第39話 変わっていく日常②

 背中を向け、去っていく舞衣さんを、僕は、追いかけることができなかった。


「追いかけないの?」


燐火にまで言われてしまえば、仕方ない。それでも足が動かなかったのだから、情けない男に違いない。追いかけなくて正解だったかもしれない。このまま、自然消滅してしまえばいい。その方が、きっと良い。


「ま、深く考えないことが長く生きるコツだ。優司に悪いところなんてないんだからさ。気にすることないよ」


甘い言葉が降り注ぐ。


「ねぇ。いっそのこと、神になってみない? 優司にはその資格がある。神になって、自由を手に入れてみないかい?」


心も体も疲弊していた僕に思考力はなかった。それが何を意味するのかもわからないまま、「少し魅力的だな」と思う自分がいた。


「やめろ。それは後で考えれば良い」


ふわりと毛布に包まれて、背後を向けば、悠麒さんの姿がそこにあった。


「あらら。残念」


ニヤニヤと笑いながら、燐火が、僕らから少し距離を取る。正確に言えば悠麒さんを警戒していたのだろう。


「でも、考えておいてよ。僕は、本気で優司を救いたいと思っている。人間に嫌気がさしたら言うんだよ? 殺してあげる」


最後の一言にゾッとする。そういえば、燐火も人間に対してはあまり好感を抱く方ではない神だった。僕との今の関係が不思議なくらいだ。


「悠麒麟児。わかっていると思うけど、僕は、お気に入りを壊されることが大っ嫌いなんだ」


燐火は去り際に悠麒さんにそう言うと、にこりと笑い、手を振りながら消えていった。

 険しい顔をした悠麒さんを見つめる。するとその視線に気がついた彼は、無理矢理に口角を上げた。


「君のことは壊させない。大丈夫、大丈夫だ」


まるで、自分に言い聞かせているような口ぶりだった。僕を包む腕に力が入っている。


「……不安ならば、試してみますか?」


彼の背中を優しく叩きながら問えば、意外にも目を大きく開き、悲しそうな顔をされた。


「確かに、神々からすれば、人の子は脆いかもしれません。しかし、あなたなら、知っているでしょう。人の子の、強さを」


彼に微笑みを向ければ、少し困ったような顔で笑われた。想いは伝わったのだろうか。


「……あぁ。君は強い。僕よりも遥かに」


聞こえるかどうかすらわからないほど微かに、悠麒さんは呆然と呟く。そして


「強いからこそ、自己犠牲を簡単に選ぶ君が、危なくて、恐ろしい」


僕の目を真っ直ぐに見て、はっきりと言った。


「君を失うことで悲しむ者がいることを、忘れないで欲しい。簡単に、身を投げないでくれ。逃げても良いから、生きて……」


あまりにも真剣な訴えに、僕は、頷くことしかできなかった。


 生温い風が、騒めいている。居心地の悪い、嫌な空気の中に、僕らは二人ぼっちだった。

 互いに、戦闘を終えて、傷つきながら。

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