第26話 ウケイの真髄

 長幸と二人、残り火となっていた薪を松明にし、洞窟の中を疾走する。

 最初の分かれ道に到達。磐長姫と木花開耶姫の分かれ道だ。


「どっちだ!」

「左!」


 御神木へまっすぐに続くのは磐長姫の道だ。

 暗い中、松明の仄かな明かりだけを頼りに走っていると、視界に靄がかかってきた。転々とした炎が足元に落ちている。くゆる炎が、何かを燻す匂い。


 これは。


「またか……! 吸うんじゃないぞ!」

「分かってるって!」


 往生際の悪い輩がこの道中に、御神木を焚いていったらしい。なかなかの嫌がらせに、僕らはできるだけ煙を吸わないように袖で口元を覆いながら走る。


 これだけ足元が明るければ、松明なんていらない。走る邪魔でしかないそれを地面に落とした。


 視界の先にぼんやりとした光が見える。

 一直線に走れば、洞窟が終わり、天井には満点の星が広がった。


 風が吹く。白い靄が足元に揺れ、きらきらと星屑のように光を反射している。

 視線をまっすぐに向ければ、青い岩桜の根本に、二人の少女が立っていた。


「蓮華!」

「馬鹿! ここは崖だ!」


 靄に隠れてしまった足元。この靄がどこから湧いてきているのか分からないけれど、一歩踏み出してしまえば、崖の下に真っ逆さま。


 馬鹿正直に突進しようとした長幸の腕を掴んで止めれば、舌打ちされる。僕にやつ当たるなよ。


「くそっ、橋はどこだ!」

「橋なんてなかった」


 一度ここを通った時、あの岩桜に橋なんてかかってなかった。

 どうやって渡ったんだ。他に抜け道があったのか。


 ……あるはずだ。少なくとも、あの儀式の場で燃やされていたものが御神木から採取したものならば、必ずどこかに渡る方法が。


――ちるれ、ちるれ、ちるちらん。

――ちるれ、ちるれ、ちるちらん。


 またどこからか声が響いてくる。この声は、蒼月姉妹? いや、蒼月詠、か?


 靄がだんだんと濃くなっていく。今にも彼女たちの姿を隠してしまいそうで。


 超常現象を、認めるのか? ほんとうに神はいるのか? そんなはずない。どこかに、何か、あるはずだ。


 たとえ、神と名乗るものが本当にいたとしても。


「勝手に僕のお嫁さんを連れて行くなんて、許さないっての……!」

「待て、次行! ここから飛ぶ気か……!? 無茶をするな!」


 今度は僕が長幸に腕を掴まれる番だった。

 僕は長幸を睨みつける。


「うるさい長幸! 自分の奥さんを連れて行かれたくないなら一緒にこい!」

「この馬鹿め……!」


 罵られる前に、僕はかすかな希望へと指を差す。

 きらきらと星屑のように瞬く靄。

 僕はそれを示した。


「よく見なよ、長幸」

「何を」


 靄の中で瞬いているものを注視する。

 規則正しく並ぶ輝き。何かに沿って下っている。たぶんこれは、崖の側面に沿っているんだ。僕が火須勢理命の道から磐長姫のこの道に降りてきた時と同じように。


 手探りで靄の光に触れる。土の感触。間違いない。たぶん、この靄とこの洞窟の土が何かしらの反応を起こしてるんだ。


 だからおそらくこの光がある場所には足場があるはず。その足場が側面に沿って、あの岩桜の裏手まで続いていて。


「長幸、覚悟は?」

「行くしかないだろう」


 ここで行かなきゃ男じゃないよね。

 僕らは慎重に足を踏み出す。


 壁に手をつき、崖にある小さな足場を探りながら進む。足の下からひんやりと立ち上ってくる冷気。さわさわと水の音がわずかに混ざる。


「下は水か」

「池というか、湖というか。まぁ、そんな感じ」


 それにしてもこの靄、本当にどこから湧いているのか。

 靄の流れを見ていれば、どうやら僕らが向かおうとしている岩桜の裏のほうからのようで。


 瞬間、何かが飛んできた。


「うわっ!?」

「長幸!」


 目の前の壁に突き刺さった矢に驚いた長幸が足を滑らした。僕はとっさに長幸の腕を掴む。


「っ……、長幸、重い……!」

「お前とそう変わらんぞ……っ」


 長幸がなんとか体勢を戻した。その間も矢はひゅんひゅんと飛んでくる。

 僕らは少しでも見通しが悪くなるように背を低くして、靄の中に身を潜めた。これぞ背水の陣ってね。


「やりたい放題だな」

「掌で転がされてるのって、僕嫌いなんだよね」

「同感だ」


 二人で頷きあう。

 とはいえ、このままここで留まるわけには行かない。


 動けば矢に狙われる。かといって、このまま靄を吸い込み続けたら、どんな症状が出るか分かったものじゃない。


 どちみち、進むか、戻るかの、二択しかないんだけど。


「どうする?」

「分かってるくせに」

「そうだな」


 言葉はそれだけで十分。

 目配せをしあう。

 長幸が立つ。

 僕はピストルをかまえる。

 長幸を狙って矢が飛来する。

 飛来する矢の角度。

 その、焦点。

 引き金を、引く。

 パァンっとけたたましい音。

 悲鳴。


「さすがだな」

「どうも」


 お互いに右手を拳にしてぶつけ合う。

 さてと。こちらにピストルがあることを思い出してくれた輩が怯んでいるうちに進んで、と。


 その途中、岩桜に続く足場のようなものが靄の中に見え隠れした。かなり低い位置で、水飛沫が見えている。


 僕らは何も言わず、その足場へと跳んだ。

 足場は飛び石のようで、それを伝って僕らは岩桜の下まで来る。


 腕を伸ばして、大きく跳躍して、岩桜の根を掴んで。


 やっと、彼女たちと同じ目線に立てた。


「蓮華!」

「花蓮!」


 同時に振り向く、僕らの婚約者。

 その瞳には、さっき宿ったはずの自己が失われていて。


 無機質で、無感動。

 まるで蒼月詠と変わらないその温度に、僕は歯ぎしりする。


 それでも一歩、長幸が踏み出して。

 手を、差し伸べる。


「何をしている。さっさと帰るぞ」

「君たちの居るべき場所はそこじゃない」


 僕も同じように踏み出した。

 姉妹は顔を見合わせる。岩桜を見上げ、僕らのほうを見据えた。


「「御神託を賜りました」」

「神託……?」

「「お前たちはどちらの蒼月を選ぶ」」

「どちらを……?」


 長幸が突きつけられた言葉を反芻した。

 僕は考える。この問答の意味を。この神託とやらの意味を。


「選ぶと言われても、君たちはどちらも僕らの婚約者だ」


 長幸の主張。

 そうだけど、そうじゃない。


 これは選択だ。

 あの洞窟の中と同じ、選択だ。


 ふと思い出す。街で見かけた占い師の言葉。


『選択肢を間違えないように』


 今、この言葉を思い出すなんて。


 僕は皮肉げに笑う。

 生死を賭けた選択か。


 そんなの知るか。

 僕は絶対に死出の道なんて選ばないし、欲しいものはすべて手に入れる。


 考えろ。青い岩桜。ちるひめさま。磐長姫。コノハナサクヤヒメ。蒼月家。どちらの。


 いや、ちがう。


「そうか……そういうことか」

「次行……?」

「これは誓約うけいだ」


 母のいない姉妹神。

 ウケイと呼ばれる蒼月の双子たち。

 ようやく、欠けていたものが手元に現れる。


「蒼月の祭神は木花知流比売で、おそらく石長比売と同じ神なんだ。母神がいない姉妹神。それは彼女が、大山祇神の誓約うけいによって生まれたからだ」

「……寿命の話か!」


 イワナガヒメとコノハナサクヤヒメの嫁入り話は誰でも一度は聞く寝物語。長幸も思いいたったようだ。


 それを前提に考えてみれば。


「で、僕らはその末裔である蒼月を前に選べと言われている。蒼月は双子の呪いで永らえた家なんじゃない。誓約ウケイによって双子を選びつづけてきた家なんだ」


 やっと納得した。蒼月が双子にこだわる理由。儀式を重んじる理由。


 とはいえ。


「それが分かったところで、この状況をどうする……!」


 長幸の言葉はごもっとも。

 矢は飛んでこないけど、こちらを伺っている気配は十分にある。


 それならやることは決まったも同然だ。

 こんなにも見物人がいるんだから。


 僕は口の端をあげて笑う。


「そんなの決まってるさ。長幸、誓約ウケイは選ぶものじゃないだろう?」


 僕の考えていることを察した長幸が、深く頷く。


「……そうだな。誓約ウケイは」

「誓うものだ」


 僕らはお互いの婚約者を抱き寄せる。

 蒼月の一族たちはよく見ていろ。


「僕の婚約者は蒼月蓮華だ」

「僕の婚約者は蒼月花蓮」


 誓約ウケイはこうしてやるものだ。

 誓約ウケイを重んじる一族ならば、この結果を見届ける義務がある。


 僕らは婚約者を抱きしめ、岩桜の御前から飛び出した。


「「もし誤った娘を選んでいれば、僕らはここで死ぬだろう。だけど正しい娘を選べば――」」


 一瞬の浮遊感。

 僕は腕の中の花蓮をぎゅっと抱きしめる。


 大丈夫。

 きっとうまくいく。


 岩桜から飛び降りた僕らの身体は、水の中へと沈んでいった。


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