第3話
それから私は、朝になったら這ってでもベッドから出る、ということを続けた。
ベッドから出たあと、床で寝てしまったこともあるけど、そこで長くは寝れないので、ベッドで寝続けているよりはいいかなと思えた。
私はだんだん、生活リズムを取り戻していった。
* * *
ある日、母さんがテーブルにトランプを並べて一人で何かをやっていた。
「母さん、何してるの?」
「え? ババ抜きよ」
「一人で?」
「そう。一人ババ抜き」
?!
母さんは頭がおかしくなってしまったのだろうか?
一人でババ抜きをするなんて……
「母さん、それ、楽しいの?」
「う~ん、やってみたけど、微妙ね……」
「だったら、私とやろうよ」
「うん、お願い」
私は母さんと、久しぶりにトランプをした。
ババ抜きの他にも、スピードとか、いろんな遊びをした。
久しぶりのトランプは面白かった。
よし! とか、やった! とか、声を出しながらトランプをするのは意外にも楽しいのだと気がついた。
私がトランプで遊ぶと母さんは笑顔になってくれた。
それが嬉しかった。
私が学校に行かなくなって、母さんはあまり笑わなくなった気がしていた。
でも、こんなダメな子なのに、母さんは私と遊んでくれる。
私と遊ぶと母さんは笑顔になってくれる。
それが、なんだか嬉しかった。
* * *
自分はダメダメな人間だと思っているけれど、ちょっとしたことで褒められたり、ちょっとしたことで感謝されたりすると、自分はまったくダメってわけでもないんだな、とも思えてきた。
小さな自信は少しずつついてきた気がする。
前だったら、母さんは「偉いね」って褒めていた。
けど、今は「ありがとう」「助かるよ」「嬉しい」って言ってくれることの方が多くなった。
褒められるのは嫌いじゃないけど、どちらかと言うと、感謝される方が嬉しい。
* * *
今日のデザートは何にするのか。
前は「あなたが好きなもの、買ってあげる」とよく言われていた。
それって、私に気を遣ってくれているんだろうな、とは思っていた。
けど、なんだか恩を着せられている感じもした。
あなたの言う通りにしてあげているんだから、私の言うことを聞きなさい。
そう言われているような気がした。
でも、最近は違う。
デザートを選ぶ権利を、母さんとオセロで勝負して決めている。
私と母さんのオセロの実力は五分五分だった。なので、ちょうどよかった。
オセロで勝つと、その日は好きなデザートを買ってくれた。
母さんが勝ったら、その日のデザートは母さんが食べたいものを買うというルールだ。
母さんは、自分が勝ったら
そして、私に遠慮せず、本当に自分の好きなものを買ってきていた。
そんな母を見ているのも楽しかった。
オセロで私が勝ったら好きなものを買ってもらえる。私が負けたら母さんは好きなものを買って喜んでいる。
母さんが笑顔でいてくれると嬉しい。
私は勝っても負けてもいい気持ちになれた。
* * *
ある日、母さんは言った。
「学校に行く練習、してみる?」
「練習?」
「車で学校の近くまで行ってみない?」
ちょうど夜だったし、誰にも見られないかなと思って、私は挑戦してみることにした。
車が学校に近づいてきた。
私は隠れたくなった。
けれども、幸い夜道は誰も歩いていなかった。
母さんは、車を校門の前に停めた。
「降りてみる?」
「いや」
心臓がドキドキしてきた。
息が苦しくなってきた。
母さんは、ちょっとさみしそうな顔をした。
けれど、体も心も無理だった。
車から降りられそうにもなかった。
「じゃあ、また今度にしようね」
私達は家に帰った。
「車から降りなくてもいいから、毎日、学校に行く練習しよう」
母さんは言ってくれた。
「うん」
それから、私は毎晩、車で学校の近くまで行った。
だんだん、学校の風景も見慣れてきた。
学校はただのコンクリートの建物だ。
噛みついてきたりはしない。
* * *
前は学校を見るだけでドキドキしていたけど、今日はそれほどドキドキしていない。
私は車から降りて、学校の玄関の近くまで歩いてみた。
やっぱりドキドキしてきた。
でも、歩くことはできた。
「学校に行く力、あるね!」
母さんは言ってくれた。
うん。
前は自分で歩いて学校に行っていたんだ。
私には、学校に行く力がある……はず。
担任の先生からは、別室登校しないか、ということを前からずっと言ってもらっていた。
そうだ、学校へ行こう。
別室登校、してみようかな。
そんな気持ちになってきた。
* * *
放課後。
みんなが帰った学校に、母さんと一緒に行ってみた。
先生には連絡していたので、すぐ昇降口に迎えに来てくれた。
校舎に入ると、懐かしさが溢れてきた。
それと同時に、罪悪感にも襲われた。
先生に、
「教室、見てみる? 今、誰もいないから」
と言われた。
先生と私、そして母さんとで教室に行ってみた。
教室は懐かしくもあったし、怖くもあった。
掲示物が変わっていた。
みんなの学習プリントが掲示されていた。
私がいない間、みんなはいろんな勉強をしていた。
そう。
学校では、みんな頑張っている。
でも、私は頑張れない。
だから私はダメな子。
そういう感情が、また戻ってきてしまった。
先生は言った。
「自分の席、座ってみる?」
私の席は、ちゃんと教室にあった。
そのことが、なんだか申し訳なく思えた。
自分の席に座ってみた。
机の中は空だった。
プリントとかは先生が週末に、まとめて持ってきてくれていた。
私は顔を上げた。
黒板を見た。
私は前に、こうやって勉強をしていたんだ。
だんだん息が苦しくなってきた。
「無理です……」
私は立ち上がり、教室を出た。
* * *
教室は無理だと思ったので、まずは別室登校をしてみることにした。
放課後の静かな時間から始めた。
登校して、私は生徒相談室で一人でプリントに取り組んだ。
早く終わったら、読書したり絵を描いたりした。
たまに、手のあいている先生が顔を出してくれた。
1時間くらいしたら、母さんに迎えに来てもらって下校した。
* * *
だんだん慣れてきたので、今度は午前中の登校に挑戦してみることにした。
やっぱりドキドキしてきた。
具合も悪くなるし、体のあちこちが痛くなった。
それでも、私は生徒相談室でプリントに取り組んだ。
廊下からは元気のいい声が聞こえてくる。
ドアの向こうにはたくさんの生徒がいるんだ。
そして、楽しく学校生活を送っているんだ。
けれど、私はこの部屋にいるのが精一杯。
やっぱり、私は惨めだった。
* * *
スクールカウンセラーさんとの面談で私は言った。
「みんながいるって思うと具合が悪くなってしまうんです。そんな自分が嫌なんです」
「みんながいると緊張するよね。具合が悪くなるって、どんな感じになるの?」
「吐き気がしたり、心臓がドキドキしてきたり……」
「じゃあさ、具合が悪くなってきたら、自分の体の変化を観察してごらん?」
「どういうことですか?」
「例えばね、死ぬくらいに苦しいのを10だとして、10段階で点数をつけてみて。今の苦しさは何点くらいかな、って」
「……はい。やってみます」
それから私は、自分の苦しさを点数化してみた。
個室で自習をしている時、廊下が静かだったらそんなに苦しくない。
* * *
だんだん廊下がうるさくなってきた。休み時間になったのだろう。
みんなが大声でしゃべりながら廊下を歩いているのだと思う。
心臓がドキドキしてきた。なんだか息苦しくなってきた。
えっと……死ぬほどってわけじゃないから、この苦しさは6点くらいかな。
別の日も、苦しさを点数化してみた。
点数化してみて、気がついたことがあった。
学校に行って苦しくなるのはダメなことだとはじめは思っていたけど、自分の体の調子が変わるのは、いいとか悪いとかじゃなくて、私が生きているから体がそうなるんだと思えた。
そして、点数化すると、苦しさがどこか他人事みたいにも思えてきた。
あと、苦しいという気持ちは1つだけじゃなくて、いろいろあるということにも気づけた。
怖い、辛い、苦しいという気持ちは、なくさなくていいって言われた。
それも自分なんだから、って。
私はまだ、ダメな人間だと思う。
やっぱり、まだみんなと一緒に教室では勉強できない。
それでも私は、そんなダメな自分と一緒に生きていく。
だって、頑張る自分も頑張れない自分も、自分だから。
そして、そんなダメダメな私のことを、私が認めてあげないと。
今日も私は、私のままで生きていく。
私は鉛筆を持ち、目の前のプリントに取り組んだ。
< 了 >
そうだ、学校に行こう 神楽堂 @haiho_
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます