第47話 アンジュの過去

 夜、俺はテントの外で星空を見上げていた。父さんからのメッセージに興奮しているのだと思う。


 それにいよいよ伝説の地が現実味を帯びてきた。夢幻ではない、父さんが辿り着いた場所。そこに俺も行くんだ、父さんに並び立てるような冒険者として。


 流れ星が一筋落ちていった。がさりとテントを開ける音が聞こえてきて、出てきた人物は横になっている俺の隣に座った。空を見上げて言う。


「サンデレ魔法大学校では夜中明るくて、星を眺めたりなんかしませんでした。外で見上げるとこんなに綺麗に見えるんですね」

「こうして横になるともっと夜空が大きく感じられるよ」


 いえ私は遠慮します。アンジュならそんな言葉が返ってくると思っていた。しかし彼女は予想外にも「では失礼します」と隣に横たわった。


 俺は驚いてアンジュの顔を見た。それに気がついた彼女が言った。


「何ですか?そんなに目を丸くして」

「いや、勝手だけどアンジュは断るんじゃないかなと思ってたからさ」


 そう言うとアンジュはふふっと笑った。


「そうですね、ちょっと前の私ならそう言っていました。というかこうしてアーデンさんに近づく事すらしなかったと思います」

「手厳しいな。そんなに信頼ないかな俺」


 アンジュは夜空に視線を戻した。俺もそれに倣って空を見上げなおす。星空からはまた一つ流れ星が落ちた。


「私はどの人に対してもあまり馴れ馴れしい態度は取りません。他の門弟にも、学部の違う方にもそうです。私が壁を作っていても学問は勝手に進みますから」

「やっぱり敢えて壁を作ってたのか」

「分かりますか?」

「まあ隠す気なさそうだったし」


 俺の指摘にアンジュはため息をついた。


「それでも大学の人達は気が付きませんよ。皆自分の事で精一杯ですし、目の前の課題しか見ていませんから」

「テオドール教授はそんな事なさそうだったけど」

「教授は変わり者ですから。それでものらりくらり権力者達と渡り合うのだから訳が分かりません」

「でもアンジュは教授には素で接してたよな?理由とかあるの?」


 踏み込んで聞いてもいいものかと迷うが聞く。アンジュから近づいてきてくれたのもあるけれど、俺が彼女の事を知りたいと思った。


 ここで尻込みして踏み込まない後悔より、踏み込んで聞きたい。何か力になれる事があるかもしれない。


「…少し昔の話をします。つまらない話です」




 アンジュがその孤児院で世話になり始めたのは、まだ記憶も定かではない幼い頃だった。死んでしまった両親の代わりに、孤児院の皆が家族となった。


 生活にそれほど苦労はなかった。孤児院は正常に経営されていたし、自分たちで生活の糧を得る方法も確立されていた。院長は子供達に生きる術と世の中をきちんと教えた。


 そこにいた時に何の不満もなかった。特別贅沢を望む訳でもなく、華美な日々が欲しくもない。人によってはつまらない価値観に思えるかもしれないが、アンジュには十分過ぎる程だった。


 年の離れた兄弟、同い年の姉妹、幼くして家族の仲間入りをする子供達と一緒に毎日を生きる。自分がいつかどんな存在になるにしても、他の人となんら変わらない人生だとアンジュは思っていた。


 そんな日々を送る中、アンジュは孤児院の蔵書から一冊の本を見つける。それは魔法に関する学術書、基礎知識が記されているものだった。孤児院から出てサンデレ魔法大学校へと入学した先達が寄付したものだった。


 まだ字は覚えたてだった。魔法なんて理論も何も知らない。とても子供には理解が出来ないような本。しかしアンジュはそれを読み解き、独学で魔法を発現させるまでに至った。


 孤児院の先生達はアンジュが独学で魔法を学んでいるとは思ってもいなかった。それもその筈だ、大人でも理解出来る人は少ないのに、文字を覚えたての子供にはとても理解できない内容だと知っていたからだ。規格外だったのはアンジュで、杖や触媒もなしに魔法を発現させるような事が出来るなど誰も想像がつかない事だった。


 だからその事故は誰にも止める事が出来なかった。


 ある日、孤児院の近くで魔物の目撃情報があった。早速冒険者に依頼が出されて討伐にあたる事となった。孤児院の子供達は、それが済むまで外出をしないようにと厳命されていた。


 アンジュも例に漏れず子供達と一緒に孤児院にいた。しかしその場で唯一人、誰よりも早くに気がついてしまった。新しく孤児院にきた子達と、その子供達の面倒を見ていた友人であった子の姿が見えない事に、気がついてしまった。


 自分なら助けられる。そんな驕りがアンジュにはあった。それは子供特有の万能感と、使えるようになった魔法に自信があったからだった。その力があれば例え魔物が出ても大丈夫だと、信じて疑わなかった。


 探しに出てすぐ、友人と子供達が見つかった。襲われていた悲鳴が聞こえたから、その場に急行した。友人の背後から迫る魔物目掛けて、アンジュは炎弾を放った。


 確かにアンジュは規格外だった。天才と言っても差し支えない程に。しかし、その力はただの素人が簡単に扱えるものではなかった。


 詠唱、術式の構成、アンジュの持つ天性のマナを操る才能、すべてが噛み合ってしまった。自分が思うよりもマナの出力が大きく、アンジュの放った魔法は上級の業火炎弾となってしまった。


 制御の術を失った術はアンジュの手から放たれて眼前の魔物を焼き尽くした。そして逃げてくる子供達の周りも火の海へと変えた。火の勢いを収める為、思いつく限りの方法で魔法の制御を試すも上手くいかない。魔法は完全に暴走をしていた。


 アンジュの友人は業火と煙に巻かれながら、決死の覚悟で子供達を火の外へと投げた。少々怪我を負いはしたが、子供達は何とか火の危険からは逃れる事が出来た。


 しかし友人の力はそこで尽きた。自分が脱出する前に火が回ってしまったのだ、炎の中へと消えていく友人に手を伸ばしてアンジュは泣きながら叫んだ。


 その時、依頼を受けていた冒険者達がその場に駆けつけた。奇しくもアンジュの放った炎が目印となり、すぐに場所を特定する事が出来た。


 泣き叫ぶアンジュの姿を見てすぐ異常に気がついた冒険者は、パーティーの魔法使いが火の一部を消火した。そして火の勢いが弱まった所へ他の冒険者が突入し、倒れていた友人を救出した。


 消火活動が終わり、魔物の討伐も確認された。死者は出ず、友人が助けた子供達も軽い怪我で済んだ。アンジュの行動は決して褒められたものではなかったが、結果として友人と子供達は助かった。アンジュが駆けつけていなければ、皆魔物の餌食になっていたのは誰もが分かっていた。


 だが代償はとても辛く悲惨なものとなった。アンジュと友人、双方にとって心身ともに大きな傷跡を残す事となる。


 友人は一命をとりとめたものの、重度の火傷を足に負った。もう以前のように歩く事も走る事もできなくなった。熱に喉を焼かれ、声が出しにくくなってしまった。元気に大声で笑う事が特徴だった友人にはもう戻れなくなった。


 自らの起こした過ちに心が耐えきれず、アンジュは暗くふさぎ込むようになった。暗い部屋に閉じこもり、滅多に外に出る事もなく引きこもる。仲間によく勉強を教え、仕事の手ほどき等で頼りにされていた賢く快活なアンジュは死したも同然であった。


 アンジュがいなければ助からなかった命だった。しかし、彼女の驕りが招いた悲劇でもあった。




 話し終えたアンジュはずっと空を見上げたまま言った。


「友人の名前はミシェルと言います。彼女は私の事を許しました。それどころか感謝までしたのです。アンジュがいなかったら私は死んでいたかもしれないって、だからありがとうって言うんです」

「…強くて優しい子だな」

「はい。ミシェルは私のせいで歩けなくなっても大きな声が出せなくなっても、ずっと優しいままでした。彼女は私を許すと言ったけれど、私は私が許せなかった。優しい彼女から多くを奪った愚かな私を許すことなど出来ないんです」


 戦闘時に感じていた違和感の正体がやっと分かった。アンジュは初級以上の魔法を使えるけれど使えない。過去の体験が彼女の体と思考を縛りつけ蓋をして閉じ込めてしまう。


 不自然な間はアンジュが震える手を抑える必要があるからだった。魔法を放つ前にはいつも、あの時の光景が蘇ってくるのだ。


「以前教授が孤児院に資金援助をしている話をしましたよね?」

「うん聞いた」

「教授はその縁で私と出会ったんです。閉じこもりふさぎ込む私に、魔法を学んでみないかと誘いました。もう見たくも聞きたくもなかった魔法を学べと私に言うんです」


 テオドール教授は何度も拒否するアンジュにこう言ったそうだ。


「正しい知識を学び、ひたむきに研鑽を積む。それが本来の魔法学であり、君が君を救いうる唯一の方法だ。その才能を正しく使える道を探しなさい。閉じこもっているだけでは明日は来ない、暗い部屋の中では麗しき君の友人の笑顔は見られないよ」


 俺は教授と会って間もない。だけどとても教授らしい意見だと思った。そしてアンジュに対する優しさを感じ取れる、そんな言葉だと思った。


「教授は私の後見人となり、孤児院を出て大学に入りました。嫌味妬み嫉み全部跳ね除けて一番の成績を取り続けた。魔法は私にとって呪いでもあり、授けられた特別な才能の一つでもあるんです」


 呪いであり才能と語る言葉に、アンジュが抱える魔法への感情の複雑さが伺えた。きっと魔法を嫌えないのだと思う、そうでなければ幼い時分に魔法の本とその内容に夢中になりは出来ないだろう。


 偏に魔法への情熱があったんだと思う。俺が冒険と父さんに憧れたように、アンジュには魔法に対する並々ならぬ情熱があった。


 アンジュは顔をこちらに見せないまま立ち上がって言った。


「もう寝ます。アーデンさんも早く休んでください」

「ああ、分かった。俺はもうちょっと星を見ていくから、先にテントに戻っていてくれ」


 去っていくアンジュの足音を聞いていた。星空にはまた一筋流れ星が落ちていった。

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