第143話 夢の中

「はぁ……疲れたなぁ……」


 俺はぽすんという音を立てながらベッドに倒れこむ。まるで1週間分の出来事を今日一日で体験したような疲労感が身体を襲い、10分もしないうちにこのまま眠りに着けそうなほど頭と体がへとへとになっているのを感じる。


「俺茜先輩に嫌われるようなことしたか……?」


 天井をぼんやりと見つめながら言葉を漏らす。ダンスを終え、お互いに楽しい気持ちで終わることが出来たはずの後夜祭。にもかかわらず茜先輩はダンスが終わるとそのままどこかへと行ってしまったのだ。


 茜先輩の行動にもちろん困惑、キャンプファイヤーの前で一人取り残された俺は何とも言えない気持ちを抱えながら一人寂しく会場から離れた。あの時の気まずさは半端ではなかったことだけお伝えしておきます。


「別に何か怒らせるようなことを言った記憶は無いし……まぁじで原因が見つからないんだよなぁ」


 自分の言動を振り返ってみるも、彼女の癪に障るような発言も行動も一切していないはず。もしかしたら知らない所に地雷があったのかもしれないが、それにしても茜先輩の行動は急すぎる。自分に原因があるのかと色々と頭を悩ませたが一切見当もつかない。


「唯一可能性があるなら……ってあるはずないか」


 自分の頭に浮かんできた考えを俺は自嘲と共に否定する。「もしかしたら茜先輩は俺に告白しようとしていたのではないか?」というなんともナルシストな考えが思い浮かんだが、文化祭やキャンプファイヤーによって作り出された雰囲気に流されてしまっているだけだろう。何とも痛々しい……こういう勘違いは絶対に身を滅ぼすからね、絶対にしない様気を付けないと……。


 でも……もし、もしもの話だ。もし仮に茜先輩が俺に告白をしてきたとしたら俺はなんて答えていたんだろう。もう一つの存在したかもしれない世界線を自分の頭で再生する。


「……いや、ないな」


 実際に起きなかった世界線を想像することに馬鹿馬鹿しさを感じた俺は、思い浮かんだ情景を霧散させるように頭を振る。


「もう寝よ」


 俺は部屋の明かりを消し、ゆっくりと瞼を閉じる。前世の自分が得られることのできなかった青春、at頭の中でそれを楽しむのにも多少の難しさはあるらしい。






「好きだよ」


 どこからともなく声が聞こえてくる。聞き覚えはある、しかしそれが一体誰の声なのか全く分からない。知っているのにどこか靄が掛かったのような声が自分の頭の中で鳴り響く。


「好きだよ」


 そう発した張本人は声の距離的にそう遠くない位置にいるらしい。声の正体が一体誰なのか気になった俺はゆっくりと目を開ける。


「……誰だ?」


 自分の瞳が捉えたのは人型の黒い霧だった。目の前にいる存在は人間なのか、そもそも生物なのかすら分からない。ただ人の形をした黒い煙が自分の目の前に立ち尽くしている。


「好きだよ」


 存在を認知されたからなのか、黒い霧はゆっくりとこちらに近づいて来る。3回目だというのに誰の声なのかがやはり分からない。絶対に聞いたことはある、それなのに自分の頭に思い浮かんだ人全てに該当しない。


「好きだよ」


 黒い霧は同じ言葉を唱えながらどんどんこちらに近づいてくる。発している言葉は愛を伝えるための物なのに恐怖の感情が湧きあがってくる。この黒い霧から逃げようと試みるも、どういう訳か俺の身体は金縛りにあったときの様にピクリとも動かない。


 やがて黒い霧との距離は限りなく0に等しくなる。自分の目の前がもやもやとした何かに覆われ、黒い霧と触れた部分が焼かれるように熱くなっていく。


「好きだよ」


 抱きしめるようにして俺の背中に手を伸ばす黒い霧、これがただの人間であれば熱烈な抱擁だと思うことが出来たのだが、人外からの抱擁は嬉しさや恥ずかしさとは対極の位置にいる恐怖や気持ち悪さが俺の心の中を元気に駆け回る。


 黒い霧はぎゅっと俺の身体を抱きしめる。体が熱い、自分のお腹当たりが特に熱い。なんでただの霧がこんなに熱を発してるんだよ……いやこいつただの霧じゃなかったわ。


「ねぇ……好きだよ」


 ちょっいててててててて!?!?!?


 黒い霧が俺の身体をぎゅっと抱きしめると同時に俺の身体に痛みが走る。喜ぶべきと言って良いのか分からないが、黒い霧が引き起こした痛みのおかげで俺は意識を取り戻す。目を大きく見開くと、いつも見ている自分の部屋が広がっていた。


「はぁ……夢にしてはあまりにも現実に干渉し過ぎじゃ……ん?」


 身体を動かそうとした次の瞬間、俺の身体……特に胴体の部分に違和感を覚える。


 ま、まさか……ね?


 俺はゴクリと喉を鳴らし、恐る恐る布団をめくり自分の身体がどうなっているかを確認する。


「……」


「んんぅ……お兄ちゃん……」


 何という事でしょう、可愛い妹が俺の身体をぎゅっと抱きしめながら幸せそうに寝ているではありませんか。


「だからあんなに熱かったし体痛かったのね……」


 俺は苦笑いを浮かべながら起こそうとした体をゆっくりと横にした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る