第2話


「そう……そんなことがあったの。大変だったわね」


 私の話を聞くや、彼女は同情したように溜息をついた。

 この国の王妃であるカトリーナ・メルエルは輝くような白いドレスを着て、柔らかそうなソファに座っている。

 場所は王城にある応接室である。

 カトリーナは公爵家の人間だったが、五年前に王太子……現・国王に嫁いで妃になった。今では王妃として王国の女性のトップとして君臨している。


 私とカトリーナとの関係はいわゆる『同志』と呼ばれるものだった。

 私達は貴族学校の先輩・後輩であり、数年前まで同じ学校に在籍していたのだ。

 いくら同じ学校にいるからといって、子爵令嬢と王太子殿下の婚約者である公爵令嬢との間に接点はなかった。

 学年も異なっていたため、顔を合わせることすらもないはずである。


 そんな私達が親しく付き合うようになったきっかけは、学校の図書館にある一冊の本だった。

 その本のタイトルは『王子様と騎士団長様』。若い王子と騎士団長のオジサマとの恋愛を描いたボーイズ・ラブの恋愛小説である。

 図書館の奥の奥にしまってあったその本を借りようとした際、同じ本を求めていたカトリーナと鉢合わせになったのだ。


 最初は驚き、隠していた趣味を知られてしまったことに顔を青ざめさせた私達であったが……すぐに意気投合した。


 文学にせよ芸術にせよ……愛好家というのは同好の士との語り合いを好むものである。

 私とカトリーナも例外ではなく、BL小説について誰かと心ゆくまで話したいと思っていた。

 私とカトリーナはBL小説を通じて友好を深め、今では親友と呼べるほどの間柄になっている。

 出会ったきっかけがきっかけだけに関係を公にはしづらいのだが……それでも、定期的に連絡を取り合う程度には親しい間柄だった。


「私の大切な友達を傷つけるなんて許せないわ…… セグネイル侯爵。そんな男、離婚してしまったらどうかしら?」


「そうしたいのは山々ですけど、父が承知しないと思います。我が家は侯爵家からの資金提供を受けており、離婚されたら援助を打ち切られてしまいますから」


 浮気を理由に離婚することは可能だが、実家に私の居場所はないだろう。

 実家に戻っても、資金援助を失ってしまったことへの嫌味を言われ続け、もっと酷い嫁ぎ先に売り飛ばされる恐れがあった。


「少なくとも、私の方から離婚はできません。貴族にとって愛人を囲うことは恥とは言えませんし、慰謝料だって微々たるものでしょうから」


「そう、何か他に良い手があればいいのだけど…………そうだわ!」


 カトリーナが両手を合わせた。

 名案を思いついた時に見せる、昔からの癖である。


「愛人扱いされているのなら、本当に愛人になってしまえば良いのです! そう……私の夫、つまり国王陛下の愛人にね!」


「へ……?」


 国王陛下の愛人。それはどういう意味だろう?

 ポカンとした顔になっている私に、カトリーナがとっておきの悪戯を披露するように笑った。


「実はね……最近、夫に公妾を迎えようという話が出ているのよ。それにローズを推薦しようと思って」


「公妾?」


 公妾というのは王族が特別に迎える妾、すなわち愛人のことである。

 この国は『精霊教』という宗教を国教にしているのだが、この宗教は一夫一妻を説いて側室を持つことを禁止していた。

 それは国王陛下すら例外ではなく、代々の国王は王妃だけを唯一の妻として、側室や側妃を持っていない。


 しかし、それでは王妃に万が一のことがあった場合に王家の血が絶えてしまう可能性がある。

 王妃が複数の子を生むことができるとは限らないし、王家の血を存続するための『保険』が必要だった。


 そこで作られたのが『公妾』という制度である。

 公妾は国王の愛人ではあるものの、私的な愛人とは異なり法律上の地位が与えられており、王妃の職務を補佐して公の場に出ることが認められる。

 生まれた子供には一応、王位継承権は与えられるものの、王妃が産んだ子供よりも優先されることはありえない。

 あくまでも正当な王太子にもしものことがあった場合の保険として扱われる。

 公妾も産んだ子供も王妃の管理下に置かれるため、王妃や嫡子を害して地位を奪うことも不可能だった。


「私の産んだ王子が立太子されているけれど……二人目の子供が生まれる気配がなくてね。大臣から公妾を迎えたほうが良いって話が出ているのよ。私は夫が愛人を迎えるなんて嫌だって突っぱねていたんだけど……ローズだったら許せるわ! 誰よりも信頼する親友である貴女になら、夫をシェアしても構わない!」


「シェアって……パイを分けるんじゃないんだから」


 カトリーナはニコニコとした笑顔のまま、それなりに重い話を平然としてきた。

 私は予想外の提案にポカンとした顔になりながら、それでもどうにかカトリーナの提案を頭の中で噛み砕いて理解しようと試みる。


「え、えっと……カトリーナ。私、もう結婚してるんだけど、公妾になるなんてことは……」


「ああ、心配いらないわよ。公妾になるための条件はすでに結婚しているか、未亡人であることだから」


「そ、そうなの?」


「そうそう。夫を失った未亡人や年が離れていて子供ができない夫人を救済したりする意味合いもあって作られた制度だから、今のローズにぴったりね!」


「そう……かなあ?」


「そうよ! 間違いないわ!」


 正直、馴染みがなさ過ぎて現実感がないのだが……カトリーナにここまで言われると、本当にそれが私にとって正しいことのように思えてきた。

 若干、騙されているような気がしなくもないのだが。


「そうと決まれば善は急げね! さっそく、陛下に報告しなくちゃ!」


「えっと……それじゃあ、私は……」


「帰っちゃダメよ。今日は城に泊まっていきなさい!」


 引き上げようとする私をカトリーナが引き止めた。


「ローズが陛下の公妾になるって知ったら、侯爵が阻止するために手を着けようとするかもしれないでしょ! 白い結婚じゃなくなったら、妊娠していないと確認が取れるまでに公妾の話が流れちゃうかもしれない! もう公式の場以外で、あの男とは会わないように。いいわね!?」


「わ、わかったわ……」


 熱量と勢いに負けて頷くと、カトリーナは「よろしい!」と満足げに胸を張った。


 その後、私は城の客間に通されてそこで生活することになってしまった。

 大勢のメイドに世話をされ、着替えも入浴も一人でさせてもらえずに世話を焼かされ……まるでお姫様のような扱いを受けることになる。


 私が公妾になることが正式に決定したのは、それから一週間後のことであった。

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