第25話 曇りきった神の愛

 ピストルを構える。

 左手で支え、右手で引き金に指をかける。

 照準を合わせて。


「脳天撃ち抜かれたい奴が僕の前へ来なよ」


 挑発すれば、さすがに間合いを取る輩たち。引きこもりの割には、これの恐ろしさが分かると見える。


「次行、そんな玩具で足りるのか」


 長幸が僕と背中を合わせたまま、忠告してくる。とはいえ、そんなことは百も承知だ。


「玩具だなんて言わないでくれよ。FNブローニングM一九〇〇。欧州の最新式だとさ。試作品らしいから、正規品よりもちょっと癖があるけど……でも、脅しに使うなら十分だ」


 それに、信頼もしてるし。長幸ならカバーしてくれるでしょ、って。


 だって僕ら。


「双子だからな」


 言わなくても通じる、以心伝心。

 これが双子のアドバンテージだ。


 丸腰の長幸ならどうにかできると思ったのか、面をつけた輩が長幸に向かって特攻をかけてきた。


 長幸が避ける。僕が照準を狙う素振りを見せれば、輩は怯んだ。その瞬間、長幸がそいつの腹に強烈な一発を入れ、落とす。


 長幸だって何もできないわけじゃない。簡単な護身術くらい、男子の嗜みだ。

 長幸も侮れないと気づいたらしい面の輩が、間合いを取りながら、こちらの様子を伺ってくる。


 硬直状態が続く。湯釜の湯気とそのための薪の煙で、視界がますます悪くなる。さっきまで煙なんて出ていなかったのに、氏子たちはいったい薪に何を放りいれたのやら。


 武器があれば有利と思われたのか、鉈を持った輩がこちらに襲いかかってきた。僕は冷静に照準を合わせ、鉈を持つ手を撃ち抜く。銃声とともに上がる悲鳴。それを合図に、僕も長幸も、輩の懐へ一足飛びに潜り込む。


 避け、受け流し、威嚇射撃、からの当て身。一発昏倒させる僕なんて優しいほうで、長幸なんかは絞め技で絞め落としていたりする。くわばらくわばら。僕らを侮ったのが運の尽き。


 洞窟の中の時より、ずっと簡単にことが終わった。広い場所だから跳弾を気にせず発砲できたのも原因の一つかな。


 蒼月詠が喪月衆と呼んだ輩たちを壊滅させて、僕らは改めて蒼月詠へと視線を向ける。

 蒼月詠は喪月衆が壊滅してもなお、諦めが悪かった。


「……神に祟られますよ」

「そんなものはない」

「蒼月家が作り上げたまやかしだ」


 長幸と二人で、蒼月詠へと一歩、近づく。

 蒼月詠はゆっくりと首を振り、僕らの言葉を否定する。


「いいえ、いいえ。これは愛と呼ぶべきものです」

「そんな愛は願い下げだ」

「そうでしょう、蒼月教授」


 僕らのうしろから、ゆっくりと歩いてくる蒼月教授。彼もまた喪月衆に狙われていたけれど、それなりに身を守る術を持っていたようで、飄々としている。


 そんな蒼月教授が妻の前に立つ。

 蒼月詠は夫を忌々しそうに見上げた。


「……真実」

「詠。もう、ここでやめよう」


 切実とした蒼月教授の言葉。

 だけど蒼月詠は鼻で笑う。


「何を馬鹿なことを」


 意に介しない蒼月詠に、蒼月教授は悲しげに目元を伏せた。


「弟も……彼女も……もう、眠らせてやってほしい。蓮華も、花蓮も、もう彼女たちだけの人生を歩ませてやってほしい」


 静かに訴える蒼月教授の言葉。

 そのどれかが琴線に触れたのか、蒼月詠が肩を、声を、感情を、震わせる。


「……彼女たちだけの人生? そんなものありません。我々は蒼月のために生まれ、蒼月のために生きる。我らが主に愛されるために!」

「現実を見たまえ! そんなもの、呪いにしかなれい!」

「呪い? 貴方も呪いだというのですか。恥を知りなさい。我らが神に選ばれたことを顧みず、こうも侮辱するなんて……!」

「そんなものに神格を与えるな!」


 激昂する蒼月詠に、蒼月教授が一喝した。

 しぃん、と静まりかえる。


 蒼月教授の声は大きく、激しく、それでいてよく通った。蒼月詠も今まで諾々と従うだけだった蒼月教授の反論に驚いたのか、呆けたように言葉を失っている。


 蒼月教授は、蒼月詠の肩へと手を乗せると、視線を合わせるように腰をかがめた。目線をしっかりと合わせて、駄々をこねる子どもに言い聞かせるように、切々と語る。


「神がどういうものか、私が一番よく知っている。すべては人々の思い、願い、祈り。そう呼ばれるような、尊いもので生まれるものだ。蒼月のそれは、この長い時の中でねじ曲がってしまっている」


 民俗学者だから分かること。

 それは人の心に根づく文化。


 確かに、祟りにを畏れて祀られる神だっている。天災を恐れた人々による信仰もある。


 でも蒼月教授は、〝ちるひめさま〟は元々違ったはずだと考えていて。


 〝ちるひめさま〟を祟り神にし、祈りを呪に変えてしまったのは蒼月家だと、そう、断罪する。


「……やはり、真実さんは分かっていない。我が蒼月の婿として相応しくはなかった」


 とはいえ、蒼月詠も今まで信じてきたものの認識をすぐには変えられない。蒼月教授を拒絶し、否定する彼女の表情には、怯えのようなものが浮かんでいて。


 ……怯え?

 ここで違和感。


 蒼月詠はいったい何に怯えているんだ? 蒼月家の頂点は、蒼月詠じゃないのか?

 なぜ蒼月詠が怯えるのかが分からない。まだ何か、僕らは大切なものを見落としている?


「――神はいるのです。現実に、いるのです」


 蒼月詠に靄がかる。

 薪の煙か、それとも釜の湯気か。

 だけど、蒼月教授の言葉がそんな簡単なものではないと僕らに警鐘を鳴らす。


「詠……? どうした!」

「……神がお怒りです。お前たちはもう、蒼月に関わるな。娘も返してもらいます」


 今までそこに転がっていた、喪月衆たちの姿も、煙に巻かれたように忽然と消えていく。


「次行!」

「彼女たちは!?」


――ちるれ、ちるれ、ちるちらん。

――ちるれ、ちるれ、ちるちらん。


 ぼんやりとした輪唱がどこからか聞こえてくる。何を意図するものか分からない。でもなんだか、今までにない緊張感が全身を包み、肌を粟立たせる。


「は……!?」

「……っ!」


 姉妹たちの安否を確認しようと、視界が切り深くなっていく中、姉妹たちのそばに駆け寄る。


 その姿が。

 彼女たちの輪郭が。


 青い桜の花になって、散っていく。


「儀式は失敗しました。蒼月の娘たちよ。その身を今一度、母なる神の胎内にて、みそぐのです」

「い、いやっ、せっかく、せっかく私は私だけになれたのに……っ」

「つぐ、ゆ……」


 四方八方、どこからか響いてくる蒼月詠の声。

 花となって散っていく身体に恐怖する蒼月蓮華。

 虚ろな瞳のまま、僕を探す婚約者。


 その姿が、散っていく。


――ちるれ、ちるれ、ちるちらん。

――ちるれ、ちるれ、ちるちらん。


 重なっていく輪唱に、蒼月詠の祝詞が混じる。


――かけまくもかしこきおおやまつみの神。

――吾田の長屋の笠沙の碕に。

――くかたちし給ひし時に生り坐せるうけひの大神たち。

――もろもろの神意によりて禍事罪穢れ有らむをば。

――祓へ給ひ清め給へと白すことをきこしめせと。

――かしこみ、かしこみ白す。


 靄がかる景色。

 遠ざかる気配。


 追いかけようとしても、身体が金縛りにあったかのように動かない。そこで初めて、今、現実離れをした何かに支配されているかのような感覚に陥った。


 やがて短いようで長い時間が過ぎ、自然の風に流れてようやく靄が晴れた。


 晴れた視界には誰もいなかった。

 氏子も。喪月衆も。蒼月詠も。蒼月蓮華も。蒼月花蓮も。蒼月の一族に連なる者たちすべてが姿を隠した。


 ここに残るのは、僕と、長幸と、蒼月教授の三人だけ。


 蒼月に爪弾かれた者たちだけ。


「……妖術でも見たのか」


 長幸がぽつりと呟く。足音も、気配も、何も感じなかった。ただ在ったものが風化するように消えていった。


 でも今までそこに確かに存在していた。儀式の場も、結界の注連縄も、祭壇も、何もかもそのまま。ただ、人だけが消えてしまった。


 僕は火の消えた釜のもとへと歩み寄る。

 釜をのぞけば大量の青い花弁が茹でられ煮詰められていた。釜の下、炭となった薪の直ぐ側に落ちているものを拾い上げる。薪に追加されたものだろうな。燃えずに残っていたこれも含めて、妖術の正体なのかも。


「釜で茹でていたのは御神木の花だ。薪に入れられたのは生の枝かな。葉ごと燃やされてる」

「……幻覚症状を引き起こす植物か?」

「用法用量、正しく使いましょうってね」


 軽口を叩けば、長幸が深々とため息をつく。

 それから僕らは視線を一つの方向へと向ける。


「次行はどう思う」

「十中八九、中でしょ」


 僕らの視線は洞窟のほうを向いている。

 蒼月詠は『その身を今一度、母なる神の胎内にて、みそぐ』と言った。母なる存在が〝ちるひめさま〟だとしたら、間違いなく御神体のもとに行くはず。


 それに洞窟の中はそんなに複雑じゃなかった。喪月衆が隠れ郷の住人だとして、洞窟の中にはそれにつながっている道もあるはず。この洞窟が、蒼月の最後の砦に違いない。


「長幸君、次行君。私も行こう」


 洞窟に行こうと足を向ければ、蒼月教授も同行の意を示してくる。

 でも僕らは、蒼月教授の申し出をやんわりと止めた。 


「いえ、教授は里に降りてください」

「ご令嬢は僕らに任せて。その後のことを考えていてくださいよ」


 僕らの言葉に、蒼月教授は困惑の表情を浮かべる。


「その後のこと……?」


 そう、この後のほうがよっぽど大事だ。

 僕らにはできなくて、蒼月教授にしかできないこともある。


「僕らが蒼月の呪いを解くんです」

「蒼月当主代理としてどうするべきか、よく考えておいてよ」


 蒼月教授が瞠目した。

 それだけで意図が伝わったようで、しかと頷くと僕らに背を向け、ここから去っていく。


 僕は長幸と視線を交わした。

 さて、もう一度。


 僕らの婚約者たちを追いかけようか。

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