第56話:秒刻み
『元々主が――リヒトがここに隠れ家を作ったのは、スタンピードの発生を予見してのこと』
カットは落ち着いた様子で、それでいて荷物をまとめている。
何故か――。
ここから出るためにだ。
「ま、待ってカット。リヒトさんはスタンピードがここで起こることを知っていたの?」
『知っていたというより、いつ発生するかを調べていたのであるよ。スタンピードとは、迷宮であればいつか必ず起こることであるからして』
「そうなの?」
ヴァルを見ると、彼は頷いて答えた。
「迷宮によってその規模もまちまちだ。小さい迷宮だと、冒険者が歓喜することもある」
「稼ぎ時……とか?」
「そうだ。だがこの塔の規模だと……」
確認されているだけで一〇四階ある。
全部の階層のモンスターが一斉に地上を目指せば……とんでもない数のモンスターが溢れ出ることに。
途中から番人を召喚するだけで、楽してここまで上がって来た。
道中にどれだけのモンスターが生息しているのかなんて知らない。
昨夜出会った冒険者の話だと、五〇階から上は階層自体広くなっているという。
つまり、モンスターの数だって多いよね。
「……そういや奴らも言っていたな。モンスターの数が増えているらしいと」
「奴……あ、勇者一行」
賢者のトーヤさんもそんなこと言ってたっけ。
『ほほぉ、やはりそうであるか。リヒトの見立ては正しかったようだ。さて、早いところここから離れるのである』
「ま、待ってカット! スタンピードを防ぐ方法はないの!?」
『ない』
「即答だし!」
ヴァルにも確認してみたけど、こっちも首を横に振るだけ。
「発生自体を阻止する方法はない。発生したスタンピードを止める方法はあるけどな」
「あるの! じゃ、それを――」
「群れの中に一体だけいるボスを倒せば止められる。だがどこにいるのかは分からねぇし、どのモンスターがボスなのかも迷宮によって違う。探すことなんて不可能だ」
「じゃあどうするの!?」
『二五〇年ほど前にも、ここでスタンピードが発生しておる。その時はまだ町が出来ておらんかったが、迷宮内にいた者はほとんど死んだそうだ』
ほとんどって……。
『ここは上を目指す際には番人を倒さねばならぬが、下を目指す分には――』
「ちっ。そういうことかよ」
「え、どういう? あっ」
そうだ、下りの階段は常に出てるんだった。
しかも階段を下りた先には、すぐ横に下り階段が……。
「上層階のモンスターが、あっという間に地上に……下りちゃう」
『にゃふ。その通り。さ、分かったのなら早くここを――』
「そんなのダメ! 地上ではたくさんの人が暮らしてるのっ。その殆どが戦闘能力を持たない人たちなんだからっ」
スタンピードが起こることを知っているのに、自分だけ逃げるなんて絶対ダメ!
「そうだ、具体的にスタンピードっていつ始まるの?」
『リヒトが作ったあの時計が鳴ってから、ピッタリ四八時間後である。時計が鳴って一〇分二三秒経っているであるからして、残りは二八六九分と三七秒……三六秒』
「こまかっ! 時計が鳴ってから時間の余裕があるのって、リヒトさんはその間に対策を講じさせるために猶予を作ったんだよ」
『ふむ。主は人と関わることを面倒くさがっておったが、人を見る目は確かなようだ。それでお嬢さん、いったいどうするつもりであるか?』
「まずは地上に出る。それから冒険者ギルドね。それと――」
しゃがんでカットと目線を合わせる。
それから改めて右手を差し出した。
「私は風原美雪。ここでは苗字があるのは貴族だけらしいから、ミユキって呼んでね」
『ふむ。よろしく、ミユキ嬢』
「ふふ。リヒトさんと同じ呼び方してる」
そう言うと、カットは目を丸くして、それから嬉しそうに笑った。
あ、喉がごろごろ鳴ってる。
やっぱり猫だあぁ。かわゆすぅ~。
「スタンピードが起きる、だと?」
「……っぷ。ぷはははははははは」
「お、お嬢さん、スタンピードなんてなぁ、早々起きるものじゃないんだぜ」
「いったい何を根拠にスタンピードなんて。あ、もしかして、覚えた言葉を使ってみたかったのかなぁ?」
……このクソ冒険者どもめ。
すぐに地上へ上がってギルドに向かい、受付のギルド職員にスタンピードの話をした。
けど、その場にいた冒険者たちが私の話を聞いて笑い出す。
「スタンピード発生前には、地鳴りがするもんだ。おい、地鳴りを聞いたっていう奴はいるか?」
と言った人の言葉に、手を上げる人も声を上げる人もいない。
みんなニヤニヤと笑いながら首を振るだけ。
『ま、こんなものであるよ。人間とは、嘘と真を聞き分ける耳も持ち合わせておらぬ』
「そんな……」
「スタンピード前に地鳴りがなるのは嘘じゃない。だが、鳴ってからものの数分で発生する。それからじゃ遅いんだよ、ここの迷宮の場合には」
ヴァルも珍しく、感情を顔に出してる。
数分じゃ遅い……だからリヒトさんは、時計を数日前にセットしてくれたんだ。
誰か……誰かお願い。
私たちの話を信じて!
「おい、お前ら黙ってろっ」
「いつから冒険者は、仲間を笑いものにするような低俗な奴らの集まりになったんだろうね」
「下層でのんびりやっている連中は、脳内お花畑でいいですね」
「ミユキさん。オレたちは信じるよ、君の言葉を」
そう言って現れたのは――
「あぁ! 今朝の――えっと……」
「そう言えば自己紹介してなかったね。オレたちは冒険者パーティー『鋼の鷹』ってんだ」
は、鋼の鷹!?
パーティー名とかあるんだ?
いや正直恥ずかしい。
私たちの前に現れたのは、今朝別れたばかりの五人組パーティー。
あの時きていた鎧なんかは今はなく、ラフな格好で身綺麗にしていた。
お風呂に入ったのかな?
「は、鋼じゃねえか。あいつら死んだんじゃねえかって噂されてたのに」
「七〇階以上に到達したパーティーだろ。それがなんで無名の、それもガキのパーティーの話を信用するんだ」
お、おおぉ。もしかしてあの五人って、ここでは有名な冒険者なのかな?
「おい、冒険者ギルドは集会場じゃねえんだぞ――って、またお嬢ちゃんか」
カウンターの奥から聞き覚えのある野太い声と共にやって来たのは、
「ギルドマスター。また昼間っからお酒を飲んで!?」
「あぁ? 今日は夜勤なんだ。昼間から酒飲んでたっていいだろう」
「よくありません! もう夕方です。業務時間になるじゃないですかっ」
今日も寝癖で髪がもっさもさになっている、ギルドマスターだった。
このギルド……大丈夫かな。
その飲んだくれマスターが私を見て、頭を掻く。
「なんでぇ、またお嬢ちゃんか」
「ま、また? え?」
またって言われるようなことした覚えないんだけど!
「で、今度は何だ?」
「……ス、スタンピードが、近いうちに発生するんです」
「はぁ? スタンピードだぁ」
うっ。やっぱり信じて貰えない。
「ギルドマスター。オレたちは彼女の話、信じます」
「まぁ待て。おい、ここは騒がしい。奥に来い。にしても鋼の、お前ら生きていたんだな」
「ははは。彼女らのおかげで、ね」
「はーん。ほんっと人助けが好きみてぇだな、そのルーキーは」
ル、ルーキーって、私のことかな?
奥の部屋に通されたのは私たちと、鋼の鷹のリーダーで戦士のウォルトさんと魔術師ナシェルさん。
どかっと椅子に座ったギルドマスターは、私ではなくカットをじーっと見つめた。
「あー……ところでその猫はなんだ?」
『吾輩は猫ではない。誇り高きケットシー族にして、名はカットである』
「はぁ、ケットシー……この迷宮都市でケットシーねぇ」
ん? ケットシーとこの町に、何か関係があるの?
飲んだくれギルドマスターが、しぶーい顔をして口を開く。
「塔の迷宮……七〇階までわずか一カ月で攻略した、最速の賢者――リヒトの使い魔がケットシーだ」
「あ、そのケットシーです。カットはリヒトさんのとこの子だから」
『にゃっふっふ』
へぇ。ギルドマスターもリヒトさんのこと知ってるんだ。
ってかリヒトさんは七〇階まで一カ月で……すごっ。
でもまぁ、番人召喚の方法知ってれば可能か。
「お、おま、お前、そのケットシーが、あの賢者リヒトの使い魔だって言うのか!?」
「はい。ね、カット」
『にゃふぅ。如何にも。吾輩の主の名はリヒト。その主の命により、吾輩は今後、このお嬢さんの助けをするべく共に行くことを決めたのだ』
「リヒトの命だぁ? 賢者リヒトは何十年も前に、鉱山で発生したスタンピード鎮圧に向かって死んでんだろ」
「ギルドマスター! この子の前でリヒトさんが――『ミユキ嬢』」
カットはにっこり笑って『構わないのである』と静かに言う。
『主が亡くなったのは事実。吾輩はもう大丈夫である』
「カットぉ」
「それで、ギルドマスターは俺たちの話を信用するのか、しねぇのか」
ヴァルがしびれを切らしたように言うと、ギルドマスターは腕を組んでうぅんと唸りだした。
リヒトさんやカットのことを知ってるし、ちょっとは希望はあったのに。
「信じる。いや、ようやく俺たちの疑念が払拭されたというべきか」
「え……信じて、くれるんですか?」
「疑念って、どういうことだ?」
私とヴァルの言葉に、ギルドマスターは頷いてからウォルトさんたちを見た。
「鋼の、お前たち七〇階付近をずっと攻略していたな」
「えぇ。ようやく七五階に上がったとこだ。さすがに疲れたんで、塔の攻略はここで止めようかと思ってたところでね」
「そうか。それでお前ら、ここ数カ月で、上層階のモンスターに違和感を覚えなかったか?」
え、なに? 何の話?
「違和感……そういやダリルが、最近モンスターが増えてないかとか愚痴ってたな」
「気のせいと言われればそれまでですが、確かに増えている気はします」
「まぁ……増えた気がすると言われれば、なんとなくそうかもってのはオレも感じていた」
う……トーヤさんたちから聞いた話と同じだ。
私たちは一気に駆け上がって来たし、前がどうだったのかは分からない。
それに今の話だと、下層では変わらずって感じだね。
「半年ぐらい前から上層階に行ってる奴らから、そういう話はちょいちょい出てはいたんだ。考えられる答えは三つ。ひとつ――気のせい」
気のせいかよ!
「二つ。攻略しようとする冒険者が増えたことで、迷宮がそれに合わせてモンスターの数を増やしやがった」
え、そういうのあるの?
「三つ――スタンピードの前兆」
「それ!」
「これじゃねえことを一番に願っていたんだがなぁ。それで、お嬢ちゃんはなんでそれを知ったんだ」
『おほん。それは吾輩からご説明しよう。我が主リヒトが、この迷宮で将来起こり得るスタンピードの時期について、調査をしていたのである。その結果――』
カットはそう言うと、上着の内ポケットから懐中時計を取り出した。
『これより二八四五分と一九秒後にスタンピードが発生することが分かったのである』
「こまかっ!」
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ケットシーの名前を「カント」から「カット」に変更しました。
伯爵の英語読みがカウントで、そこから取ったのですが
まさか「カント」というのが卑猥な名称だと知らず・・・orz
しかしカットにしたことで2章のエピローグにいいネタが仕込めました。
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