第109話 影の魔物

 とうとう俺たちは旧ゴーマゲオ帝国領にたどり着いた。元帝国とは名ばかりでとても殺風景だった。その手前にある集落で馬車をおりると、到着を待っていたのかあばら家から一人の女性が現れて出迎えた。


「お待ちしておりましたリュデル様。初めまして、モニカと申します」

「お噂はかねがね伺っています。滞在の許可をいただきありがとうございます」


 リュデルはモニカと名乗った女性と挨拶と握手を交わした。続いてメメルとフルルが、そして次に俺たちを紹介した。


「モニカ様、こちらは今回の調査に協力していただく準1級の冒険者たちです」


 リュデルがあごをくいっと動かして急かすので俺は一歩前に出た。


「初めまして。アーデン・シルバーと言います。よろしくお願いします」


 俺に続いてレイア、アンジュ、カイトもそれぞれに自己紹介をした。その中でも、俺の名前を聞いた時にモニカさんはぴくりと反応していた。


「あのう、聞いてもよろしいですか?」

「は、はい。何でしょうか?」


 改まって聞いてくるものだから俺は身構えてしまった。モニカさんがごくりと唾を飲み込む音を喉で鳴らした。思わず俺も同様に唾を飲み込んだ。


「本当にあなたはブラック・シルバー様のご子息ですか?」

「え?はいそうですけど」


 その瞬間、モニカさんは飛び跳ねて喜びをあらわにした。キャーキャーと黄色い声を上げてあばら家に戻ると、急いで飛び出してきて俺に本とペンを差し出した。


「あのっ!もしよかったらサインをいただけないでしょうか!!」


 ビシッと頭を下げた姿勢から本をずっと差し出し続けている。どうすればいいのかと迷っていると、リュデルがため息をついて俺の耳元でささやいた。


「表紙を開いて余白に名前を書き込め、それで十分だ。話が進まないから早くしろ」


 俺は言われるがままに本を受け取ってから名前を書き込んだ。それをモニカさんに渡すと、彼女はまた飛び跳ねて喜んだ。


「ありがとうございます!家宝にしますっ!!」


 そう叫んだモニカさんの目は一点の曇りもなく輝いていた。




「いやあ取り乱してしまって申し訳ありません。リュデル様からアーデン様の情報を聞いた時からずっとうずうずしていたんです」


 やっとモニカさんが落ち着いて話を始める。胸には俺がただただ名前を書き込んだだけの本を大事そうに抱えている。


 名前を書いた時には気が付かなかったが、モニカさんが持っている本は父さんの冒険譚が書かれた物語だった。


「私冒険者ブラック・シルバー様の大ファンでして、彼に関する出版物はすべて集めて読みました。夢と危険の隣り合わせ、血湧き肉躍る強敵との死闘、そして冒険の先で見つける数々のお宝。はああぁたまりません」


 モニカさんは恍惚とした表情で空を見つめた。俺は父さんの冒険のすべてを知る訳ではないが、これでもかという程に脚色されているのだろうというのは想像に難くない。


 もし父さんの手記を見せたら、あまりのギャップにモニカさんは気絶してしまうのではないかと思った。後、家で見た父さんの姿についても言及しないほうがいいだろう。


 リュデルがわざとらしく咳払いをした。モニカさんはハッとしてそれに気が付き、緩んだ表情をきりっと引き締めた。雰囲気ががらりと変わって真面目になる。


「改めまして、私の名はモニカ・ワード。エイジション帝国歴史研究機関に所属しています。専攻は帝国のもっとも古い歴史で、ここ旧ゴーマゲオ帝国領の統括責任者を任されています」

「モニカ様のワード家は代々優秀な学者を輩出しておられていて、勿論モニカ様も大変優秀な学者です」

「ロールド家の次期当主様から直接お褒めにあずかり光栄ですわ。しかし家名は名高くとも私はまだまだ若輩の身、誇れるような成果を上げることも出来ない未熟者です」


 さっきまでのやり取りが嘘のような光景だった。ほどよい緊張感のある大人の会話という感じだ、少なくとも俺にはこのような雰囲気はかもしだせないだろう。


 しかしこのままだんまりという訳にもいかない。俺は来てすぐに思ったことを聞いてみる。


「ちょっと聞いてもいいですか?」

「勿論です」

「ここって帝国の歴史研究の最前線ってことですよね?そのわりには少しこう…」

「殺風景ですか?」


 モニカさんが言った言葉に俺は頷いた。


「アーデン様のおっしゃる通り、ここには必要最低限の施設や資材しか配置しておりません。この集落も、研究員たちのセーフエリアという役割以上のものはありませんから」

「そうしなければいけない理由があるということですね?」

「そうですアンジュ様、しかし口で説明するだけでは実感のわかない話だと思います。旅の疲れもあるでしょう、夜までゆっくりお休みになられてください」


 実感がわかないとはどういう意味だろう、事情を知らない俺たち四人は顔を見合わせて首を捻った。移動ばかりで体力はあり余っているのだが、そういうことならと俺たちは荷物を下ろすことにした。




 日が暮れて夜がおとずれる。いやに静かな夜だ、明かりは焚き火だけでそれがパチパチと弾ける音だけが夜を鳴らしていた。


「これ変よね?」

「ああ、やけに静かだ。静かすぎる」


 昼には昼の、夜には夜の喧騒というものがある。まったく静かになることなどそうそうない、何もない海の上でさえもそうだった。


 ここは静かすぎる。がさがさと動物の走る音、ひそやかな虫の声、ぎらつく魔物の気配、夜は想像以上に騒がしいものだ。


「なーんか嫌な感じだ」

「カイトさんには何か分かるんですか?」

「いや、嫌な感じがするだけではっきりと何か分かる訳じゃあない。ただ肌にびりびりとくる、何が起こっているんだ」


 カイトが険しい顔つきで辺りを見渡した。手を見ると少し震えていた。カイトが震えるほどのことって一体何だ、それを見ていた俺も恐れを抱きはじめた時、それは唐突に始まった。


 全身が痺れるようなおぞましい気配、ぶわっと吹き出した冷や汗、息をすることでさえ苦しいくらいだった。俺は咄嗟にファンタジアロッドを抜き構えた。


「アーデン?」

「ハァ、ハァ、な、何だこの気配は…」


 心配そうに俺の顔を覗き込むレイアを気づかう余裕もなかった。流れる汗が顔を伝って落ちた。余裕のない俺の肩にリュデルが手を置いた。


「おいアーデン、お前今から何が起こるのか分かるのか?」

「分かんねえよ!知ってるなら教えてくれ、このおぞましい気配は一体何だ!」

「僕も本質を知っているわけじゃあない。ただこれだけは言える、この魔物は恨みが形をもったものだ」


 旧ゴーマゲオ帝国領は殺風景な平野が続いている、この集落から見える景色も実に寂しいものだった。


 その殺風景な平野に、突如としてうごめく影が一つ、また一つと立ち上がるのが見えた。月明かりが照らしているというのに、それは真っ黒で闇に包まれていた。


「ここ旧ゴーマゲオ帝国領では、毎夜あの魔物が地表から現れます。そして手当たり次第に暴れまわり、夜が明けるまで互いに殺し合うのです」


 モニカさんが隣に立って話しはじめた。それにカイトが反応する。


「それは仲間割れってことかい?」

「詳しいことは何も分かっていません。しかしあの姿を見てください」


 指さした先を見る。影の魔物は徐々にその形を不定形なものから変えていき、人の姿のようになった。そして自らの体の中に手を入れて、剣や槍、戦斧や弓などの武器を取り出した。


 そしてついには他の影の魔物との殺し合いが始まった。しかしそれは、相手を認識しているようには見えず、ただそこにあるものを破壊しているように見えた。


「あれに仲間意識があるとは思えません。私たちはあれを衝動と呼んでいます」

「衝動、ですか?」

「はい。ただ目の前にあるすべてを傷つける目的のみをもった衝動。攻撃とも言えない癇癪のようなものだと推察しています。この土地はあの影の魔物が暴れまわるせいで、生き物は生息出来ず、草木は踏み荒らされ育たず、他の魔物も近づけない魔境となっているのです」


 ゴーマゲオ帝国の跡地が何故殺風景なのか、その理由がモニカさんから明かされた。あのおぞましい気配の魔物はただひたすらに戦いつづけている、斬られた体から飛び散った黒い泥のようなものが地面をべしゃりと濡らす。


 あれは魔物の血なのだろうか、信じがたい光景を目の前にし、俺たちはただ呆然とそれを眺めていることしか出来なかった。

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