。痛いほどに伝わる、彼の後悔。その腕の中で、ぼんやりとわかったことがあった。


 あぁ、この人は本当に『真司』さんを慕っていたんだ。

 そして、その真司さんを置いて、生き残ってしまった優司に対しての気持ちが整理できないでいる。やるせなさと、憎しみと、慈しみ。


 確かに、これを目の当たりにしては、誰でも思ってしまうだろう。「自分はあの人の代わりなんだ」と。

 幼少期の出来事だ。今なら当時の霧玄さんの心を理解できるかもしれない。でも、運悪く、このやりとりが行われたのは悲劇の直後。この思い出も、トラウマとして、見たまま脳裏に巣食っている。


 だから、『僕を必要としてくれる人は一人もいません』なのか。信じたいのに信じられないと。実際に、見てしまったから。


 つらかったな、優司。

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