「樹」 - 2 -
八百屋の前の信号を待っている間、手持ち無沙汰なのでなんとなく店先の野菜を眺めていた。小松菜、茄子、さつまいもなど、旬の野菜が前面に並んでいる。
「こんにちは」
「こんに……ちは……」
声を掛けられて顔を上げると、腰巻きを巻いて車のナンバーみたいな数字の入った帽子を被ったおじさんがいた。ここの店主のようだ。
「この辺では見掛けない子だね」
反射的に挨拶を返したものの戸惑っていると、おじさんはふんわりと人の良さそうな笑顔を向けた。その笑顔に私は受け入れられたような気持ちになって、しっかりとおじさんの方を向いて立ち直す。
「ここから少し歩いたところに引っ越してきたんです」
「そうなのかい? はじめまして。お近づきの印にこれをあげよう」
おじさんは側の籠に積まれていた小さめのみかんを取り、私の胸の前に差し出した。
「いいの?」
“早生みかん 五個三百円”と籠の側の札には書かれていた。つまりこのみかんは六十円。そのくらいなら財布に入っているはず。そうせいみかん? はやなまみかん? 読み方は分からない。
「数が半端で余ってるみかんだから、気にせず貰って。
「“早生”と書いて、“わせ”って読むんだ」
「旬より早い今の時期のみかんをそう言うんだ。ちょっと酸っぱいかもしれないけど、美味しいよ」
「ありがとうございます。お母さんにいい八百屋さんだよって言っときます」
「ありがとう。ご贔屓に」
背負っていたリュックの底に潰れないようそっとみかんを入れる。公園でいい場所を見付けたら食べよう。その内に信号は青になり、おじさんに手を振った。
信号を渡り、公園の入り口の地図を見上げる。山に沿っているため、公園は山を囲うように空豆のような形をしているらしい。この入り口は公園の端に当たり北側に位置している。北側には広場や遊具のある公園があり、南側には競技場や武道場などの施設が集まっているようだ。
歩き始めると気温が僅かに下がったような感じがした。左右に背の高い木が聳えていて、木がこちらを見下ろしているようだ。葉が風に靡いてザァという音が降ってくる。道は舗装されていたが、脇にある木は並んで生えてはおらず道も蛇行しているから、元々あった森を切り開いて公園を作ったことがよく分かる。
ピチチとどこかで鳥の声がした。右斜め上辺りの木の葉が揺れるが姿は見えない。続けて遠くの方でピチチと同じように返事が聞こえる。鳥達もここがかつて森だったときから変わらずここに住み着いている鳥なのかもしれない。自然と公園が上手に共生している場所なんだということをひしひしと肌で感じる。公園の外と違って温度を少し低く感じるのも、木が多く空気が澄んでいるからだろうか。居心地が良くて、私は体の空気を入れ替えるように深く息を吸い、ゆっくりと吐いた。
丸太を模した立て看板があり、“←桜広場 北椚公園→”、と書かれていた。右側の木の合間からは遊具が見えて、子どもが遊ぶ声が聞こえた。左側はバトミントンのパトゥンと羽根を打つ音やキャッチボールのバスンとミトンでボールをキャッチする音がする。広場にいるのは年上が多いように見える。私が求めているのは同年代の一生の親友なので、右の公園に進んだ。
公園を見た瞬間、私はこの光景を知っていると思った。こういうのをデジャブと呼ぶらしいが、私はなぜデジャブが起きたのか心当たりがあった。父親の写真でこの場所を見たことがあるのだ。確かあの滑り台を父と父の友達が滑っていたはず。記憶の滑り台はビリジアンだったが、塗り替えられたのか青・赤・黄色でポップな色に仕上げられていた。父の友達は今も父と仲が良いらしく、引っ越してきた家もその友達が教えてくれたらしい。父の一生の親友と呼んで差し支えない人に違いない。羨ましい。私も一生の親友と滑り台を滑りたいものだ。
遊具が集まっているところに中途半端に空間が空いていた。確かここには鉄の格子で作った丸い遊具があったはず。その証拠に支柱になっていた鉄が今も地面に埋まっていた。撤去されたようだ。その側に何かが落ちていることに気付く。
虫かごの透明のフタだ。
誰かの物ではないだろうかと見回すと、先の方に虫取り網を持ち肩から斜めに虫かごを提げた男の子がいる。おそらく彼のものだろう。このままではせっかく取った虫が逃げてしまう。
渡そうと追うも距離が離れていて中々追い付けない。そして公園の端に行ったかと思うと姿を見失った。公園の周囲は木が乱立していて、二メートルほどのフェンスで森と公園を隔てている。
消えるはずは無いだろう、とウロウロしているとフェンスの向こうに男の子がいて森の奥へと歩いていく姿が見えた。
「ねぇ! フタ落としてるよ!」
しかし声は届かず、彼はどんどん先へと行ってしまう。
フェンスを昇ったような音はしなかったから、おそらくこの辺に出入り口か何かがあるはず。そう思って探していたら、公園から森へフェンスの間を突き抜けている葉があった。もしかしてと思いその葉を掻き分けると、案の定フェンスに穴が空いていた。丁度子どもなら通れる大きさの穴だ。
私はリュックを下ろして地面に膝を付き、服を引っ掻けないように気を付けながら穴を通り、森へと出てリュックを自分の方へ引きずり込む。
遠くの方にはまだ男の子の後ろ姿が見えた。慣れているのか、岩があっても身軽にひょうひょいと軽い足取りで進んでいく。彼の姿を見失わないようにしながら、私は後を追った。
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