第110話 羨望 part2

 晴翔君と話す鈴乃ちゃんを見た時から思ってたけど……


 鈴乃ちゃん、晴翔君の事お兄ちゃんとしてじゃなくて一人の男として好きだよね。


 ぴしりとした燕尾服に身を包んだ晴翔君は確かにいつもよりもカッコよく見える。分かるよ?分かるけどそんなに目をキラキラさせるほどかなぁ?


 興奮収まらないといった感じで晴翔君に釘付け状態の鈴乃ちゃんを見て私は苦笑を浮かべる。彼女が晴翔君に恋をしているのは察しが付くけど、まさかこれほどまでとは思ってもいなかった。恋は盲目とよく言うが流石に晴翔君のこと好きすぎない?


 鈴乃ちゃんは晴翔君以外何も映っていないのかと疑ってしまうほどに執事姿の晴翔君に夢中になっている。これには流石の晴翔君も……いや何事も無いかの様に振舞っている……!?


 「あぁ……いつものか」と言わんばかりに明後日の方向を向いている晴翔君を見て私は思わず口が空いてしまう。もう慣れた様子を見るに小さい頃から鈴乃ちゃんはこんな感じらしい。


 ……ということは鈴乃ちゃんは何年も大きすぎる恋心を胸に秘めてるのか……すごいなぁ。


 人間の気持ちというものは万物と同じように時間が経てば風化していく。小さい頃は世界一大好きだった物も、大人になるにつれてその愛はどんどん摩耗していく。まして恋心なんてものは酷く脆い、溶岩を思わせるほど熱い恋も、数日経てば南極の氷の様に冷めてしまうことだってざらにある。


 にもかかわらず長い間一人のことをずっと好きでいられる、それほどまでに鈴乃ちゃんは晴翔君のことが大好きなのだろう。


 とてもすごい事だと思う。それと同時にとても、とても羨ましい。


 私は恋というものを体験したことが無い。恋をする余裕なんてなかったし、恋をする上で一番楽しい年頃にはもう既に命を落としてしまった。私は恋というものを物語でしか見たことが無いのだ。


 私は小さい頃から体が弱かった。そのせいで学校に行けない日が多く、学校に行っても常に自分の身体に意識を集中させていたせいか友達と呼べる存在もほとんどいなかった。


 恋をしたことのない人は世の中にいるかもしれないが、10人中9人は恋を近くで見聞きしたことがあるだろう。しかし私は違う。誰かの恋路を応援したり、傍から見ていたはずがいつの間にか巻き込まれたり。そんなありきたりな出来事を経験することが出来なかった。


 だからそんなありきたりな体験をして来た皆が羨ましい。


 好きな人と目が合うだけで心が有頂天になったり、好きな人との些細な出来事で一喜一憂したり、心臓が張り裂けそうなのを我慢して思いを伝えたり、好きな人と結ばれて明日死んでも良いと思ってしまうほどの幸せを噛みしめたり。


 そんな悲しくて、辛くて、恥ずかしくて、それでいて嬉しくて、楽しくて、幸せに満ちた恋を私は体験することが出来なかった。


 だから小説のような大恋愛をしている鈴乃ちゃんが羨ましい。


 羨ましいなんて言葉ではこの心を表現しきれない。楽しそうに笑う人達を見ていると心を刃物で刺されたような気分になる。晴翔君に熱いまなざしを送っている鈴乃ちゃんを見ていると、太陽に全身をじわじわと焼かれている気分になる。


 羨ましい、妬ましい、憎たらしい。どうして自分は体が弱かったのか、どうして自分は皆が当たり前に出来ていることが出来なかったのか。辛い、悲しい、胸が張り裂けそう。全身に走る行き場のないやるせなさが鬱陶しくて仕方がない。この世にある物全てが敵に見え、酷く憎たらしく感じる。


 どうして私は、どうして、どうして、どうして。





 私はふぅと大きく息を吐く。自分の心に巣食う闇を吐き出すように、心に刺さった棘を一本ずつ抜くように大きく、そしてゆっくりと息を吐く。こんなにどんよりとした感情が湧き出るのは久しぶりだ。


 何十年としまっていたはずの感情が玉手箱の様に開かれる。昔の私なら浦島太郎よろしく玉手箱の煙に飲まれて精神がおかしくなっていたかもしれない。


 けれど今は違う。


 私は晴翔君へと視線を移す。そこには優し気な笑みを浮かべ、丁寧に接客をする晴翔君とそんな彼にどぎまぎしている鈴乃ちゃんの姿があった。


 羨ましい、私もそこに混ざりたいという気持ちが無いというわけではない。けれどこの楽しそうな光景を見るだけでも楽しさを感じられるくらいには心が大人になった気がする。


 それに今の私には晴翔君という最初での友達がいる。今まで心に降り積もっていた羨望の山がどんどん小さくなっているのだ。くだらない会話も、友人と過ごすお昼休みも、特に何かをするわけでもないのんびりとした放課後の時間も。


 欲しいと思っていたあの時間が、どうしても手に入らなかったあの時間がようやく手に入った。命を落としてから長い間孤独に耐え続けてきた報いがようやくこの身に降り注いでいる。


 友達に会いたい、友達と話したいという胸の高鳴り。友達と話していて自然と零れてしまう楽しいという感情と笑顔。そして──────


 自然と笑みが零れ落ちる。もう少し、もう少しだけこの楽しい時間が続いたらいいな。


 私は微笑ましい光景をぼんやりと眺めながら心の中で祈りを捧げた。

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