瞬き間に

@dkocoi14

第1話

「あ、すみません」


 思わず間の抜けた声が出た。彼女は少し訝しそうにしたが、すぐ優しげな微笑みに戻って答えた。


「いいえ」


 僕はその顔を忘れることができなかった。あれは僕が初めての絵画教室に通い始めてからちょうど一月ほど経ったときだった。

 初めて通う教室には独特の空気があって、最初の数回はどんな生徒がいるのかと緊張したが、やがてみんな上手い下手の別なく絵が好きな奴らだと分かるとすぐに打ち解けて、楽しい時間を過ごすことができた。僕は週に二回、二時間ずつ通うことにしていた。

 絵を描くことがそこまで好きかと言われれば胸を張ってそうだと言える自信は正直なかったが、しかし少なくとも学校の美術の授業よりは好きだったし、自分では上手く描けないと思っていたものが意外とそうでもないと分かったりすると嬉しかった。僕はそういったささやかな成功体験を重ねるのが好きだったのだろうと思う。

 その絵画教室には同じ学年の子がもう一人いて、その子も僕と同じく週二回通っていたのだが、最初の数回から最後まで一言も交わさなかった。それが彼女だった。


 初めて彼女と言葉を交わすことになったのは、梅雨明けの六月のことだった。その日も僕は学校で嫌なことがあったり、家で面倒なことがあったりしたせいでもやもやした気分を引きずっていた。絵画教室にいる間だけはそれらから逃れられているように思えて、いつもよりも幾分か早めに家を出た。


 いつもの教室の前に着いても、まだ中には人がいないようだった。入口には鍵がかかっていたので、僕はその場でしばらく待っていた。そうしている間も腹の底では今日の授業で描く絵について考えていた。どんなテーマにしようか、どんな色を使おうか、どんな表現を試してみようかと頭の中でアイデアをめぐらせていた。


 

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