第19話 霧はいつか晴れる
「ほら、
人混みの中に迷い込む私をいつも見つけてくれるのは、お兄ちゃんだった。その温かい手で握られると心の中に立ち込めていた黒い霧が嘘のように晴れていた。
「お兄ちゃんは魔法使いなの?」
「ははっ、そうさ! 俺はお父さんのように最強の商人を目指す、立派な魔法使いだ」
玩具の剣を高々と上げながら人混みから案内してくれたお兄ちゃん。商人を目指すと言いながらも、剣士に憧れつつ魔法を操れると豪語しているお兄ちゃんはいつものお調子者さんだ。
だけど、そんな姿を私の中でずっとずっと消える事はなかった。
お兄ちゃんが行方不明になった日も今みたいに霧が立ち込めていたのを鮮明に憶えている。
早く仕事を覚えたいと駄々を捏ねて、知り合いの荷馬車に同乗させて貰っていたお兄ちゃんは「夕方には帰るから」とだけ言い残し出発した。
それ以来、お兄ちゃんを乗せた馬車は行方不明となり、もう12年の歳月が流れていた。当時、お兄ちゃんを乗せた馬車はモンスターに襲われたのか、それとも谷底へ墜ちてしまったのかさえわからない。
ただ、大きな荷馬車ごと姿を消すという信じがたい事に対し、地域を支配する神獣の生贄になったのだと思うことで私達家族は、なんとか気持ちを繋ぎ止めた。
霧の森で荷馬車を襲い、姿を消すモンスター。
あの蜘蛛……お兄ちゃんが失踪した事と類似するので私は追わずにはいられなかった。
ライザの指摘通り、視界不良の状況で単独でモンスターを追う行為は非合理的だ。
だけど、私を衝動的に動かせる理由は十分だった。
『擬態化』
姿を消すには幾つかのパターンがあるが、物体を伴うモンスターが行うには大きくわけて2パターンが存在する。
1つ目は、身体の色を周りと同化させることで認識阻害率を上げキープする方法。2つ目は、限りなく色を透明化することで認識阻害率を極端に上げる方法。その2つが主だ。
だが、前者には決定的な欠陥が存在する。それは『動けない』という点だ。同化させると言うことは、周りに合わせると言う事だ。
もし仮に同化ながら動きたい場合は、動く度に同化を行う必要がある。今みたいに必死に逃げている最中に姿を消そうと同化の能力を使用するのは体力も不足し非効率的過ぎる。
恐らく、あの蜘蛛が消えるのは後者。
つまり、透明化。
あの蜘蛛は消えながらに逃げる事を可能にしているのは透明化によるもの。
私だって馬鹿じゃない。
昔のように、お兄ちゃんに手を引かれないと歩けない妹じゃない。
私は上級冒険者にまで成長した。
お兄ちゃんの憧れていた剣技を習得し、魔法も唱えられるユーティリティージョブだ。
お兄ちゃんの行方を知ることが出来るなら探りたいし、お兄ちゃんを襲った魔物であれば……
ー妹の私が、仇を取りたいー
やっと掴んだ手掛かりが今目の前にそこにあって、消え去ってほしくない過去の在りかがそこに在った気がして。
追わずにはいられない。何もかも。
冒険者となって強くなったのも、お父さんのお仕事を手伝ったのも、みんなみんな、この日のこの一瞬の為だけに在った気がする。あの蜘蛛型を追うことで全ては完結へと向かう。
「はぁはぁ……逃がさないわ、絶対に」
私の体力は限界を越えていたが、執念が実り蜘蛛型モンスターは逃げるのを止め、こちらをじっとみていた。
「ここがあなたの巣? それとも……お兄ちゃんが消えた場所をあなたは知っているのかしら?」
これまで幾度なく悲しみと憎しみの感情を押し殺して生きてきたことだろう。逢えない哀しみに対する捌け口がなかった私にとって、この蜘蛛は神がくれた生贄なのかもしれない。
たとえ、この個体が知らなかったとしても、このモンスターを倒せばお兄ちゃんに逢えるのかもしれない。そんな稚拙な思考が私の心を支配した。
私の殺気に応えるかのようにモンスターから攻撃をしかけてきた。出糸突起から現れた糸は速度を上げたまま私へと一直線に向かってきた。
吹いていた風に流される事もなく、私のもとに。
間一髪で避けた私。私の着地点を予想していていたのか、連続して攻撃を仕掛けてきたが大事には至らなかった。これまで戦ってきたモンスターより一番速いというわけでも、攻撃が重いわけでもない。
いつか戦いが必要になるときに備え経験を積んできたが、いざ必要となった時には敵の能力が低いとさえ感じるまでに成長していた。
濃くなってきた霧の影響により一層視認することが困難になっては来ているが、それでも蜘蛛は逃げようとはせず、此方を威嚇したままだ。
姿を消す厄介な能力さえ注意すれば、私単独でも対等に闘える相手。
一瞬だけ姿が消えそうになり、私は蜘蛛の黒い影の後を追っていたその時……
影は話し始めた。
「独りじゃ……ないよ。
「えっ……お兄ちゃ……」
白い霧に映る黒い影。ぼんやりと移る影の輪郭は徐々にはっきりして人型へと姿を変えていき……現れたのは、お兄ちゃんだった。
「えっ……嘘、そんな……」
握りしめていた短剣がスルリと落ち、地面に落ちた衝撃により乾いた金属音が辺りに響く。朦朧としていた意識がそこで眼を覚ます。
「駄目っ……ありえ」
私の右脹ら脛からは温かさを感じていた。ゆっくり、ゆっくりと足首へと流れ、ポトリと地面へと滴った。
色を見て始めて私は出血していることに気がついた。そして近くには白い百合の花が怪しく咲いていた。
「幻惑草の花……」
私は戦闘中にも関わらず、お兄ちゃんに逢えたいいなという淡い願望を抱いていた。幻覚作用のある花粉はそれを見逃さなかった。
一瞬だけ生まれた僅かな隙を蜘蛛に狙われた事を知る。
いや、違う。そんな偶然は存在しない。蜘蛛は初めからわかっていたんだ。
この辺りに幻覚草の花が咲いている事に。「ギギギリィイ」落とした短剣を拾い上げた私は、持てる力を全て使い反撃に転じた。
「辞めろ!!」
私の攻撃を無理矢理止めたのはライザだった。
「邪魔しないでよ、嘘つきライザっ! この一撃があれば、あの蜘蛛をっ!!」
「あの蜘蛛を……なんだ? 物理攻撃が効かないゴースト系に何をするって言うのだ?」
「えっ……ゴースト?」
ライザの一言で私は我に帰った。
ずっと疑問には思っていた。霧が濃い状況下で、姿を消せるモンスターを独りで追跡できたのか、を。
答えは案外単純だった。
幻覚草の花が咲いているこの地点まで私を誘き寄せる為に、あの蜘蛛はわざと見えるように姿を現せながら逃げていたんだ。
理由は簡単。
『私を惑わせ、殺す隙を作る為に』
あのモンスターがゴーストタイプであれば、姿を消すこと自体容易な事であり、物理攻撃なんかして攻撃が失敗していたら私は今頃……死んでいた。
私はあの蜘蛛型モンスターの特性を『擬態化』だと勝手に決めつけていたが、ライザはあのモンスターがゴーストタイプだと見抜いていたから私の攻撃を止めてくれたんだ。
「どうして、あの蜘蛛がゴーストタイプだってわかったのかしら、ライザ」
すると嘘つきライザの彼はこう答えた。
「真実が知りたいだけさ」と。
嘘つきライザという悪名で評判な彼から『真実』だなんて言葉が出てきたから思わず笑ってしまった。
私も知りたくなってきたわ。
そんなに肩で息をする程、私を追いかけて来てくれた貴方が、なぜ嘘つきライザと呼ばれてしまっているのかを。
「姿が見えるのなら眠らせられるんでしょ?ヒュノ」
「あ、うん。勿論」
眠りの力を使う彼女が、ドルミーラ教のヒュプノス・ラスティア本人かはまだわからない。だけど、真実が何なのかを知るまでは、間違った選択に走るのは止めることにしよう。
「さぁ、観念なさい【ストップ】」
魔力操作を行い、詠唱から出た生まれた波動は私の手から離れ蜘蛛へ向かって移動した。
相手の動きを制限する魔法である【ストップ】にかかった蜘蛛は動きが遅くなった。私が放った見えない糸で手足が拘束されているかのように。
その後、ヒュノと名乗る彼女は持ち前の技で蜘蛛を無力化させることに成功し、簡単に仕留める事に成功した。
「助かったわ、ありが……へぇ?」
私は彼女に抱きしめられ声を失った。
「つくもん、お願い約束して……もぅ独りで無理しないって。私を独りに……しないで」
優しい言葉をかけられた私。
「離れてよ」と突き飛ばすのは簡単だ。
だけど、何故か今の私にはそれが出来なかった。
肩を少し震わせながら言った最後の言葉が私の心に刺さったからだ。お兄ちゃんを失った私は、目の前の人が逢えなくなる恐怖を一番知っていたからかもしれない。
「馬鹿ね……私が何者かも良く知らないで」
そう言いながら私はそっと彼女の髪を撫でる。
落ち着いた時間が私を冷静にさせた。私も貴女の事を知っているようで知らない。
こんな心優しい人がヒュプノス・ラスティアで良いのかと疑いたくもなる。
だが実際は違うのかもしれない。何が真実で何を信じたらいいのかをこれからしっかりと自分の眼で確かめないといけないようだ。
蜘蛛を退治したそれ以降、荷馬車が襲われるという話しは無くなり、霧が晴れたかのように、タールマイナの物流にも活気が戻った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます