第96話 カイトの過去 その1

「あ、もう起きた?やっぱりとんでもない回復力ね」


 カイトが目を覚ますと、ベッドの横にはレイアが居た。状況が飲み込めないカイトは混乱した頭で辺りを見渡した。


 そこはアーデン達が泊まっている宿屋の一室、そして散らかり具合から見てレイアの部屋だというのが分かった。体を起こそうとするが力が入らない。


「まだ動けないわよ。でも喋るくらいは出来るでしょ?」

「レイア、一体これは…」


 カイトが続きを言う前に、レイアが言った。


「あんたから名前呼びされる筋合いはないわ。あるでしょ?他の呼び方」

「えっ、でも…」

「いいからっ!!」


 レイアは声を張り上げた。恐る恐るカイトはそれを口にする。


「お嬢…」

「よろしい」


 カイトからお嬢と呼ばれたレイアは、得意げな表情でフフンと鼻を鳴らした。そんな時、部屋の扉が開いてアーデンとアンジュの姿がカイトの目に入ってきた。


「おっ、もう目を覚ましたのか?」

「アー坊…」

「ここまで運ぶの大変だったんですよ?カイトさんめちゃくちゃ重たかったんですから」

「アンジー…」


 何故二人が前と変わらない様子で接してくれるのか、カイトはそれが分からなかった。


「レイアから全部聞いたよ。俺は昨晩だけどね」

「私も詳細は聞かされていませんでしたよ。ただ二つの弾丸の制作を手伝っただけです。一つは体内のマナの乱れを強制するもの、もう一つは特製の救難信号弾です。私とアーデンさんとレイアさんにだけ見えて伝わるものです」

「救難信号?」


 あの夜、最後にレイアが撃ったのはアーデン達を呼び寄せる為の救難信号だった。カイトは生かされて、アーデン達の手によってここまで運び込まれたのだった。


「言ったでしょ?あんたの命はもらうって。だから私の好きにさせてもらったわ」


 レイアの言葉にカイトは呆れ顔を浮かべた。しかしその後、短く笑い声を上げた。カイトの目からこぼれ落ちる涙をレイアが拭った。




 カイトは自分の事を話す前にレイアに確認した。


「俺の発言はすべて筒抜けになっている可能性がある。話すと皆も危険かもしれない」

「そんな事だろうと思ってた。だからアンジュに頼んでおいたわ」


 カイトはアンジュに視線を向けた。こほんと咳払いをしてからアンジュは答える。


「外部からの干渉を妨害する強力な結界魔法を施しました。テオドール教授が得意としていた魔法です。原初魔法の要素も取り入れて、部屋そのものを大きな結界にしてあります。この影響を受けないようにするには部屋の中へ入るしかありません」

「そんな事が可能なのか?」

「出来ますよ。時間はかかりますけど」


 ぽかんと口を開けて驚いているカイトに、アーデンが声をかけた。


「今ここでなら何言っても心配ないよ。レイアはアーティファクトの知識に関して右に出るものなしで、アンジュはサンデレ魔法大学校きっての大天才だ。俺だけ何の役に立ってないのが心苦しいけど、よかったらカイトの話を聞かせてくれないか?」


 アーデンのその言葉にカイトは頷いた。そしてぽつぽつと少しずつ、ゆっくりと話を始めた。




 カイトが生まれたのはとても暗い場所だった。そこがどこであったのかいまだに分かっていない。


 謎の液体が入ったガラスケースの中にいた記憶が最初の記憶。そこでカイトはプカプカと浮いていた。起きているのか寝ているのか曖昧な状態だった。


 そのケースの前を多くの人が行き交っていたのは覚えていた。殆どの人は一度しか顔を見せなかったが、何度も何度も通っては自分の事を観察している人がいた。


 それがヴィクターという名で呼ばれている博士であると知ったのは、カイトがケースの中から出てからだった。


 ヴィクター博士はグリム・オーダーに所属していた。そして人間とアーティファクトを融合させる研究を行っていた。博士の他にも同様の研究を行っている者はいたが、どの人物も結果が出ずに処分されていた。


 博士は人間の死体を素材に使い、あらゆる改造を施して人造人間を作っていた。カイト・ウォードという名前も元となった死体から取られた名前で、本当の名前は実験体1311号というものだった。


 カイトの体は実験の段階から特異な性質を持ち、どんな過酷な実験にも耐える体を持っていた。改造すればするほどスペックが上がっていき、体にかかる負荷をものともしない。


 組織にとってそれはとても都合がよく、カイトを使ってありとあらゆる非人道的な実験が行われた。どんな実験にも耐え、その度にカイトの体は強靭になっていった。


 生物の肉体としては完璧に完成された体に、体内のほぼ全てをアーティファクトに変換して超人的な能力を発揮する兵士。カイトは謂わば人型のアーティファクトだった。その時点では組織が求めた水準を遥かに超えていた。


 しかしカイトにはある問題があった。精神と心の発達が著しく低下していて、洗脳によって思い通りに動かせる操り人形としての機能を取り付ける事が出来なかった。思考力もなく、指示された事を遂行する能力が皆無だった。


 人造人間としては成功例、しかし兵器としては失敗作。カイトは実験に使えるだけ使ってから廃棄される予定だった。幸い生体サンプルとしての価値は高く、その一点のみがカイトを生かしていた。




「非道い…」


 アーデンは絞り出すようにそう言った。もっと多くの激情が渦巻いていたが、やっと声に出せたのがその一言だけだった。


 アンジュは言葉もなく、ただ静かに涙を流していた。カイトの境遇を思い、悲しみ、同情して涙していた。


「アンジー、泣かないでくれ。俺は君に泣いてほしくないよ」

「…無理です。だってこんな、こんな酷い事って…」


 カイトは少し困ったように眉尻を下げた。しかし心の中では暖かな感動で一杯だった。自分の境遇を聞いて、共感して泣いてくれる人がいる。それがカイトには嬉しかった。


「あの身体能力の高さはその実験で身についたもの?」

「ああ、戦いの技術はなにもない。ただ力を込めてぶん殴れば大抵のものは壊せるし、跳躍すれば家一軒軽く飛び越える。どんな大怪我でさえすぐに修復されるし、致死量の血を流しても一晩眠ればケロッとしてる。俺はそういう風に作られた」

「そう…。グリム・オーダーが何を作りたかったのかは分かったわ。でもあなたは廃棄されずに生きている。それはどうして?」


 カイトは一度すうと息を吸い込んだ。そして続きを話した。




 ヴィクター博士は、悪魔の実験を続けていくうちに心がどんどんと疲弊していった。最初から正気ではなかった。死体使って人造人間を作るなど、人が踏み込んではいけない領域であった。


 精神をガリガリとすり減らしながら、それでも実験を続けたのは死にたくなかった。ただそれだけだった。


 博士が扱った死体の中には、別の研究をしていた者がいた。敢えて博士に素材として使わせたのは、しくじれば次はお前だと知らしめる見せしめの役割があった。


 結果を残し続けなければ、その妄執に囚われながら博士は見知った顔の死体を切り裂いた。内蔵は見飽きた。血は浴び慣れた。狂うのに時間はかからなかった。


 そんな日々を過ごす中、自分でも何が上手くいったのか分からなかったが、実験体1311号、カイトが生まれた。


 カイトはどの実験体よりも遥かに優れた性能を持ち、自分の手に余る程の可能性を秘めていた。ただの実験動物、実験体をそう割り切って見ていた博士に変化が生まれた。


 希薄な自我に脆弱な精神、それでもカイトは生きていた。博士は自分が今まで生み出してきたものの罪深さと、カイトに対する贖罪の念に駆られた。


 博士は組織から隠れて密かに研究を始めた。自分の持てるすべての知識と技術を駆使してカイトに人として生きる知識と情操教育を施した。人の世で生きていけるだけの術を様々な方法でカイトの頭に入れた。


 それはカイトの廃棄が決まってからのとても短い間だった。博士はその猶予を使ってカイトを一人の人間として完成させた。執念、ただそれだけが博士を突き動かしていた。


 人として生きる術と感情を博士から貰ったカイトは、博士の手によって組織の施設から逃された。


 博士とカイトが過ごした時間はとても短かった。だからカイトは博士の事をよく知らない。ただ送り出した時に言われた言葉だけはよく覚えていた。


「いいか?お前の名前はカイト・ウォード、そう名乗って生きろ。お前は他の人とは違う、私がそう作ってしまったからだ。だけど、人として生きる事が出来ると私は信じている。私の罪は消えない、だけど何も知らずに生まれてきたお前に罪はない。これは私の自己満足だ、だけど生きてくれ。生きて生きて、いつかきっと夢や目標、同じ志を持った仲間を作るんだ。それはお前の人生を豊かにし、きっとお前を生かしてくれる。私はそう信じている」


 その日、カイト・ウォードという人間が生まれた。狂気に満ちた悪魔の実験で生み出された命だったが、世界でたった一人の人間が生まれたのだった。

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