第80話:もふる
「あなた、そちらはさっき通って来た方角ですわよ」
「え? あ、そうなんだ」
泥だらけの女の人と迷路を歩くこと一時間ぐらい?
未だに迷路を出られない。
それにしてもこの人、口調からするとどこぞのお嬢様みたいだけど。
いや、この世界だとお嬢様じゃなくて、貴族の令嬢かな?
見覚えがある気がしてるんだけどさ、貴族の知り合いなんていないよ。
どっかでチラ見しただけなのかなぁ。
「ちょっとあなた。また同じ道に行こうとしていますわよ。だいたいさっきから、同じところをぐるぐる見てるだけじゃないの」
「え……そ、そう?」
「もしかして……あなた方向音痴ですわね!?」
「あ、うん。方向音痴だよ」
「さも当たり前のように返事しないでちょうだい!」
だってそうなんだから仕方ないじゃん。
しばらく歩いて疲れたら座って休んで……どのくらい歩いたんだろう。
それに今何時?
ちょっと眠くなってきた。
「寝てはダメよ」
「うえぇ」
「眠ってしまうと、あなたもお花畑になってしまいますのよ」
「お花畑?」
「さっき話したでしょう。ここが箱庭の中だということを忘れてしまうと」
箱庭だというのを忘れて、しかも自分自身すら見失ってしまうと。
そして箱庭が設定した人格となって、この中で呑気に暮らしていくことに……。
「こわっ」
「常に意識を集中させていませんと、箱庭の魔力に捕らわれてしまいますわ。そして眠れば……目が覚めたらもう別人でしてよ」
「ひぇー……ってあなた、いつから箱の中に?」
「三日前でしてよ」
「じゃ、三日も寝てないの!?」
彼女は頷く。
ひえぇー、凄い。
私じゃ無理。もう眠くなってるもん。
『ミユキィ』
「ん、なぁにウィプちゃん」
『寝ちゃダメぇぇーっ』
「んぎぃーっ。まぶしっ」
「ちょっとあなた、何をしていますの! 眩しいじゃないのっ」
私を眠らせまいとしたんだろうけど、ウィプちゃんが物凄く光って眩しいっ。
ようやく眩しいのが収まると、ウィプちゃんはドヤ顔で腰に手を当てていた。
「いったいどこからそんな光を出したのよ」
「え、どこってここにウィプちゃんが。あ、ウィプちゃんっていうのは――」
そうだ。精霊って誰にでも見える訳じゃなかったんだった。
「ウィプちゃん?」
「精霊がいるの」
「あなた、精霊師ですの?」
「んー……そんな感じ」
「そう。なら冒険者ですのね。わたくしは……司祭ですわ」
「へぇ。じゃそっちも冒険者なんだ」
「違いますわよ。ま、似たようなものかもしれませんが」
違うのに似てるの?
少しだけ休憩して、また歩き出す。
自分自身すら忘れてしまう。
それって、今までの記憶も忘れてしまうってこと?
ヴァル……カット……大丈夫かな。
私のこと、忘れてないかな。
私が箱庭に捕らわれてしまったら、ヴァルとカットのことを忘れてしまうってこと?
そんなの……嫌。
忘れたくないし、忘れられたくない。
ヴァル……早く会わなきゃ。
「早く会いたい……」
「会いたい? あら、あなた……もしかして恋をしていますの?」
「へ? こい……こ、恋いぃ!?」
「その様子だと、自分で自分の気持ちに気づいていませんのね」
い、いやいやいやいや、何言ってるからこの人。
「ふふ。乙女はみな、恋する生き物ですわ。恥ずかしがることなんてありませんもの」
「いやいや、そういうんじゃないから」
「隠さなくたって分かりますわよ。だってわたくしも乙女ですもの」
私の方が分からないんだけど。
と、とにかくヴァルはそういうんじゃないから!
ただ傍にいてくれて、守ってくれて、守ってあげたくて……ずっと一緒に居て欲しいだけだから!
『オオォォォォォォン』
「ひうっ。な、なんですの? まさかモンスター!?」
「ヴァル!!」
まだ遠くからだけど、私には分かる。
この声がヴァルだって。
やがてピキピキッと音がして、前方の壁――板が凍った。
「こ、氷!?」
「下がってっ」
彼女の腕を掴んで後ろに下がるのと同時に、凍り付いた板の壁が木っ端みじんに砕ける。
その向こう側から姿を現したのは、黒い狼。それと猫。
『にゃふ。ようやく見つけたのである』
『はぁ、やっとかよ』
「ヴァル、カット!」
駆け出してヴァルの首に抱き着く。
もふもふだぁ。
ついでにカットも抱き寄せ、吸った。
「んはぁー、落ち着くぅ」
『にゃ、にゃふ』
『おい、猫なんざ吸うなっ』
「なっ、なな、なんですの!? どど、どうして猫と犬が喋っていますのよ!」
あ、お決まりのフレーズを……。
『吾輩は猫ではないのである』
『誰が犬だっ』
ほら、こうなる。
でもよかった。
二人が私のこと、覚えててくれて。
よかった。
『な、なんだ。おい、そんなにくっつくな』
『不安だったのである。好きなだけもふらせるのであるよ』
「うん、もふる」
ここが一番、安心する。
しばらくヴァルをもふったあと、改めて彼らが来た
「ヴァル……箱庭、破壊しまくって来たの?」
『近道しただけだ』
「近道って……確かに近いだろうけどさぁ」
ぼっこぼこに穴の開いた板が、ずーっと奥まで続いていた。
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