第2話
「それで? ほんとに別れちゃったわけ?」
アサミくんの偉いところはどんなに話に夢中になろうとも、手を止めないところだった。彼の言葉に僕はあいまいにうなずいて答えた。
「一週間くらい? よく一緒の部屋で生活できたね。今は?」
「友だちの家に泊まってるみたい」
「それ、ほんとに友だちかなー」
だはは、とアサミくんは笑う。僕よりも年がいくつか上だったが、よく手入れされた肌と中性的な服装で、僕と同じくらいか、あるいは少し若く見えた。オーバーサイズの白のロンティー、細身のショートパンツとビーチサンダルがよく似合っていて、すね毛なんか生えていなかった。
笑いながら、夏のセールのために送られてきた服の包みを開け、ディスプレイのトルソーに優しく着せていく。彼の、あごまでずり下げたマスク、その上の口元には微笑が浮かび続けている。
店の奥のバックヤードスペースからスズキちゃんが顔をのぞかせた。僕たちの話が聞こえていたのか、「えー、ジュン先輩、かわいそう」とスットンキョウな声を上げた。
「私が慰めてあげますよ」
スズキちゃんはわざとらしく大股で歩き、僕にぴったり身を寄せた。そうかと思うと、そのまま店先まで進み、入口のガラス戸を開け放った。
「うう、あっつい」
彼女の、肩で切りそろえた髪の、アッシュな青に夏の夕焼けの色が映った。手を額にかざしながら店の前、通りを行き交う人をながめ、それからくるりと振り向いた。まるで敬礼をしているみたいなポーズで僕を見た。
「スズキちゃんよ、飲みに行きたいだけでしょう」
と、アサミくんが言った。
「違いますよ、店長。先輩には癒しが必要なんですよ?」
「わかってないねえ。ジュンくんは今、悲しみに浸っているわけよ。カナシミヨコンニチハってことだよ」
「なんですかそれ」
ポッドキャストか深夜ラジオのような緩い掛け合いが店内を飛び交った。
店の中央には胸ほどの高さで細長い、二段の陳列棚が走る。壁際には天井まである、書棚のような浅い奥行きの棚が置かれている。それぞれにアパレルや雑貨が所狭しと並んでいる。
入口から入ってすぐ左手に男女のトルソーを一体ずつ置く。僕とアサミくんはそのトルソーたちの保護者か、あるいは恋人のように慈しむ視線を送り、相対する。僕が手に取った麻のストール、その、夏の雲に映ったような青色をアサミくんは確かめて、受け取り、トルソーのうち女性型の方に巻いてやる。思いついて、かたわらの麦わら帽子を持ち上げた僕に、アサミくんは小さく首を振って、スポーツサンダルを置いた。足の甲と足首に太い革のストラップがついている。一足をそれぞれ前後にずらしてトルソーの腹の前に置くと彼女は今にも歩き出そうとしているみたいだ。
普段なら、アサミくんとスズキちゃんの二人がいれば十分に回っているような小さな店だった。だけど、セール前やシーズンの変わり目になると駆り出され、アサミくんの指示にせっせと従った。
系列の店が都内や近郊にいくつかあって、町田の駅ビルに入っている店舗はこの店の数倍は広いし、横浜のアウトレットにもあった。だから、来るたびにウナギの寝床か、猫の額か、あるいはもっと別のたとえが必要なくらいだと思ってしまうが、今のところ妙案は浮かばない。
ただ、原宿の神宮前交差点から一、二本、路地を入った場所にあり、なおかつ、通りに面しているのだから、スズキちゃんはともかくアサミくんは店の価値や自分たちの価値をよく理解しているようだった。営業職として、本社からは原宿エリアにあるという点においてのみ重要な店舗なのだと言い聞かされていたが、僕だってわざわざそんなことは伝えなかったし、伝えなくてよかった。
「あ、そうだ……今度、うちに来なよ。傷心のきみに、いいものあげるからさ」
アサミくんが耳打ちをするように顔を寄せた。彼のつるつるとした頬骨に目が行った。頬についた薄い肉が持ち上がって、また、微笑みになった。
壁の空いたスペースにカラフルなカットソーやブラウスを吊るしていたスズキちゃんが声を上げる。
「何、こそこそしゃべってるんですか」
「飲みに行こうねって」
「ずるい、もちろん、私も行きますし」
「そうだね、みんなで行こう。会社の金で飲む酒はうまいからね。うふふ」
スズキちゃんも合わせて、うふふ、と言って笑い、「あ、今日、この後、行っちゃいます?」と僕を見た。
「ごめんね、今夜はちょっと先約があるんだ」
そう言って、あともう少しだけ手伝ったら、店を出ようと思った。
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