第58話:猫の助言
『時間なのである』
カットの言葉が終わった瞬間、ずず、ずずずっと微弱な揺れを感じた。
それから遠くで、どどどどとも、ごごごごとも、なんとも言えない地鳴りが聞こえ始める。
そういえば、スタンピードが発生するってギルドに伝えに言ったとき、そこにいた冒険者が笑いながら言ってたっけ。
スタンピード発生前に地鳴りがする。その日も塔に入っていたけど、自分は聞いていない。だからスタンピードは発生しないって。
「発生直後に地鳴りしてんじゃん!」
こんなタイミングで地鳴り聞いても、迎え撃つ準備とか出来ないじゃんバカなの!?
まぁ笑ってた人たちは下層の攻略組だからここにはいないけど。
下の階へと続く階段の近くに、上り階段が出現する。
「くるぞ!」
誰かの声が聞こえると、一斉に何かの呪文が唱えられた。
各パーティーにいる司祭や魔術師の人たちが、仲間を支援するための呪文だ。
私も!
「"聖なる――」
『"木霊"』
「"――祝福よ、かの者の肉体に活力を"」
ん?
なんか私の声、木霊してる?
「カット?」
『吾輩の
「そんなこと出来るの!?」
『うにゃ。しかも魔力の消費はひとり分だけ。にゃっふっふ。小僧には真似できまい』
「くっそ……いちいち腹の立つ野郎だな」
あぁもうっ。こんな時までぇ。
カットが範囲魔法にしてくれるっていうんで、支援は私が引き受けることに。
聖なる盾も範囲になって、めっちゃラッキー!
でも、階段から駆け下りてくるモンスターが多い。
っていうか階段のスペースも、普段の四、五倍以上あるじゃん!
普段の階段は両手を広げたぐらいのサイズ。
その四、五倍なんだから、かなり広い。
広いから同時に複数体のモンスターが下りて来る。
酷い。
倒しても倒しても、どんどん上から下りてくる。
怪我をした人は即時回復。
支援魔法の掛けなおしも忘れない。
上から下りてくるモンスターばかり気にしててもいけない。
この階層のモンスターが通路から押し寄せてくるから、そっちはまた別のパーティーが踏ん張ってくれてる。
まぁ幸いなのは、下から来るモンスターがいないってことだよね。
全部、下の階層目指して暴走しているんだから。
「はぁ、クソっ。それらしいのはいねぇな」
「ヴァル、いないって……もしかしてもっと下の階層!?」
「いや。今下りて来てんのは、ここの直ぐ上の階層のモンスターだ。まだ分からねぇ」
ってことは、一〇六階のモンスターか。
一〇七階、一〇八階から下りてくるモンスターの中にボスがいなかったら、もっと下の階層にってことになる。
もちろん一〇〇階と九〇階にも冒険者入るけど、高ランクの冒険者はここに集まってる。
出来ればここで仕留めたいというのが――
「野郎ども、目を凝らしてよく探せよ!」
と叫ぶギルドマスターの考え。
私もそう。みんなもそう。
時間が経つにつれて焦りが出てしまう。
いなかったらどうしよう。
今からでも下の階層に移動した方がいいんじゃないかって。
時間が経てばたつほど、みんなの疲労も溜まってしまう。
早く終わらせなきゃ。
早く!
「冷たっ」
ヒールと聖なる盾を必死にかけまくってたら、頬に水が垂れてきた。
水?
「ヒールしろっ」
ヴァルがそう声を荒げて、私を壁際に押しつける。そのまま頭を押さえられて、抱え込まれてしまった。
『酸が含まれているのであるよ、ミユキ嬢。すぐにヒールを。"木霊"』
「い、"癒しの光よ"」
範囲ヒールはあるけれど、魔力の消費量を考えたらこっちの方が効率がいい。
にしても酸が含まれてるって、ヤバ過ぎでしょ!
ってヴァル!?
「ヴァルっ」
「あぁ、クソ。服に穴があいちまった」
「穴で済んでるの!?」
『済んではいないであるが、ミユキ嬢のヒールで即時治癒したのであるよ。にゃふ、一〇七階はどうやら、水属性モンスターが多いようであるな』
水属性のモンスターがなんで酸なの!
その後も、麻痺や持続ダメージのある毒を含んだ水――というより雨が何度も降って来ては、そのたびに慌てて回復。
気がつけば湿度も高くなってて、じめじめした感じに。
「雷撃つなよっ」
ギルドマスターが叫ぶ。
そ、そうだ。足元もびちょびちょで、こんな所に雷魔法を撃ち込んだら、みんな感電しちゃう。
私は今回、完全に回復役で参加してる。
ヴァルとカットがそうしろっていうから。
でもこの状況だと、攻撃魔法とか撃ってる余裕なんてない。回復に専念するので正解ね。
一〇七階のモンスターが下りて来始めたせいなのか、だんだんとモンスターを倒すのにも時間が掛かり始めた。
「カット。やっぱり上の階層のモンスターだから強いんだよね?」
『それもあるが、奴らは体の表面に、水の粘膜を張っているのであるよ』
「粘膜?」
たしかに、明かりに反射してきらきらしてるように見える。
『左様。ぬるぬるした粘膜によって、武器での攻撃威力も半減しているのである』
「つるんって滑ってるのか。厄介だね」
『うむ。有効な属性は雷であるが、こう湿気が多いと持ち主まで感電するであるからして』
「なんて厄介な」
自分たちの弱点を相手にも味合せることで克服したってこと?
スタンピードが始まってどのくらい経ったんだろう。
倒した傍から湧くから、いつ終わるのかもわからない。
ボスを倒さなきゃ、これは終わらないんだ。
カットが懐中時計を取り出すのが見えて、どのくらい戦ってるのか聞いてみた。
『まだ二時間三分、四八秒であるよ』
「二時間!? 二時間も戦ってるの……」
それを聞いてどっと疲れが押し寄せてきた。
でも私はみんなの後ろから、ヒールや支援魔法を飛ばすだけ。
ヴァルや他の前衛職の人は怪我してるし、中には重傷といってもいいほどの怪我を負う人だっている。
もちろん、すぐに治癒するから五体満足だけど。
でも、怪我をした一瞬は凄く痛いはず。
なんどもなんども傷を負って、その度に痛い思いをして……それって精神的にもきついよね。
肉体的にも精神的にも、だんだんと疲れの色が見え始める。
ヴァルは――まだ大丈夫そう。
でも無理して欲しくない。
欲しくないけど、無理しないと生き残れない状況。
「くっ……」
「ディーダ、下がって休めっ。おい、前衛は交代で休憩だ。少しでも体力を回復させろっ」
「少しでもってギルマス、こんな状況で無茶だぜ」
落ち着いて休める場所なんてない。
後衛の私たちの傍だって、急にモンスターが地面や壁から生えてくるんだし。
ドワーフのおじさんがくれたメイスあってよかった。
これで殴ると、思った以上にダメージ与えられるみたいで一瞬だけ怯ませられる。
その隙にヴァルが来て倒してくれるから、ほんっと有難い。
とはいえ、休んでる人を守れるほどのパワーは私にはないし……。
「そうだ。私、聖域を――」
「やめろミユキっ。あれは消耗が激しすぎる」
『にゃあ。吾輩もお勧めしないのである』
でも……。
みんなの攻撃がうまく通らなくなってる。
倒すのに時間が掛かるから、当然攻撃を受ける回数も増える。
司祭の人たちも回復で手一杯で、しかも肩で息し始めてるし。
「やっぱり聖域使うっ。ここで休まないと、ボスが来るまで持たないよっ」
「いいや、ダメだっ」
「ヴァル! じゃあ、他にどうすればいいのっ。水の弱点はここでは付けないしっ」
雷が使えれば、簡単に倒せるようにもなるんだろうけど。
でも同時にこっちも倒れてしまう。
持久戦で頑張るしかないなら、休まないと。
『水属性の弱点は、何も雷ではないのであるよ』
「え? 他にもあるの!?」
『にゃっふ。氷であるよ』
「氷……あっ、そうか。水を凍らせられるんだ!」
カットが笑みを浮かべて頷く。
ここにいる魔術師は五人。氷魔法を使っているのは――いない!
『ミユキ嬢には分からぬだろうが、氷属性の魔法というのは習得が難しいのであるよ。それは雷も同様であるが、あちらは派手さがある。実力のある魔術師は、まずあちらから習得に励もうとするのである』
派手だから……いやまぁ、確かに雷魔法はカッコよさそうだけど。
そういえばアイス・バレットって、風と水の魔法が使えないとスキルボードに出てこなかったっけ。
水は火と土の魔法を使えないと出てこないから……確かに氷魔法の習得は、難しいのかもしれない。
「じゃ、ここは私が――」
『それは……止めた方がいいであるな』
「この混戦の中で、氷の礫を味方に当てない自信はあるのか」
……。
「えっと」
「考えるってことは、自信がないってことだ。だから止めておけ」
『ま、もっと効率のいい方法もあるであるがな』
「え? カット、それ教えてっ」
カットはヴァルの方をじっと見た。
え、もしかしてヴァルに魔法を使えってこと!?
うーん、確かにヴァルは自称、魔法剣士だけど。
「なっ、何見てやがるクソ猫」
『吾輩は猫ではない。それでお主、いつまで黙っているつもりであるか?』
「な、何のことだ」
ん? んん?
『お主本来の力を出せれば、この場を切り抜けられるであろう』
「う、うるさいっ。い、今やってるだろうがっ」
『本来の力を出せていないのに、何をやっていると言えるのであるか。それとも、吾輩がミユキ嬢と――』
「ダメだ!」
何の話してるの? どういうこと?
「あの、ヴァルならこの状況を打開できる、ってこと?」
『にゃっふっふ』
「それは……」
『いつまでもぐだぐだとせず、向き合うべきだと吾輩は思うのだが』
「カット?」
ヴァルが私に秘密にしていることを、カットは知っているの?
『お主がここで覚悟を決めるか、それとも吾輩が――。でなければここで全員死ぬか。小僧、どうする?』
「クソッ」
「ね、なんのこと? ねぇ?」
カットは笑ってヴァルを見ているだけ。
ヴァルは視線を逸らして、苦虫を噛んだような顔をしているだけ。
ヴァルの秘密。
ヴァルの本来の力。
じゃ、今は本気モードじゃないってこと?
でもそれをずっと秘密にしているってことは、本気モードを見せたくないってこと?
そう言えば昔、呪われていたって言ってたっけ。
それと関係があるのかな。
「ミユキ……俺を……俺の姿を見ても……」
「ヴァルはヴァルだよ」
「ミユキ……」
「どんな姿をしていようと、ヴァルはヴァルじゃない。私のこといつも面倒見てくれる、優しい保護者でしょ?」
姿が変わっても、中身は変わらない。
そうだよね、ヴァル。
「でもヴァルが嫌なら、今のままでいいんだよ。大丈夫。みんなで力を合わせれば、きっと乗り越えられるから。ね?」
そう言ってヴァルを励まそうと、手を握った。
ヴァルはきょとんとした顔をしたけど、すぐにふっと笑って手を重ねた。
「いや、いい。そろそろあいつらも限界だろう。行けると思ったんだが、よりにもよって水属性だったのが悪かった」
ヴァルが手を離して、一歩、二歩と下がる。
どこかへ行ってしまいそうで、思わずその手をもう一度掴んだ。
「ヴァル」
「前にしただろ」
「え?」
「前に俺と、契約しただろう」
掴んだその手が、毛に覆われていく。
真っ黒な、漆黒の毛。
ビックリして視線を手元に向け、次に正面を見た時には――そこには漆黒の狼、ヴァルツがいた。
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