第102話 水のニンフ その1

 オリガ女王がグリム・オーダーの手先であった事、それは国を揺るがす大きな事件だった。


 当然城内は騒然となり、事後処理に追われ国政は荒れに荒れる事となる。事情を知らなかったとは言え、悪事に加担していた可能性があるのは大問題であった。


 シーアライドは冒険者ギルドと協力し、グリム・オーダーの残党や、活動の痕跡がないかの確認に奔走していた。国民に不安が広がらないように、水面下での奮闘が続いている。


 俺達はオリガ女王の正体を暴いたものの、それ以上関与する手立てもなく、メイルストロムにおける功績なども有耶無耶になり消えた。


 別に称賛されたくてやった訳じゃあない。だから俺は代わりにある要求をした。それは集めた宝玉を渡してもらうというものだった。


 宝玉を要求したその理由は、最後の宝玉を集めた後に記載された手記の内容によるものだった。




 ついに宝玉を三つ揃えたか、やれると信じていたぞアーデン。そこにいるだろう仲間達もありがとうな、これからも息子を支えてやってほしい。


 ニンフに会うには海に出る必要がある。竜がいる場所は特別だからな、色々と手順があって面倒だろうが勘弁してやってくれ。


 でもニンフに会うのは他の竜に比べて簡単だぞ。沖に出て船の上から三つの宝玉を投げ捨てればいい、ポイッとなポイッと。どこでもいいぞ、海ならどこでもいい。


 大丈夫大丈夫、投げ捨てた宝玉はちゃんと元の場所に戻るから。どこで投げ捨てようとも元の場所に戻るんだよ。どんな仕組みをしてるのかよく分からんが、忘れ物とかしなくてよさそうで便利だよな。


 投げ捨てた後はちょっと驚くかもしれんな。楽しみにしてろよ。ニンフに会ったら元気でやってるかと伝えておいてくれ。


 じゃあまた。お前が伝説の地を追い続けるならいつか。




「アー坊!この辺でいいか?」


 カイトが声をかけてきて俺はハッと気がつく。顔を上げて答えた。


「場所の指定はないから大丈夫。海ならどこでもいいってさ」

「何だよ、結構大雑把なんだな」


 カイトの言っている事は正鵠を得ていた。サラマンドラの時は地図と伝承を照らし合わせてようやく見つけたのだが、ニンフに会うのは単純過ぎるような気がする。


「サラマンドラの時はそうでもなかったんだけどな。レイアはどう思う?」

「竜については規格外過ぎて分かんないな。アンジュは?」

「うーん。手順についてはよく分かりません。しかしニンフは水を司る竜で大海を統べると書かれていました。海のすべてがニンフの居場所と考えられるかもしれませんね」


 話と疑問は尽きない、だけど俺は宝玉を取り出した。


「それもこれも行ってみれば分かるって事だな!」


 俺はそう言うと宝玉を海へと放り投げた。三つの宝玉は海へボチャンと落ちた。そして底へと沈んでいく。


 父さんの手記に書かれていたちょっと驚くかもという記述が気になるが、ワクワクとした気持ちでその時を待つ。


 しかし、待てども待てども特に変化はなかった。宝玉を投げ捨てた場所にも、海にも、特別変化はない。


「…何も起こらないな」

「ブラックさん、大げさに書いたんじゃないの?適当な事言ってさ」

「有り得そうで嫌だなあ」

「でもおかしいですね。サラマンドラの時は一瞬で世界が変わったのに…」


 俺とレイアとアンジュの三人は揃って首を傾げていた。しかし、カイトだけがある変化に気がついて声を上げる。


「ん?んん…、うん?一雨来そうな気配だな」

「雨?そんな事分かるのか?」

「まあ何となくな。激しい雨になるかもしれん、皆どっかに掴まるか船室へ…」


 カイトが言葉を途中で切った。その理由は一目瞭然で、俺達がいる場所の上にだけ、黒く重たい大きな雲がかかって陰り始めたからだった。


 最初はヒュッと吹く大人しい風だった。それが次第に強くなっていき、何かに掴まっていないと立っていられない程になった。


 次には雨がぽつぽつと降り注ぎ、これも次第に豪雨へと変わる。目の前がまったく見えない激しい雨に包まれて視界が遮られた。


 暴風に豪雨、雷鳴まで聞こえてきた。レイアやアンジュ、カイトの姿はまったく見えない。声も聞こえないし、自分が今どんな状況にいるのかも分からなくなってきた。


 もうすっかり目も開けていられない。俺は皆が無事であることを信じて、しがみついたまま目をギュッと閉じた。




 暴風雨が唐突に止んだ。びしょ濡れになった体を起こし、立ち上がって顔を拭う。ビッと手を振るとびしゃっと水が飛んだ。


「レイア!アンジュ!カイト!皆無事か!?」


 俺が声を張り上げるとまずレイアの声が聞こえてきた。


「酷い目に遭ったけど無事は無事よ」

「わ、私もです…。でもびしょびしょですよ」

「いやあ急だったな。流石に俺も怖かったぜ」


 続いてアンジュとカイトの返事も聞こえてきた。皆が無事なことを確認出来てホッと胸を撫で下ろすと、俺は改めて辺りを見渡した。


 周りは白く濃い霧に包まれていた。船は海の上に浮かんでいるようだが、さっきまでいたシーアライド付近の海ではないと思った。


 まず雰囲気が違う、そして俺はこれに似た雰囲気をよく知っている。これはサラマンドラに会った時の雰囲気とそっくりだ。


 霧の奥で何かが跳ねた水の音がした。バシャバシャと音が近づいてきて、霧の向こうに大きな影が見えてくる。


 ゴクリと息を飲む、ゆっくりと霧が晴れていき影はその姿を現した。


「お待ちしていましたよ、サラマンドラから話は聞いています。アーデン、レイア、アンジュ、私が水のニンフです」


 虹色の泡に包まれて幻想的な白銀の美しくすべらかな体、淡桃の揺らめくヒレはまるでドレスのようだと思った。体の殆どは海の中なので正確な大きさは分からないが、巨大である事は確かだ。


「そして私はあなたの事も知っています。カイト」

「え、俺ですか?」

「そうです。海に生きる者すべてを私は知っています。あなたの事は特に目をかけていました。あなたはとても特別な存在ですから」


 ニンフの声は優しい歌声のように響く、自然と穏やかな気持ちになって心地いい。


「海の神さんに知ってもらってるたあ光栄だな。初めましてニンフさん」

「はい初めまして」


 何だか軽いやり取りだな、そんな事を考えているとニンフが言った。


「ふふっ、軽くていいのですよアーデン。私達竜は神と呼ばれていたり語り継がれていますが、そんな大層なものではありませんので」


 俺は考えを読まれてびくっと体を震わせた。何だかばつが悪くておずおずとニンフに話しかける。


「ニンフは考えてる事が読めるの?」

「おっとごめんなさい。人と語らう時には失礼な所作でしたね。はいっ、今精神感応を切りました。これでもう考えを読んだりは出来ませんよ」


 同じ竜相手でもサラマンドラとは随分性格が違うな、サラマンドラが厳格というイメージで、ニンフはどちらかというと温和、それかちょっと雑な感じだ。


「なあニンフ、ここは一体どこなんだ?」

「ここは狭間の世界、四竜だけが存在を許される特殊な空間。生物無生物問わず認識の範囲外です。ですから、特殊な手順を踏まない限りあなた達の方からこちらに訪れる事は絶対に不可能な場所です」

「認識の範囲外、ですか?」


 アンジュの問いかけにニンフは頷いた。


「竜はその役割から、誰も認識する事が出来ない隔絶された場所にて安置される事となっています。まあ常に居続けるという決まりはないので、私はよく大海へと繰り出していますがね。サラマンドラにはその点をよく咎められます」

「それです。私はそれが気になります」

「そうですよね。サラマンドラのお小言にはほとほと…」


 ニンフのぼやくにアンジュは激しく頭を振った。


「そ、そっちじゃありません!私が気になるのは竜の役割についてです。竜の役割とは一体何ですか?ただ人々を伝説の地へと導くものだけではないと私は考えています」

「それはまたどうしてそう思ったのです?」

「竜が持つ人知を超えた力の存在です。それらは人々に象徴として伝えられ、技術や魔法を発展させ、生きる為の力を与えると同時に争いをもたらすものにもなりました。それは本当に、秘宝の護り神としての力だけの話ですか?」

「…ふうん、話にあった通り聡い子のようですねアンジュ。全てを教える事は出来ませんが、私の役割について話す事は出来ます。お教えしましょう。私、水のニンフはそれが必要だと判断された時、世界のすべてを水で飲み込み綺麗さっぱりに滅ぼす。私の力はその気になればいつでもこの世界に生きとし生けるすべてを殺し切るが出来ます」


 嘘やはったりじゃあない。ニンフの歌のような美しい声色は、一転して重苦しく不気味で恐ろしくなり衝撃の事実を伝えた。


 世界を滅ぼすのがニンフの役割、シーアライドに伝わる話とは大分乖離があるその言葉は、竜とは一体何なのかという考えを、もう一度俺達に深く刻み込んだような気がした。

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