第55話:吾輩は猫ではない

『吾輩は主よりここの管理を任された、ケットシーである』


 この猫……リヒトさんの記憶に出て来てた子だ。

 アメリカンショートヘアみたいな、濃いグレーと薄いグレーの縞模様。

 記憶の中では猫そのものだったけど、あの子、ケットシーだったの?


『それでお嬢さん。ここへはいったい何の用で来られたのかにゃ』

「あ、はいっ。ここへはリヒトさんに言われて来たの」

『リヒト……そんなはずはないにゃっ。リヒトは……主はとうの昔にっ』


 あぁ、この子は知っているんだ。

 リヒトさんがもうこの世にいないことを。

 それでもずっと待っていたんだ。

 戻ってこないと分かっていても、ずっと。


 制服の胸ポケットから、学生手帳を取り出す。

 リヒトさんが残したメモが掛かれたページを開いて、猫に見せた。


『ぁ……あぁ、それはまさしく主の、リヒトの文字』


 猫が手を伸ばして、手帳を抱きしめる。


「あのね、リヒトさんはね――」


 大事そうに手帳を抱きしめる猫に、リヒトさんたちとの出会いを話してあげた。


 短くて、そして長い話。

 全部話し終えると、猫は手帳をパタンと閉じて私に差し出した。


『そうか……リヒトはみんなと共に逝ったのだにゃ』

「うん。だから寂しくないはずだよ」

『うむ。むしろヴォルフあたりがうるさくて、主はうんざりしているだろうな』


 その光景が目に浮かぶようで、思わず笑ってしまった。


『ふむ。つまり主はここにある物を、お嬢さんに譲ったということであるな。異世界から来たお嬢さんに』

「え!? ど、どうして分かったの?」

『どうして? 吾輩はそこの小僧とは違うのである』

「ちっ。俺だって途中から気付いていたさっ」

『吾輩は最初から気づいていたが? だから言ったであろう、不思議なお嬢さん――と』


 なんでこの二人、初対面でいがみ合ってるの?






「うぅ、字ばっかり」


 好きに読んでもいいというから、適当に何冊か手に取ってページを開いてみたんだけど……。

 辞書みたいに文字がびっしり。

 魔術の基本も知らないもんだから、分からない単語が多くて内容もさっぱり頭に入らない。

 

『それは魔術のなりたちを記した本だ。読んでも新しい魔法を習得することは出来ないのである』

「できんのかいっ!」


 一生懸命読んでたのに……読む前に言ってよ!


『にゃっふっふっふ。お嬢さん、勉強は嫌いかにゃ?』

「嫌い!」

『……即答』

「くくくくっ」

「そこ、笑わない! だったらヴァルはどうなの。勉強好き?」


 と尋ねると、すぐさま視線を逸らしてヴァルはソファーに寝転んだ。

 あー、それが答えね。

 ヴァルだって嫌いなんじゃん!


『にゃっふっふ。確か異世界人は、この世界に来た頃にはまだ初期魔法しか使えぬのであったな』

「初期魔法がどれなのか分からないけど、使える魔法は意外と少なかったよ。ヴァルが教えてくれたから、少しずつ増えていってるけど」

『小僧の知識では少しずつが限界であるなぁ』

「何が言いたい」

『何も。ただ吾輩であれば、全ての魔法の知識を教えることが出来るのでな。主の教えは全て、吾輩のここにあるのでな』


 そう言って猫は自分の頭を指さした。

 かわいい。そんでもってなんかカッコいい。


『吾輩はここから離れられぬ。故にお嬢さん、しばらくここに滞在するがいい』

「出られないって、どうして?」

『それが主との、最後の契約なのであるよ』

「契約ってお前、主人はとうの昔に――」

「ヴァルッ」


 ヴァルが言いたいことは分かる。

 リヒトさんはもういない。ずっと前からいない。

 契約主が亡くなっているのなら、その契約はもう存在しないのも同じ。

 幻獣との契約は、そういうものなんだろう。


 でも――

 この子はずっとここにいた。

 たったひとりで、ずっと待っていたんだ。

 それって、リヒトさんのことが大好きだったからだよね。


「リヒトさんを連れてこれなくって、ごめんね」

『……お嬢さんが謝る必要などないのである』

「うん。でもごめん」


 そう言えばリヒトさん、連れて行ってくれとか言ってたっけ。

 あの時は深く考えないで、持って行けっていう意味なのかなって思ってたけど。


 ここにずっとひとりでいさせたくなかったんだろうな。

 寂しいよね、ひとりは。


「猫ちゃん、ずっとひとりでいたらリヒトさんも心配すると思うんだ」

『ね、猫ちゃん!? わ、吾輩は猫ではなく――』

「くくくく」

『笑うでないぞ、若造っ』


 もう、なんでこの二人は仲が悪いの。


「ここを守る必要もなくなったから、猫ちゃんも自由にしていいんだよ。ここから出て、お家に帰るとかさ。えっと、幻獣って別の世界で暮らしてるんだっけ?」

「あぁ、幻獣や精霊はこの世界と隣接する、別の世界――というより、別の空間というべきか? 迷宮と同じようなもんだ。ただその入口は普通では見えないようになっている」


 あー、うん。難しそうなことはいいや。


「じゃ、その入口まで送ってあげる。仲間と一緒に暮らす方が、リヒトさんもきっと安心すると思うよ」

『吾輩が……幻獣界に……』

「うん。お家まで連れて行ってあげる。だから一緒に行こう、猫ちゃん」


 差し出した右手を、猫は不思議そうにじぃーっと見つめた。

 その手を掴みかけて、引っ込めてしまう。


『わ、吾輩は猫ちゃんではないのだ。吾輩はケットシー。誇り高き幻獣の一族だ』

「あ、そっか。じゃあ……えっと、でもケットシーって種族名で、名前じゃないよね?」

『幻獣に名はない。主がつ――』

「え、そうなの? んー、じゃあ……」


 なんか貴族っぽいし、カッコいいのがいいな。

 男爵はバロンだっけ。

 うぅん、なんか猫でバロンって名前のアニメあったよなぁ。

 じゃ公爵でデューク?

 うっ。おじいちゃんが読んでた、眉毛の濃いスナイパーの主人公がたしかデューク……。

 却下! 眉の濃い猫を想像してしまうからダメ、絶対ダメ!


『吾輩の話を聞くのだお嬢さん』

「そうだ、カットはどう?」

『にゃ!?』

「私の世界でさ、カウントって読む爵位があるんだけど」

「そりゃ伯爵だろ?」

「そう! こっちの世界でもそんな風に呼ぶの?」

「呼ぶっつぅか、冒険者なんかが二つ名で使う時にな。実際の伯爵と混在するってんで、俗称として使われているんだ」


 ふぅーん。

 この世界にも厨二病とかあるんだ。


「そのカウントだけど、名前にするにはなんか響きが微妙でさ。ケットシーと足して二で割ったみたいだし、いい感じでしょ?」

「なんだそりゃ」

「カッコかわいい響きだと思うんだけどなぁ。やっぱダメ? 私のネーミングセンスだと、これが限界なんだけど」

「ケットシーがかわいいねぇ」

「かわいいじゃん! 猫だよ。猫様なんだよ。最高かよっ」


 猫吸いしたぁい。


『おほんっ。だから吾輩は猫ではない』

「あっ。ご、ごめんごめん。ケットシーだね、うん」


 オラクルをくいっと持ち上げ、身だしなみを整える猫――もとい、ケットシー。

 それから私の手を掴んで、軽く会釈をする。


『吾輩は誇り高きケットシーである。名は――カット』

「え……それじゃ」


 いつの間にか杖を手に持った猫――じゃなくってケットシー改めカットは、その杖でこつんと床を小突く。


『吾輩の主はただひとり。だが主に代わって、お嬢さんの面倒を見てやろう』

「は? こいつの面倒は俺が見てやってんだ。必要ねぇ」

『にゃふふ。小僧では力不足であろう』

「なんだと、このクソ猫」

『やるか、クソい――」

「もう! 二人ともなんでそんなに仲が悪いのっ」


 にらみ合う二人の間に割って入ろうとしたとき、ゴーンっという。古い壁時計のような音がした。


『ふむ。もうそんな時間か』

「ん? なんの時間?」

『うむ。間もなくスタンピードが始まるという合図だ』

「ほーん。スタンピー……」


 ん?

 それってもしかして、ダンジョンものの漫画とかでもよく見る――


 暴走したモンスターが迷宮から地上に向かって、大行進する……。


「「スタンピードぉ!?」」


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