第137話 またね

元に戻ると言っておきながら元に戻りませんでした。つ、次は多分早い……と思います。



 何となく予想は付いていたがミスコンの優勝を勝ち取ったのは柚香だった。他の参加者も自分を可愛く、或いは面白く見せるための努力や工夫が見られたが柚香の衝撃はやはり凄まじかったのだろう。きっと男子生徒からの票が多く来たと思われる、今後の彼女の学校生活は波乱を呼びそうだ。


「もうそろそろ文化祭もおしまいだね」


「ですねー」


 俺と理子さんは生徒会による最後の演目が行われている体育館を後にし、人通りの少ない廊下をゆっくりと歩いていた。


「静かだねぇ」


「まぁほとんどの生徒が体育館にいますし、屋台なんかももう終わってると思いますからね」


 後夜祭であるキャンプファイヤーを除けば、文化祭は終わったと言っても過言ではない。最後の生徒会によるステージ発表も数十分で終わる。今年の文化祭も色々あったがとても楽しい時間を過ごすことが出来て良かった。


「……ねぇ晴翔君、最後に行きたいところがあるんだけど良いかな?」


「もちろんですよ」


「ありがと晴翔君」


 俺は理子さんのお願いを快諾する。しかし、俺は理子さんに少しだけ違和感を覚えた。いつも通りの理子さんの声、笑顔のはずなのにどこか様子がおかしい気がするのだ。


 お祭りが終わった後の静寂は人によって異なるものが訪れる。お祭りの楽しさや興奮が冷めやらず、静寂を掻き消すような明るさがある人にとってはこの静寂すらお祭りの一部に変え楽しむことが出来る。逆にお祭りが、あの楽しくて明るい雰囲気が突如として消えてしまったことに寂しさや悲しさを感じ、暗い気持ちになってしまう人もいる。


 俺は後者の人間だ。この静かな空間に寂しさを感じてしまう。しかしそれ故に、気付くことが出来た違和感。俺の少し前を歩く理子さんの背中からは俺の比じゃない程の寂寥感が感じられて仕方がなかった。もちろん俺の勘違いかもしれない。それでも彼女からはまるで死期を悟り、死を受け入れる準備が出来た人特有の雰囲気が醸し出されている気がするのだ。


 まさか……いや、でも……


 ふいに現れた考えを俺は即座に否定しようとする。が、それと同時に今日の理子さんの言動や表情が思い起こされ、否定したかったはずの考えがどんどん現実味を帯びていってしまう。巡らせたくない考察が頭の中を縦横無尽に駆け回る中、たどり着いたのは校舎裏にある一本の木の前だった。


 その木は高校生であれば余裕で登れそうなほどの高さをしていて、木の幹はまっ直ぐではなく斜めに伸び、かなり歪な形をしている。


「ここは……」


「ここはね?私がまだ幽霊じゃなかった頃によく来てた場所なんだ。体が弱いせいで基本家に居たから自然と触れ合える数少ない場所だったんだよ」


 そう言って理子さんは木の下へと移動し、長い間生き続けている老樹の身体にそっと触れる。


「そう……なんですね……」


 どくんどくんと心臓が騒ぎ始める。直感というものは何故かよく当たる、それが良い予感であれ嫌な予感であれ、第六感により未来が分かるような感覚に落ちる時がある。それが部活動の試合等で発生し、良い結果を生むのなら良かったのだが、今は全く嬉しくないし自分の察知してしまった未来が来てほしくない。


「懐かしいなぁ……晴翔君、実は──────って思ったけど……もしかして分かっちゃった?」


 しかしそう望んだ通りには行ってくれないらしい。理子さんは俺の顔を見て気まずそうに笑みを浮かべる。


 ずきりとした痛みが心臓に走る。そして直接刃物を突き立てられたかのような鋭い痛みが心臓から体の内側にじわじわと広がっていく。


「ふふ、聞いて驚きたまえ晴翔君!どうやら何十年も私を縛り付けていた鎖がようやく千切れ、今日私はこの世から解放されるらしい!はい、私の釈放を祝って拍手~」


 理子さんはこの重たくなった空気を弾き飛ばすべく、いつもと何も変わらない明るさで自分が消えることを喜ぶ。今この時が重苦しい空気を変える最大のチャンスなのは明白だが、俺の喉は言わなければならない言葉を通さず、体は固められたかのようにピクリとも動いてくれなかった。


「理子さん……なんで……」


 代わりに絞り出された言葉は理子さんの配慮を蹴り飛ばしてしまうものだった。


「もう……そんなに悲しい声を出さないでくれよ晴翔君、こっちだって悲しくなってしまうじゃないか」


 理子さんは相変わらずといった感じで肩をすくめる。


「私は呪縛霊だって言っただろう?呪縛霊というのはその霊の心残りや後悔が原因で生まれるんだ。そして私の望みが叶い、心残りが無くなってしまえばあの世へ送られるのは当然の事なのさ」


 理子さんは俺を諭すように優しく説明してくれる。理子さんの言っている内容は理解できた、確かに呪縛霊は心残りが無くなれば成仏するのかもしれない。でもそんな理屈を説明されても納得できるはずがない。


「晴翔君、私は青春っていう物に憧れてたんだ。友達と一緒にご飯を食べたり、放課後にくだらないことを喋って笑いあったり、そして物語に出てくるような恋愛をしてみたり」


 背中を向けていた理子さんがくるりと振り返る。


「晴翔君……君が本来叶うことの無かった私の夢を叶えてくれたんだ」  


 理子さんの笑顔に俺の身体は世界から一瞬だけ別の場所へ切り離される。咲いた時ではなく、散りゆく姿の方が美しい花があるように彼女の悲しさと嬉しさが混じり合った笑顔はとても美しいものだった。


「だから悲しい顔をしないでくれると嬉しいかなな、最後くらい私と一緒に笑いあってよ。ね?」


 俺のせいで理子さんが居なくなってしまうという考えが少なからず俺の頭で渦巻いていたが、その考えは理子さんに対して失礼だということに気が付く。そうだ、彼女はようやく解放されるのだ。その門出を喜ばないでどうするんだ。


 俺は両目に込み上げてきた衝動を抑え、代わりに固くなっていた口角をゆっくりと上げる。


「まったく……理子さんに言われたらそうするしかないじゃないですか」


「ふふふ、素直でよろしい」


 理子さんと俺はまるで示し合わせたかのように笑いあう。何も面白いことは言っていないのに、しばらくの間俺と理子さんはただひたすらに笑いあった。


「あ、そうだ晴翔君」


「何ですか理子さん」


 ひとしきり笑いあった理子さんは何かを思い出したかのように俺の目を見つめる。


「私は晴翔君のことが好きです」


「はい!?」


 いきなりの告白に俺は思わず声が漏れ出てしまう。自分でも大分素っ頓狂な声を上げたと思ったがありがたいことに理子さんは何も触れずに言葉を続けてくれた。


「退屈だった世界から連れ出してくれて、一人ぼっちだった私に手を差し伸べてくれた君が、初めての友達になってくれた君が……大好きです」


「……ただの偶然ですよ」


 真正面からの好意を向けられた俺は、せりあがってくる気恥ずかしさを散らすように目を逸らす。


「偶然かもしれない。でもその偶然から晴翔君のことが好きになった。君の優しさが、目が、声が、全てが好きになった。晴翔君が私を認知できたのが偶然であったとしてもこの思いは変わらない。私は晴翔君のことが好き」


「……」


 体温が急激に高くなるのを感じる。日は傾き、気温は大分低くなっているはずなのにそれと反比例するように俺の身体は多くの熱を発していた。


「なので晴翔君、私と付き合って─────は無理だから、来世で私と結婚してください」


 真剣な表情から繰り出された予想より斜め上を行く告白に俺は思わず吹き出してしまう。


「むぅ……全力を振り絞った人の告白を笑うなんてひどいと思わないかい?」


「す、すみません。でも結婚してくださいって来ると思わないじゃないですか」


「それくらい君のことが好きってことさ。それで、答えを貰ってもいいかな?」


「そう……ですね……」


 俺は何と答えるべきか頭を悩ませる。第二の人生で初めて告白された相手がまさか幽霊だとは思わなかったなぁ……。


 何と答えるべきか少しの間悩んだ末、俺は大きく息を吸い告白の返事をする。


「返事は来世で会った時にします」


「む、答えを宙ぶらりんにさせるなんて悪い男だね晴翔君は。……でもいいよ、私はずっと晴翔君の答えを待ってるね。あ、でもちゃんと寿命を全うしてから答えを聞かせて?いくら私に会いたいからって途中で命を投げ出すなんてことしたらお姉さん許さないからね?」


「しませんよそんなこと」


「即答されたのはちょっと複雑な気持ちだけど……分かってるならよろしい」


 そんなこと言われてもなんて言えば良かったんだ……でもまぁさっきの言葉は間違ってないみたいだし良いか。


「お、どうやらそろそろ時間みたいだ。好きな人と楽しい時間を過ごせたし、ちゃんと思いを伝えることも出来たし、もう思い残すことは無いね!」


 少年のような笑顔を向ける理子さんに俺は涙が零れそうになるのを必死に堪えながら彼女の顔を見つめる。理子さんの身体からは光の粒子が絶えず放たれ、その光の粒は空へと昇っていく。もう数分もすれば理子さんの姿は完全に見えなくなってしまうだろう。


「最後にお姉さんからのアドバイスの時間だ。晴翔君、君は確かに前世では失敗してしまったかもしれない。それでも君はその失敗を繰り返さないように努力し、君が行くことのできなかった良い世界線を辿っている」


 理子さんは俺に近づきながら言葉を並べる。まるで生徒を正す先生の様に、失敗してしまった子供を慰めるように。そして理子さんは俺のことをそっと抱きしめる。感触は無い。しかし遠い昔、誰かに優しく抱きしめられた時のことが思い出され、俺の身体から自然と体が抜けていく。


「君は君自身の幸せをもう少し願ったって良いんだ。君が経験できなかった青春を、幸せを享受しても良いんだ。君にはその資格が十分にある。恐れることは無い、君が手を伸ばせばきっと幸せを掴むことが出来る。君はもっと自分のことを大切にするべきだ」


「……本当に良いんですかね、俺なんかが欲張っちゃっても」


「良いに決まっているじゃないか。それに好きな人が幸せになっていいかって聞いてきて、ダメなんて答える人は誰もいないよ?」


「……そうですね、もうちょっと手を伸ばしてみようと思います」

 

「それが良いよ。……もうちょっとだけ晴翔君と話してたいところだけど、お迎えが来ちゃったみたいだ」


「理子さ──────」


 言葉を紡ごうと喉を震わせた次の瞬間、唇に絶対に感じるはずの無い熱を感じる。


「ふふ、じゃあね愛しの晴翔君。私はずっと、ずーっと待ってるから。もしこっちに来たときはこの世界でどんなに幸せだったかを絶対に聞かせてね。私たちは赤い糸で結ばれているからきっと会える、私はその日を心待ちにしているよ」


「任せてください、理子さんが呆れるくらいたくさんの話が出来るようになっておきますから」


「うん、楽しみにしてる。それじゃあ本当にさよならだ。……またね、晴翔君。大好きだよ」


「さよなら……そしてまた会いましょう、理子さん」


 最後に俺と理子さんは笑いあう。お互い零れてしまいそうな悲しみを抑え、代わりに笑顔という名の花を咲かせる。


 涙で歪んでしまった視界を戻すために瞬きをすると、先ほどまでそこに居たはずの理子さんの姿は既に無く、光の粒子が金木犀色の太陽に誘われるように、ゆっくりと天へ向かって飛んでいった。

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