第64話 神守一門の再生④

 あの事故から、僕はまた少しずつ記憶が霧に包まれたようにぼやけていった。

 ただ、同時に体に不調が現れた。


 五感が鈍った。


 そのことを誰かに話すことはなかった。これ以上、迷惑はかけたくなかった。何より、もう二度と失いたくなかった。失望されることに、恐怖していたところもある。

 傷つけないように離れようとする度に、霧玄夫妻は僕に近づいてきた。申し訳なさで、胸が張り裂けそうになる。どれだけ拒絶しようと、彼らはお構いなしに僕の心に触れようとした。

 と、同時期くらいだろうか。悠麒さんから、僕はある事実を告げられた。


「神守一門を再建させたい。これは、我々従者五人の総意だ」


驚きはしなった。どうでも良いことだった。「そうですか」とだけ返し、後は彼に任せた。


 やはり僕がいなくても世界は回る。悠麒さんは宣言通り神守一門を再建させ、僕の前に従者全員を並べた。朱雀と白虎が見たことない人になっていたことから、代替わりしたとだと理解する。


「朱雀に新任しました、大鳳朱雀です」

「白虎に新任しました、古白虎雄です」


どちらも若く、大鳳さんに関しては僕より年下らしい。凄い人たちだ。僕と違って。


「神守家に戻るか、霧玄家に留まるか。好きな方を選んで良いよ」


悠麒さんは、元通りになった実家を見せながら言う。僕の答えは既に出ていた。


「帰ります」


これ以上、迷惑をかけたくなかったからだ。


 以降、頻繁に神守家に来客があった。



 「優司くん、今日は山に行きませんか?」


波青さんはいろいろな場所に僕を連れて行ってくれた。目に見えるもの全てが灰色に見えた。けれども、彼といる時間は嫌いじゃなかった。彼の隣は冷たいが、心地良い安心感をあることができたから。


 「優司くん、新作のフルーツタルト試食してくれない?」


大鳳さんからは、甘味の試食を頼まれることが多かった。副業で飲食店を経営する一家だからだろう。あまり味はしなかったけれど、彼女の喜ぶ顔が好きだった。無邪気な、幼い笑顔が、心に一雫、ガムシロップを落とすようで。


 「優司〜!」


古白さんは、よく、仕事帰りに僕の元へ来た。兄と同い年だからだろうか、僕を抱きしめる腕が兄と重なり、懐かしさを感じた。ほのかに、兄と同じ匂いがする。金木犀だろうか。この人といると、兄の記憶が呼び起こされる。


 「優司。今日、家に来ないか?」


霧玄さんは相変わらずだった。『養父』という枷があるからか、或いは本当に僕を息子のように可愛がってくれているのか、彼の息子であると錯覚するくらい、優しい声で名を呼ばれた。鍵をかけた思い出を、強引にこじ開けてくる。忘れたかった『家族』の温もりを、『父』の姿を、その声が忘れさせてくれなかった。


 「主」


悠麒さんは僕の隣にいてくれた。特に特別何かするわけでもなく、ただ、隣にいた。僕の身に危険が迫れば、守ってくれた。死にたいと何度願っても彼はそれを許さない。彼の必死の抵抗を見ていると、嫌でも自分の命が軽いものではないと思い知らされた。次第に考えは「ただ、死にたい」から「生きている限り、人のために尽くそう」に変わっていた。今までの罪の償いとして。


 こうして僕は元の生活に戻された。ある程度心身共に回復してからは、神守家頭首としての仕事をするようになり、みんなに助けられつつ働いている。

 今思えば、解放した従者たちが再び集まってくれたという事実は名誉だ。せっかくの自由を僕のために手放してくれたのだから。ならば、相応の行動で恩を返さなければいけない。


 彼らに恥じない主であろう。


 僕は、そう心に誓って仕事に明け暮れた。

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