第138話 体育館裏にて


「ふぅ……飲み物でも買いに行くか」


 理子さんを見送った俺はせき止めていたものが決壊してしまい、しばらくの間その場に立ち尽くしていた。ある程度落ち着きを取り戻した俺は数回の深呼吸の後に乾いてしまった喉を潤すべく、飲み物を買うことにした。


 中に設置されてある自動販売機の方が近いのだが、気持ちを切り替えるために少し距離はあるが体育館近くに設置されてある自動販売機へと足を動かした。誰かに合う可能性はあるかもしれないが……まぁ誰にも会わないだろう。


 風の音と体育館から響いてくる声を聞きながら俺は適当に買った飲み物を喉を潤す。


「君は君自身の幸せをもう少し願って良いんだ」


 理子さんの言葉が俺の頭の中で反響する。自分は今まで過去の自分を贖罪するかの如く、自分ではない誰かのことを優先してきたし、その中でも特に鈴乃は第一に考えて生きてきた。鈴乃の喜びが俺の喜びであり、鈴乃の幸せが俺の幸せだった。多分それは今後も変わることは無いだろう。


 鈴乃の幸せを第一にしながら自分の幸せを考えられる。そんな器用なことが出来たら良かったのだが、俺はそこまで器用な人間ではない。鈴乃の事を優先するとどうしても自分のことを蔑ろにしてしまう。


「理子さんにはあんな大見得切ったけど……中々に難しいなこれは」


 乾いた笑いを浮かべながら俺は自分のこれからのことについて思いを馳せる。自分のことを大事にするというのはどういう事なのかいまいち想像がつかない。言葉の意味は飲み込むことが出来ても上手く消化することが出来ないのだ。


「でもまぁ……ちょっとずつ考えていこう」


 焦ることはない、俺が理子さんと再会するのは当分先のことだ。一日で考えを180度転換できる人間なんていないのだからゆっくりと自分の幸せについては考えていくとしよう。


「さて、教室に戻りま──────って鈴……?」


 教室に戻ろうかとしたその時、俺は鈴乃らしき人物が体育館の裏手に歩いていくのを発見する。もしかしたら人違いかもしれないが、鈴乃かもしれないという少しの可能性が俺の足を動かした。


 こんなところに何の用事だろう……雑用でも任された?いや、それはないか。じゃあ誰かに呼び出されたってことになるのか……?


 俺はばれない様に後を付け、良い感じに隠れられそうな茂みの中に身を隠す。


 間違いない、あれは鈴乃だ。風に揺られる黒髪を抑えながら呼び出し人であろう男子生徒の前に立つ。文化祭終わりに人気のない場所に呼び出すということはもうそういう事だ。文化祭マジックなんて呼ばれている物にあやかってあの男の子は告白を決意したのだろう。


「ごめん鈴乃さん、こんな場所に呼び出しちゃって」


「大丈夫ですよ。それで加藤君、話って一体なんですか?」


 もう鈴乃も分かっているだろうが、あえて呼び出された理由が分からないと言った様子で質問を投げかける。加藤と呼ばれた男子生徒は大きく深呼吸をし喉を震わせる。


「ずっと前から鈴乃さんのことが好きでした!俺と付き合ってください!!」

 

 緊張で今にもおかしくなってしまいそうなはずだが、加藤君は力を振り絞り鈴乃への想いを口に出す。内容はとてもシンプルでありきたりなものだ。しかしそんなシンプルな言葉を言うのにもとてつもない恐怖が襲い掛かるし、馬鹿に出来ないほどの勇気がいる。


 そんな中でもしっかりと口に出すことが出来た時点で彼は十分すごい。すごいが、彼の告白を受けるかどうかは話が別である。というか鈴乃が珍しいところにいるからって言う安直な理由でついてきちゃったけど、これ滅茶苦茶気まずいじゃん。


 というかお兄ちゃん的には鈴乃の彼女になるなら学力があって運動能力もあって人格も優れてるような人じゃないと認めることは出来ないんですけど加藤君はその辺どうなんですかね?……ってこういうのをやめるところから始めた方が良いのかもしれないな。鈴乃には鈴乃の幸せがあるんだし、俺が口出しをして良いはずがない。


「ごめんなさい加藤君、私はあなたの告白は受けられません」


「……そっか。その、ちなみに理由を聞いてもいいかな?」


 断られるのは分かっていたのか、そこまで深く落ち込んだ様子を見せない加藤君は鈴乃に何故断ったのか理由を聞く。俺だったら断られた瞬間逃げ出したくなるのに……よく自分の傷をえぐるような真似できるね君。


「理由ですか……」


 鈴乃はほんの少し考えた素振りを見せる。しかし彼女が答えを言いよどんでいるのは理由を考えているからというわけではなく、言うべきか言わないでおくべきかで悩んでいるように見える。


「私が加藤君の告白を断った理由は──────」


 数秒して鈴乃は選択肢を決めたのかゆっくりと息を吸う。


「好きな人がいるからです」


 俺は鈴乃の言葉に息をすることも出来なかった。

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