第103話 水のニンフ その2
ニンフから伝えられた事実に俺達が閉口していると、ニンフの声色はまた美しい鈴の音のようになり雰囲気も元に戻った。
「少々脅してしまいましたが、その役割は私の力の一側面に過ぎません。私は別に争いを好みませんし、そもそもこの世界が好きです。この力だって使うことがない事を願っています。答えには満足出来ましたかアンジュ?」
「…はい。答えていただきありがとうございます」
「そんな畏まらずともいいのですよ?もっと友好的にお話しましょう?」
「あ、いえ。これは私の素です。十分友好的に思っています。心配でしたら心を読んでいただいて構いません」
ニンフは「どれどれ」と言いながら目を閉じた。そしてすぐにぱちっと目を開ける。
「あら、本当でした。アンジュは誰に対しても言葉遣いが丁寧なのですね。ちらりと見えたお婆様の教育かしら?」
「見えたのは恐らく、私がいた孤児院の院長先生の姿ですね。ニンフの言う通り、私は幼い頃からそう教わってきました。大人に軽く見られる事がないようにと」
「愛されていたのですね。とても幸せそうな記憶でした」
ニンフの優しい声にアンジュは照れて赤面していた。そんなやり取りを微笑ましく見守りながら俺は口を開いた。
「ニンフ、俺達伝説の地へ行きたいんだ。あなたの竜の印を俺達に授けてくれないか?」
「ええ勿論構いませんよ。ただ少し待ってください」
そう言うとニンフは俺の目の前までぐいっと顔を近づけてきた。全身をくまなく見て回り、満足げに頷くと離れていく。
「よかった。傷はすっかり治ったようですね。癒やしの力を使ったのは久方ぶりで自信がなかったのでホッとしました」
「どういう事?」
俺が聞く前にレイアが我慢できなくて聞いた。
「宝玉を取り込んでしまった哀れな魔物がいたでしょう。彼はその戦いの中で酷く傷ついていました。とても見ていられなくて私が助けて海の上まで運んだのです」
「もしかしてメイルストロムと戦った後の事?」
「はい、そのままでは死んでしまう大怪我を負っていました。それはあの激戦を制した強者に相応しくない最期です。だから勝手ながら助けさせていただきました」
それからニンフは、俺がどれだけ無茶をしたのかを皆に話してしまった。あんまり覚えていないとはぐらかしていた事まで包み隠さなかったので、俺はレイアとアンジュに鬼の形相で詰め寄られた。
「待って待って!あの時はああするしかなかったんだって!」
「問答」
「無用です」
「お、お手柔らかにお願いします」
俺は両手を上げて観念すると、二人から雨のように注がれる説教に打たれて目を閉じた。
アーデンがレイアとアンジュに詰め寄られている時、カイトは一歩引いた所でそれを見ていた。
「アー坊は愛されてるねえ…」
「何を他人事のように、あなたも仲間の一人として十分愛されていますよ」
ニンフはカイトにそう言った。しかしカイトは不安げに俯く。
「どうですかねえ。俺ぁ結局裏切り者には違いねえ。お嬢と戦ったあの夜も、俺は本気でお嬢を殺そうとした。それだけじゃあない、俺はあのままオリガに自分の命を握られたままだったら、最後には全員殺すつもりだった。俺ぁ俺が生きる為ならその覚悟も辞さない下衆ですよ」
「しかしそうはならなかった。違いますか?」
「そりゃ結果はそうだけど、それはただ運がよかっただけで…」
「運ではありませんよ。私には分かります。あなたはようやくヴィクターの望みを果たす事が出来たのです」
カイトはぴくりと眉を顰めた。それはニンフがヴィクター博士の名前を出したからだった。動揺混じりにカイトは聞く。
「どうして博士の事を知ってるのかは置いておくとして、何ですかい?その望みって言うのは」
「あなたは彼から世界に送り出された時、何と言われたか覚えているでしょう?」
「勿論。忘れる訳がない」
「では分かる筈です。ヴィクターは最後、あなたに仲間を作れと言いました。その事があなたを生かす事になると言いました。そしてあなたは彼らに出会った。そしてそれがあなたを救った。ヴィクターの言った通りになったでしょう?」
ニンフは優しく諭すようにカイトに語りかけた。しかしカイトは大きく頭を振って言った。
「やっぱりそれはただの結果でしかない。俺ぁあいつらの仲間になんかなれやしないですよ」
「それはあなたが人ならざる力を持っているからですか?自らを化け物だと蔑み、人として生きる事に恐怖を感じている。それが理由ですか?」
「…読んだのか、趣味が悪い事で」
「いいえ。読むまでもありません。私には分かります。あなたが過ぎた力を恐れている事も、人ではない化け物だと苦悩している事も、本当は仲間を作る事が怖いという事も分かっています」
カイトは俯き、肩を落とした。そして絞り出したような声で言う。
「ああそうだよ。俺は俺が恐ろしい、俺の体は全身くまなく改造されて弄くり回されているし、中身はアーティファクトに置換されている。その気になれば腕の一振りで人をバラバラに出来るし、蹴飛ばせばぐちゃぐちゃにする事も出来る。どんな大怪我しようが寝りゃ治るし、頑強な体はそうそう傷つきもしない。これが化け物じゃなかったら何だって言うんだよ」
途中からカイトの声色には怒気が混ざっていた。その憤りは、普段はひた隠しにして見せないものだった。ニンフとの問答に感情が揺さぶられて、ついこぼれ出てしまった。
「…確かにあなたには人の身に余る大いなる力があります。あなたは望まなかった力が。しかしあなたは、生みの親であるヴィクターの改心によってその力をどう振るうかの選択肢が与えられた。力をどう扱うのか、そしてあなたがそれについてどう考えるのか、それがあなたを人足らしめる事に繋がるのではないですか?」
「力の使い道か…」
「あなたの仲間は、あなたが持つ力を恐れ蔑むような人ですか?」
「違う」
「人ならざる事を受け入れない人ですか?」
「違う」
「あなたは、その望まざるも手に入れた大いなる力を、誰が為に使うと願うのですか?」
「…仲間の、人の為に使いたい。俺が化け物だって事実は変えられないけど、どう生きたのかで誇れるようになりたいっ!」
カイトは思わず叫んでいた。ニンフはそれを聞き入れると、海を飛び出して全身を現した。
「よき答えです。我が印を授けるに相応しい。さあ右手を出してください」
言われるがままにカイトは右手を差し出す。ニンフは美しく小さな泡を生み出すと、それをカイトの手へと送った。
手に当たった泡が弾けると、カイトの右手の甲に文様が浮き上がる、竜と水を象り青く輝く竜の印は、手に馴染むようにスッと消えた。
「ニンフっ!これって…」
「それは竜の印、私が司る力の印。カイト、水とは時に激しく打ち人々を苦しめる事もあれば、穏やかに流れ恵みをもたらす事も出来る。力に飲まれてはなりません、力に身を任せる事です。いつか私の印があなたの助けになると信じていますよ」
俺がレイアとアンジュに詰め寄られている間に、カイトがニンフから竜の印を授かったようだ。俺達がカイトに駆け寄ると、竜の印が少しだけ輝いて見せた。
「いやいやいや。これって伝説の地への鍵なんだろ?それを俺が貰っちゃまずいだろ!」
慌てるカイトにレイアが言った。
「何?あんた旅について来ない気だったの?」
「へ?」
「復讐とまではいかなくとも、気になってるんじゃあないの?グリム・オーダーの事」
レイアの言葉にカイトは困ったような顔をして目線を泳がせた。
「いやでもよ…」
「それにあんたのフレアハートのメンテナンス出来るの私だけなのよ?ついてこないでどうすんのよ」
「そうじゃなくてさ」
言い淀むカイトにレイアはぐいぐいと詰め寄った。俺はそんなレイアの肩に手を置いて落ち着けと諭してからカイトに言った。
「カイトはあれだろ?俺達の事を裏切ったと思ってるんだろ?」
「思ってるって、俺は裏切り者だぞアー坊」
「じゃあ俺達は死んでないとおかしいよな。だってカイトはそうするつもりだったんだから。でもそうはならなかった。ならそれでいいんじゃあないかな」
俺のその言葉にカイトはたじろいだ。後ずさるカイトの背に回っていたアンジュが、わっと大声で脅かした。
「うおっ!びっくりした!」
「カイトさんは一人で何でもやろうとし過ぎです。それに気持ちは素直に伝えた方がいいですよ、一緒に行きたいって、そう思っているんじゃあないですか?」
「アンジー…、だけどさ、いいのかな?本当に俺が皆と一緒に行ってもいいのか?俺が一緒にいたら、またグリム・オーダーの奴らがちょっかいかけてくるかも知れないし。それに…」
まごまごとするカイトに業を煮やしたレイアは、カイトのみぞおちの辺りを殴りつけた。殴ったレイアが痛そうに涙目になっていたが、何事もなかったかのように強がって言った。
「ぐだぐだ言ってんじゃないわよ!一緒に行くの?行かないの?どっち!?」
「お嬢…」
「俺達はさ、伝説の地に行くんだ。カイトも一緒に行こうよ。多分その過程でグリム・オーダーは勝手に向こうからやってくるよ。でもそんな事関係ない、俺はカイトと一緒に伝説の地へ行きたいよ」
そう言って俺はカイトに右手を差し出した。手を取ろうか迷う行き場のないカイトの右手を、俺は無理やり取って強く握りしめた。
「本当にいいのか?」
「ああ、一緒に行こう!伝説の地に!」
俺はカイトに笑ってみせた。それを見てカイトはふっと表情を緩め、握り返す手の力を強めた。
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