第79話:誰だっけ?

「中へ入ると。全員逸れてしまうんじゃ。まずは建物のある区画で落ち合うといいだろう。この作り物の太陽は動かずずっとここにある。これを目印にするといい」


 そう言われて私たちは中に入ったんだけど――。


「よりにもよって、迷路側!」


 右も左も高い壁に覆われた場所。

 外から見た時は三〇センチぐらいだったんだけど……ここからだとてっぺんが見えない。

 いや、高すぎでしょ。


 作り物の太陽……壁のせいで見えない。

 

『ぷぇん』

「あ、ウィプちゃん! よかったぁ、ひとりじゃなかったぁ」

『よちよち』


 こんな小さな子にまでよしよしされる私って……。


「とにかく、進むしかないね」

『ね』


 歩いて歩いて、ずっと歩いて。


「行き止まり」

『ぷぇん』


 また歩いて。


「うわっ。ここの道なくなってる……うわぁ、下は真っ暗」

『てらす?』

「んー、でも深そうだし。危ないから止めてこう」


 道――じゃなく、本当は板の一部が割れて落ちたもの。

 今の私はマッチ棒のさきっぽぐらいの大きさ。

 割れたところを覗き込むと、板の厚みが数メートルあるように見える。


 道がなくなってるから引き返すしかない。

 そんなことを何度も繰り返していると、もう二度とここから出られないんじゃないかと不安になってくる。


「どうしよう。ヴァルとカットは無事かな」

『だいじょーぶ』

「まぁ、そうだよね。あの二人なら大丈夫か」


 むしろ大丈夫じゃないのは私の方か。

 なんか……寂しい。

 ウィプちゃんはいるけど、でも……。


「ヴァル……ヴァルゥゥゥ。迎えに来てよぉぉ」

『よちよち』


 何度も何度も、ヴァルの名前を呼ぶ。

 いつもそばにいてくれて、いつも助けてくれ……。


 あれ?

 そういえば私、なんでこんな所にいるんだろう?


「んー……早く戻って、ご飯の支度しなきゃ」

『ぷ?』

「それからお洗濯して、掃除と……そろそろお庭のお野菜、収穫出来る頃じゃないかな」

『ぷ!? どちたのミユキ。ねぇ、ミユキ』


 ミユキ……あぁ、そうだ。私の名前だ。

 この子は……あ、れ。誰だっけ。

 知ってるはずなのに、思い出せない。


 知ってる?


『ぷぇぇん』

「あぶぶ、あぶぶぶぶぶぶぶっ」


 いたいたいいたいっ。

 小さいのに、なんて強力な往復ビンタ!?


「いたい、いたいってばウィプちゃん――そうだ、ウィプぶぶぶぶっ」

『ぷぇ! ミユキ、正気なった?』

「う、ん。なんだろう、頭に白い霞が掛かってるみたいで、ぼんやりする」

「ふっ。それはこの箱庭が精神に干渉しているからですわ」


 ――ん?

 女の人の声がした。

 声のする方を見ると、壁際に膝を抱えて座り込んでいる人がいた。

 うわぁ、泥だらけで気づかなかった。


「それよりあなた。食べ物は持っていませんの?」

「え、食べ物――あるよ」


 鞄の中にカットが作ってくれたカップケーキがいくつか入ってる。

 そう言えば私もお腹空いたな。

 

「食べる前に手を洗わないと。なんで泥だらけになってんの?」

「あなたもそのうちこうなりますわ。それと、気をしっかりもつことね」

「気をしっかり?」

「この中では箱庭が精神干渉を行っていますのよ。段々とここへ来た目的を忘れ、箱庭の中で日常を送るようになってしまいますの」


 日常……もしかして勇者の人たちが呑気にお茶を飲んでいたのって……。

 それにしてもこの人、なーんかどっかで見覚えがあるんだけど。

 





 ――その頃。


「ミユキ! おい、どこにいる! くそっ、町のほうじゃないのか?」


 箱庭の中に入ったヴァルツは、建物が立ち並ぶ町のエリアに降り立った。

 すぐにミユキを探してあちこち走り回っているが、どこにも見当たらない。

 まるでそこで暮らしているかのような町の住民たちに聞いても、誰も見ていないという。

 そもそも、住民たちの挙動もおかしかった。

 

 箱庭に閉じ込められているはずなのに、誰も助けを求めてはこない。

 それどころか、のんびり平穏に暮らしているのだ。この中で。


「どうなってんだ、ったく」


 外から覗いた時に見えた勇者一行なら何か知らないかとカフェに行ったものの、彼らの姿は既になかった。

 代わりに店主が言うには「畑では?」という。


 勇者が畑に?

 そんなバカな――と思いつつ、ミユキが町にいないのであればそちらかもしれないと思い、ヴァルツは向かった。

 そして鍬を振る勇者を見た。


「こりゃやられてんな……」


 箱庭に入ってする、ヴァルツには感じていた。

 何者か――いや誰ではなく何かかもしれないが、とにかく精神に干渉しようとする力が働いていることを。

 抵抗しなければああなる――という見本に、勇者一行はなっていた。


 再び町へと戻って来たヴァルツは、なんとかミユキのニオイを探せないかと嗅覚を研ぎ澄ませた。


「ミユキのニオイは見つからねぇってのに、なんでてめぇのニオイだけあるんだよ!」

『にゃあ。もっと再会を喜んで欲しいのである』


 溜息を吐いたヴァルツは、町の向こうにそびえ立つ迷路の壁を見つめた。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る