第97話 カイトの過去 その2

 カイトが語る壮絶な過去、アーデンは険しく眉を顰め、レイアはただ黙って聞き、アンジュはすすり泣いていた。語り部のカイトはその様子を見て微笑んだ。


「ありがとうな皆。こんな俺の為に」


 こんなと言ったカイトの言葉に、涙を目にいっぱい浮かべたアンジュはベッドの上に飛びかかった。


「こんなって何ですか!!怒りますよカイトさんッ!!」

「ちょっ、ちょっとアンジュ。落ち着けって」


 興奮するアンジュを、アーデンがなんとか宥めすかそうとする。無理やりカイトの上から引き剥がすと、アンジュは暴れながら言った。


「離してくださいッ!!アーデンさんッ!!離せッ!!」

「いいから落ち着け!動けないカイトに掴みかかるなんてどうかしてるぞ!」


 アーデンが大声でアンジュを叱りつけてようやく落ち着いた。アンジュは涙をこらえて鼻をすすりカイトに言った。


「短い間かもしれませんが私達は仲間だったじゃあないですか…。どうしてそんな寂しい事を言うんですか?」

「アンジー…」


 カイトは泣きながらそう言ったアンジュを見て沈痛な面持ちで言った。


「…だからだよ。俺は皆を騙していた。俺は俺を許すことが出来ない」

「それは…っ」

「はいはい。アンジュもそれくらいにしてやって、ね?まだまだカイトには聞きたい事があるんだから」


 二人の間にレイアが割って入った。アンジュの頭を優しく撫でると、レイアはカイトに向き直った。


「勿論喋るでしょ?」

「ああ、俺の命はもうお嬢の物だからな」

「よろしい。じゃあ逃げ出した後の事を教えて?」


 頷いたカイトはもう一度話を始めた。




 ヴィクター博士がカイトを逃がした方法、それは他の死体と一緒にまとめて海へ投棄する荷物に詰めるというものだった。


 鼻をつく死臭に囲まれながらカイトは息を潜めた。元よりカイトは処分予定ではあったのだが、死後も暫くはカイトの体を使い潰す予定だった組織としては、このような雑な処理ではなく別の方法が考えられていた。


 しかし博士は命がけでその計画を実行した。カイトを逃がすために手を尽くした。組織内は博士の謀反を知って大騒ぎとなったが、その騒ぎさえも利用してカイトは海へと逃された。


 海原へと流されたカイト、死体を詰め込んだ箱は態と魔物や海の生物を寄せ付ける餌も混ぜ込まれている。それは魔物や生き物達にとって海に浮かぶご馳走だった。


 カイトは死体をかき分け中から外へと出た。海に降り注ぐ眩しい陽光がカッとカイトを照らした。暗がりから出たばかりのカイトには眩しすぎる光だったが、同時に自分が自由になったと実感した瞬間であった。


 海から出たらすぐ死体から離れろと言われていた事を思い出したカイトは、泳いでその場から離れた。広大な海の上、どちらに向かえば陸なのかも分からないままカイトは泳ぎ続けた。


 暫く泳ぎ続けても全然何も見つからないカイトは、泳ぐのをやめて海の上をプカプカと浮いていた。日も落ちかけてきて、このまま海を漂い続けるしかないと覚悟した時に人の声が聞こえてきた。


「おいっ!!人がいるぞ!!」

「何!?生きてるのか?」

「分からん。兎に角引き上げてやらないと」


 それは偶然近くの遺跡を探索に出ていたサルベージャーの船だった。海からカイトを引き上げた後、生きている事を確認すると船上はワッと沸いた。


「よかったなあお前!」

「ああ、どうして海の上にいたのかは謎だけどな!」

「でも助かったのは奇跡だぜ!」

「おいお前ら乾杯するぞ乾杯!」


 助けたカイトを囲んでサルベージャー達の宴会が始まった。自分が生きていた事を自分の事のように喜ぶ彼らを見て、カイトは疑問に思った。


「どうして俺が生きていて皆が喜ぶんですか?」

「ああん?お前は助かって嬉しくないのか?」

「いえ、そういう訳ではないですけど」

「ごちゃごちゃ考えず喜べ喜べ!お前の事情は知らんが一人で海に投げ出されて生きていたなんて奇跡だ!」

「そうだぜ、俺達サルベージャーは海を夢見て海に生きるが、同時に海の危険も沢山知ってる。危険な海で生き残った奴は皆尊敬すべき人なんだ。生きてりゃ喜びに乾杯して、死んだら泣きながら献杯する。そうするのがサルベージャーの生き方さ」


 その時のカイトには彼らの生き様についてまったく理解出来なかった。それでも楽しそうに騒ぐ彼らの姿を見て、自分の口角が少し上がっている事に気がついた。


 自分は笑っているのかとカイトは思った。これを楽しいと感じているのか、それとも嬉しいと感じているのか、まだまだ分からない事は多かった。


 だけど確かな事が一つあった。カイトは生き残った事に安堵していた。何のために生きるのかは決まっていなかったけれど、生きていてよかったと思った。




「サルベージャーに助けてもらった俺は、それから暫くその船に乗って仕事を手伝ってた。皆気の良い人達でな、素性の知れない人間を快く受け入れてくれたよ」

「それはどうして?」


 アーデンがそう聞くとカイトはニッと笑った。


「人の事情なんて知らねえ、海で生きたいって奴を放って置かねえのがサルベージャーだ。そう言っていたよ。今の俺を作った生き方の指針は、その人達から教わった言葉なんだ」

「そっか…、いい人達に巡り会えたんだな」

「ああ。俺は本当に人に恵まれた。彼らと共に生きる内に感情を学び、彼らと汗を流す内に生き様を学び、いつしか俺は自然とサルベージャーになりたいと思うようになっていた」


 カイトはそれを語る時に心底嬉しそうな顔をした。その思い出がどれだけ大切なものなのか、その場にいた全員に伝わった。


「俺は働いて金を貯めて船や道具を買った。いつまでも皆と一緒にいたかったけど、もっと広い世界を見てみたくなった。俺がそう言ったら、皆泣いて喜んで背中を押してくれたよ。お前だけの生き方を見つけて来いってさ」

「何だかカイトさんみたいな人たちですね」

「ははっありがとうアンジー。そう言ってくれると俺ぁ嬉しいよ。俺の生き方の先生みたいなもんだからな」


 カイトがそう言ってアンジュに笑いかけた。目に溜まった涙を拭い、アンジュもカイトに微笑み返す。


「海に出て、サルベージャーとして生きて、色んな国や色んな場所に行った。幸い俺は頑丈に出来てたからな、怪我なし病気なし、気ままに生きるには海はいい場所だった。仕事も肌に合ってたしな」


 そこまで言ってからカイトは表情を曇らせて黙った。ため息を一つ、それから話しだした。




 カイトはその日、普段通り仕事をしていた。立ち寄った場所はシーアライド、何度も仕事で訪れた事があるし、船乗り達にとって波止場として絶好の場所だった。


 荷を売りさばき、酒場で美味しい酒と語らいを楽しんでから自分の船に戻る。その時、セリーナ号に見知らぬ人物が乗っている事に気がついた。


 船に飛び乗ると、カイトはその人物を捕まえようとした。殴りかかる寸前で、明かりに照らされた顔を見てカイトは動きを止めた。


「ヴィクター博士!?どうしてあなたが…」

「やはりお前がそうだったか」


 謎の人物は持っていた杖を床にトンと叩きつける。するとカイトの体はぴくりとも動けなくなった。何をされたのかまったく分からなかった。


「この姿を見せれば分かると聞かされていたが情報は正しかったようだな。間抜けな奴め、本物かと思ったか?まあ、ある意味本物ではあるのだがな」


 謎の人物は顔の皮を剥がすとべちゃりと投げ捨てた。影に包まれた姿をしていて相変わらず誰かは判明しなかったが、その人物は言った。


「その汚い顔の皮は本物のヴィクター博士の物を使って作ったものだ。見紛うのも無理もないな。他の部位がどうなったかまでは知らんが、まあ裏切り者に相応しい末路を辿っただろうな」


 カイトの心に湧き上がる憤怒、それでも体はピクリとも動かない。口も動かす事が出来ないので、ただ黙っているしかなかった。


「お前を探し出すのは大変苦労したと聞いている。長い間グリム・オーダーから逃げおおせていたようだが、これからはそうはいかない。お前の命は我々組織の物だ」


 謎の人物は手にしている杖をカイトの胸に軽く叩きつけた。その瞬間、カイトの体に説明のつかないおぞましい感覚が走った。


「お前の体にある仕掛けをさせてもらった。こちらの指示に従わない時にはお前は死ぬ。再び手駒として使ってやろうじゃあないか、ありがたく思うがいい」


 カイトの足元に三枚の紙が落とされた。それぞれ似顔絵と名前が書かれていた。それはアーデン、レイア、アンジュの三人だった。


「これからお前にはこいつらを探ってもらう。同行して竜の手がかりについて聞き出せ、信頼を勝ち取り利用しろ、情報を引き出し切った後は始末するんだ。手段はお前に任せる。逃げられると思うなよ?その時はお前は惨たらしく死ぬ」


 謎の人物はそれだけ伝えると、もう一度杖をトンと床に叩きつけた。一瞬で姿を消し、ようやくカイトは体の自由が戻る。謎の人物が居た場所にはもう一枚の紙が残されていた。




「それは俺に対する指示書だった。どうしろこうしろと一々指示してきやがる。それに従って動いて俺はヨンガイでお前達に出会ったんだ」

「なんて卑劣な奴なんだ!」


 カイトの話を聞いてアーデンは憤りの声を上げた。カイトは命を握られていて指示に無理やり従わせられていた。それがアーデンは許せなかった。


「アー坊、気持ちは嬉しいけどもういいんだ。命惜しさに皆を騙した事は事実だ。聞き出した情報だってすべて渡してしまったし、皆の命を危険に晒してしまった。俺の為に怒ってくれなくていい」

「だけどっ!!」

「そうよ。アーデン、別に怒る必要はないわ」


 レイアが急に声を上げた。


「カイト、私はあんたになんて言った?」

「え?」

「あんた命はもらうって言ったの。グリム・オーダーみたいな卑怯極まりないお粗末組織が仕掛けたものなんて簡単に解いてあげる。私はアーティファクトのスペシャリストよ」


 レイアはそう自信満々に言い切った。この部屋の外部干渉を念入りに遮断したのは、カイトの命を救うために施したものだったのだ。


「あんたを助ける。そして生きなさいよ。博士が命がけで逃がしてくれた命、グリム・オーダーにくれてやる必要なんてない」


 カイトはレイアの言葉を聞いてゆっくりと頷き言った。


「頼む」


 そう呟いたカイトの目からは一筋の涙が流れ落ちた。

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