第37話 放置国家

 カラカラと乾いた音に、不定期な振動が腰へと伝わってきた。ヒュノがかけた眠りの力も解け始め、徐々に光も瞼目掛けてやってきた。


 我先にと急ぐ光の柱に目が眩みそうになる。右手で覆いたい衝動に駆られたが腕の感覚が戻ってきていない。まだ神経毒の効果は継続しているようだ。


「……そろ……るか」

「…………だな、俺達までお…………からな」


 あれから聴力さえも低下していたようだったが、断片的ではあるが人間の声も捉え始めてきた。カラカラ乾いた音は木が地面に擦れるような音であることも認識でき始めていた。


 俺等の他に人がいて、小刻みに伝わる振動。恐らく、タイヤ付きの小さな手押し荷台のような物で俺とツクモを運んでいるようだ。


「この辺にしよう」


 声とともに俺達の身体は地面へと雑に転がされた。痛みを感じることは無かったが、手荒い歓迎を受けた事だけは察した。無造作に転がした犯人を見てやろうかと思ったが、手押し台車が俺達の傍に置いていただけで、人間の姿はすでになかった。


 周りの景色も代わり映えはしなかった。オクトー達と遭遇した森と全く変わらず、少し開けた所まで移動しただけのようだった。街中まで戻されるのかと思ったが、奴らは案外面倒くさいと思ったのか、森のどまんなかであろうポイントで下ろされていた。


「ガルルルル」


 こんな状況下では一番聞きたくなかった音が聞こえ始めた。新鮮な動物の肉や骨を求めてやってきたような唸り声。できれば可愛げがある小型モンスターの鳴き声の方が現実を優しく受け止められたのだろうが、現実はその逆だった。


『血肉を漁る森の掃除人』


 何ともふざけた呼び名で恐れられている、ボーンウルフが俺達に群がっていた。


 ボーンウルフは1匹では中級冒険者でも対等に闘える生き物ではあるが、群れを成して生活しており、1度に複数匹を相手にしなければならない状況が必然と訪れる。


 その為、たとえ上級冒険者であったとしてもボーンウルフとは接触しないというのが、生き抜く為には必要な考えである。


 その逆もしかり。死体を早く処分したいのであれば、ボーンウルフの生息地に捨てるのが鉄則である。


「って、俺等まだ死んでないけど……な」


 何が『俺やツクモを拘束せず、解放し、手出しもしない』だ。適当な事を言ってヒュノを拐いやがって。


 確かに縄で拘束はされてはいないが、神経毒で身体は思うように動かせないし、ボーンウルフの居住地に解放されたところで助かる確率は限りなく低いじゃねーか。


 ってか『手出ししない』って、俺等を囮にしたいから手を出さないのは当然だろ、この状況だと。


 騎士兵団が嘘を言っていないのはあっている。


 だが、全てが黒に近い約束内容であった。


 俺を嘘つきライザっていうのであれば、奴等は悪徳詐欺師集団以外の何者でもない。


「おぃ、ツクモ。ツクモっ!!生きているか?」

「うるさいわね……って、この状況起こしてくれなかった方が逆に良かったんですけど?」


「無理言うな。ツクモを担いで逃げるだけの体力は回復しそうにないから、ちゃんと自力で走ってくれよ?」

「……あんた、私達が助かるだなんて思うのこの状況で」


「さあな」

「……何で、私を助けようとするのよ。私はあんたの嫌いな『商工会』の人間よ?」


 ツクモの声がやや低い。ツクモなりに自分の立場の事に何か思う点があるのだろう。


「『商工会』だから何だって言うんだよ。ツクモがいないと誰がタールマイナの商業を支える?」


 恐らくタールマイナは国として揺らぐであろう。サフデリカ軍を襲った真相も明るみになり、神獣を操っているとなると近い将来戦地になるのは確実だ。


 戦争に勝とうが負けようが街の生活は一変する。物価は荒れ、物流は滞り、まともな取引ができるようになるまでは時間と忍耐と、そして管理する組織が必要だ。


「タールマイナの街を護るには、商工会は必要不可欠だ。嘘つきライザの俺が作るガラクタが市場に出回って混乱しないように見張る役がいないと誰が監視するんだよ」

「……」


「ツクモは街にとって必要な人間だ。嘘つきライザの俺なんかよりも比べ物にならないくらいにな」

「……」


「それに、ツクモがいないとヒュノが用意するキワモノ料理を俺が2人分食べないといけなくなるだろ、それは御免だ」

「……ぷっ。あんた、死にかけているのに良くそんな平和な話ができるわね」


 ツクモは笑ってくれた。こんな状況でも、一瞬でも良いから笑ってくれたのであれば俺はそれで良かった。泣きながら死なれるくらいなら、一秒でも笑わせたいと抗った甲斐があったようだ。


 でもすまない、ツクモ。笑ったときに少し覗く、八重歯が可愛いその顔を護ってやれる作戦が全く思いつかない……ヒュノがいればここにいるボーンウルフを瞬時に眠らせられるのだが、俺もツクモも普通の人間だ。


『諦める』


 そんな単語も脳裏を過ったとき、聞きなれない声がした。


「諦めるのか?」

 低い声がした。ファゼックかと一瞬思ったが、ファゼックとは違う系統の低い声。俺の知る限りでは該当する人間は存在しない。


 だが、声の主が俺の横を通りすぎた時に嗅いだことのある匂いがした。剥き出しの牙から唾液が垂れており、威圧感の権化のようなルックスとは対照的に、ふわふわの毛並みが優しく包んでくれる為、何度噛みつかれても抱きつく衝動に駆られる。全身でアメとムチを体現しているかのような生き物を俺達はこう呼んでいた。


「モフモフっ?!」


 背中にはサフデリカ軍の隊長はもう乗っていなかった。サフデリカまで無事に送り届けてくれたのか、それともモフモフが本当に食べたのかは知るよしもない。


 だが、モフモフが彼を助けるようにお願いしたのはヒュノだった。僅かな隙を狙い、茂みに身を潜めていたもとアイコンタクトを取っていたのを俺は知っていた。そう指示してみたのは俺だったから。


「は、早かったな。サフデリカ軍のおっさんを見殺しにするか、食べないと間に合わない距離だったはず……っておい……これは」


 モフモフの鋭い眼光に畏怖したボーンウルフ達は泡を吹きながらその場で倒れていた。


「あの者を喰らうなと命じたのも貴様の差し金だろ」

「あぁ、それもそうだったな……って」


 モフモフが喋ったぁあああ!!


「いやいや、デスファングのモフモフが人の言葉を発してるんですけど?! これはあれですか、夢ですか、幻ですか、それともヒュノが用意した悪夢の続きとかですか?!」

「主に遣える際に言語での意志疎通するようにと命じられた。それ以外に我が言葉を用いる理由があると思うのか?」


「ヒュノから頼まれればそんな事もできるようになるのかよ?」

「貴様勘違いしとらぬか?」


「はい?」

「眠らされ、夢の世界で時間軸を操作され、言葉を発せられるようになるまで眠りから覚まさないようにされたのだぞ?」


 モフモフは呆れたように流暢なお言葉で悲しみの弁を述べられました。つまり、夢の中でヒュノに叩き込まれた結果、人の言葉を話せるようになったということですね。


 俺も夢の中で創作依頼を受けた日は体力を極限まで費やしながら製作に没頭させられた事を今でも鮮明に覚えている。こうしてヒュノ催眠被害者の会が俺とモフモフの間で静かに設立された瞬間でもあった。

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