第121話 時既に遅し
最初の気まずさはどこへやら、ぬいぐるみを手に入れた茜先輩は非常に上機嫌になり、あちこちを見て回り楽しい時間を過ごすことが出来た。ただ楽しい時間には終わりが来るのが世の常、最後に家庭部へ行ってお互いにシフトを頑張ろうという話になった。なったのだが──────
なんだろう……背筋に冷たいものが走っている気がしなくもなくもないんだよなぁ……。
気分上々、笑顔にっこにこの茜先輩と比べて俺の足取りは重く、やけに動悸が激しい。しかもこの症状は家庭部の部室に近づくにつれ段々と重くなっていく。もしかして家庭部は魔王城だったりする?
「晴翔君……その、大丈夫?ちょっと顔色が悪いみたいだけど」
「だ、大丈夫です。これから接客するって考えたら緊張しちゃって」
「分かるよ晴翔君、接客って大変だよねぇ」
すらりと並べた嘘に茜先輩はうんうんと頷き同情してくれる。俺は一体いつからこんなにも嘘がスラリと言えるようになったのか。いやまぁ緊張してるって言えば緊張してるし!嘘じゃないか……嘘じゃないってことにしておこう。
「晴翔君のクラスは確か執事喫茶だったよね?晴翔君も執事服着るの?」
「残念ながら着ることになってますね」
「はぁ……シフトが入ってなかったら見に行ってたのに。見たかったなぁ晴翔君の執事姿」
「絶対にからかってくるじゃないですか」
「えぇ~?ちょっとしかしないよ?」
「ちょっとはするんすね……」
「ふふ、冗談だよ」
茜先輩はからかうようにニヤリとした笑みを浮かべる。いつも通りの茜先輩に戻ってくれて良かったよ……。
「お、ナイスタイミングだね晴翔君。この時間帯なら混んでてもおかしくないのにラッキーだよ」
「ですね」
俺は家庭部の部室を眺めながらそっと胸を撫で下ろす。もし仮に最初の方の茜先輩だったらもうこの後大変なことになってたわ。いやぁ……良かった。なんとかなりそ──────
「さぁ行こうじゃないか晴翔君!」
「ちょっ茜先輩!?」
大丈夫だと思った矢先、茜先輩は何を思ったのか俺の腕をギュッと抱きしめ部室の扉をガラリと開ける。
あ、終わったんだ……
離してくださいと言おうと思ったが時既にお寿司じゃなくて遅し。どうやら俺の命はここまでらしい。
「いらっしゃいま……せ……」
俺達を出迎えてくれたのはにっこりと笑顔を浮かべた鈴乃だった。接客練習を頑張ったのだろうと見て取れるほどの愛想の良さ。だったのだが彼女の表情は一転する。茜先輩がちょうど鈴乃から目を離したと同時に背筋が凍りつくような視線をこちらに向けてくる。やっぱり家庭部は魔王城だったか……。
お兄ちゃん……どういうことなの……??
口は動いていないがそう言っているように思えて仕方がなかった。やめて鈴……お兄ちゃんその目だけで死んじゃうって……。
「晴翔君の妹さん……鈴乃ちゃんだよね?」
「覚えてくださってて嬉しいです。お久しぶりです茜先輩」
「こちらこそ久しぶりだね。そういえば鈴乃ちゃんは家庭部に入ってたんだっけ」
社交辞令だろう、互いに挨拶を交わす鈴乃と茜先輩。100%幻覚なのだろうが、2人の間から……というか鈴乃の方からゴゴゴゴという効果音が見えて仕方がない。この光景を見てるだけで胃が「もうこれ以上はやめて!!」と悲鳴をあげているのがわかる。なんだこの新手の拷問は……。
「ちょ、ちょっと先輩!これはどういうことなんですか!?もしかして茜先輩と付き合ってるんですか!?」
鈴乃の隣からすすっと移動してきた白川が俺に耳打ちをしてくる。鈴乃と仲がいいからか鈴乃の放っていた圧に気が付いているのだろう。さすがは白川俺が見込んだやつだぜ。
「付き合ってるわけじゃない。そんな自分の命を投げ出すようなことはしないって」
「じゃあなんで腕組んでたんですか?」
「うぐっ……あ、あれは茜先輩の方から抱きついてきたんだよ」
だってしょうがないじゃん!無理やり振り払えるわけないでしょ!?
俺は悪くねぇ!と白川に伝えるとじっとりとした視線と共にため息が返ってくる。やめてそういうのが1番効くから。
「とりあえず後で鈴ちゃんに事情の説明と謝罪をすること、分かりましたか先輩!」
「わ、分かってる。出来れば白川の方からも働きかけてくれないか?俺だけだとワンチャン詰む可能性があるから」
「……しょうがないですね。私からも鈴ちゃんに言っておきます」
「悪い、助かるよ」
良かった……白川がいたおかげでなんとか生き残れそうかも……。
ガチガチに強張っていた体から少しだけ力が抜ける。後で鈴の機嫌を直すという最優先タスクが入ったがまぁよしとしよう。俺の命が助かるのだから安いものだ。
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