序章

第0話 償い

 いつからだろう、五感が鈍ったのは。

 記憶を失って以来、少しずつ、五感が正常に働かなくなった。見るものに色がない。食べるものに味がない。あるはずの匂いを感じない。ノイズが大きくて聞こえにくい。感じたはずの痛みを感じない。僕の世界は、おかしくなってしまった。

 始めに異常に気がついたのも、僕ではない。従者である悠麒さんが指摘して、ようやく自覚した。普通、自分のことは自分が一番よく理解しているものだという。しかし、僕は『自分』という存在がよくわからなかった。

 ただ確かに言えることは、僕は家族を見殺しにした罪人であるということ。だから、こんな状態なのかもしれない。相応の罰だと思えば、悲しいことは一つもなかった。


 __なかった、はずなのに。


 解放したはずの従者たちが、何故か再び集結した。一番、『自由』を求めていたはずの悠麒さんは、「一緒に住む」と言い始めた。彼らが僕のために動く必要はない。僕らは、他人だ。確かに、当時は六歳。放っておいて野垂れ死ぬと、夢見が悪いと思ったのかもしれない。だが今は高校生。自立しようと思えばできる。それでも、彼らは僕を放っておかなかった。常時、時を共にする悠麒さんの他にも、全ての従者は交代で、頻繁に顔を見せに来た。

 従者のみんなは、一生懸命、僕を『日常』に戻そうとした。波青さんはいろいろなところへ連れて行ってくれた。大鳳さんは多くの手料理を作ってくれた。古白さんはまるで兄のように抱きしめてくれた。霧玄さんは養父となって、いろいろな声を聞かせてくれた。悠麒さんは僕の隣で守ってくれていた。痛みを、分かち合うように。

 愛されていることを自覚するのは怖い。再び失う恐怖と隣り合わせになる。だから、距離を取った。従者だけではない。友人とも。だが、距離を取れば取るほど、近づいてくる。一人になりたくても、一人にさせてくれなかった。

 孤独が、怖くなってしまった。


 __せめて、償おう。


 今、僕は生きている。この与えられた生を、守られた生を、他人のために使って生きよう。他人の命を奪ったのなら、簡単に死んではいけない。死は救いだ。救われようと思ったことが間違いだった。

 都合が良いことに、僕は神守家の頭首。最も『死の世界』に近い人間。危険と隣り合わせの僕だ。役目を果たしていれば、程良いところで迎えがくるだろう。せめてもの償いに、多くの人の命を守ろう。未来を守っていこう。

 許されるとは思っていない。だが、それが、せめてもの償いになると信じて。

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