第86話 はぐれちゃった
「……これははぐれちゃったやつかぁ」
先ほどまで一緒に居たはずの椿がいつの間にかおらず、周りには華やかな屋台と夏祭りを楽しむ人の姿で埋め尽くされていた。はぐれてしまった原因はおそらく私にある。考え事をしながら歩いたせいで普段より歩く速度が速くなったか、或いは遅くなってしまったのだろう。
人の流れから抜け出し、椿と連絡を取ろうと試みるも人が多いせいで電波が悪く、電話はおろかメッセージの送信すらもままならなくなってしまう。ぐぬぬ……大分型落ちしているからってこんなに繋がらないことある?
さて、どうしようかな……。
スマホをしまい、これからの行動について考える。こんな人が多い中で椿を探しに行くのは良い選択じゃないし、どこかですれ違いを起こして余計合流するのが遅れてしまう可能性もある。
じゃあここで待つ方が良いか……いや、それもあんまり良くないかもしれない。こんなところで一人突っ立っていたら厄介な男に声を掛けられるかもしれない。浴衣を着ててかなり動きにくいし、この状態でしつこくナンパされたらかなり面倒だ。
それに人が多すぎてちょっと疲れたし……出来れば人があんまりいない所に行きたいな。
老若男女の笑い声と話し声が混ざり、がやがやというノイズに近しい音が頭に響く。あまり元気の無い今の私にとってこの騒がしい音はとても鬱陶しく感じられる。
「……そうだ、あそこで連絡がつくまで待ってよ」
私は人が行き交う中をすり抜け、とある場所を目指して足を動かした。
「……誰もいないね」
私がやってきたのはお祭りの会場から少し離れた公園。遠くなったお祭りの騒がしい音と虫の鳴き声が混ざり合い、とても懐かしい気分になる。私はおもむろにブランコに腰かけ、ゆらゆらと前後に揺れ昔の記憶に思いを馳せる。
私がまだ小学生のときのこと、お兄ちゃんと一緒にお祭りに来ていた私は今日と同じように人の波に飲まれ、一人ぼっちになってしまった。
あの時の私は人見知りな性格を改造することが出来ていなかったせいか、大勢の人がいるところにかなりの苦手意識があった。あまり良くないと分かっていたが、当時の私は華やかな場所からこの暗くて静かな公園へと抜け出したのだ。
一本の街灯だけが頼りの薄暗い公園、幼い子は暗い場所に恐怖を抱く傾向にあるが、私もその例に漏れなかった。自らの意思で抜け出したというのに、暗い場所に一人でいるという状況に恐怖し、ぐずぐずと泣き出してしまったのだ。
他人に話すのが憚られるほどかなり恥ずかしい記憶、ただお兄ちゃんのおかげでその恥ずかしい記憶は大切な思い出へと変わった。
「鈴!やっと見つけた……」
「っ……!お兄ちゃん!!」
そう、お兄ちゃんが私のことを見つけてくれたのである。あの時の安心感は今でも心の中にしっかりと残っている。恐怖から解放されたことで、我慢していた感情が決壊してしまった私をお兄ちゃんはぎゅっと抱きしめてくれた。安らぎを感じるお兄ちゃんの腕の中、そっと頭を撫でてくれた優しい手、そして私のことを安心させようしてくれた柔らかい声。
目を閉じればあの時の光景をすぐに思い出すことが出来る。そのくらい私にとって、あの日のことは大切な思い出であり、お兄ちゃんへの気持ちが変わり始めた重要な日だ。
「はぁ……どうやったらお兄ちゃんと仲直りできるんだろ……」
懐かしい記憶を楽しんだ私は、足をプラプラとさせながらここ数日の振る舞いに頭を抱える。お兄ちゃんのあまりの無頓着さについかっとなり、冷たい態度を取ってしまった自分。そのせいもあってか、お兄ちゃんと会話をするどころか顔を合わせる時間もほとんどない。
確かに私も心が狭いなって思うし、冷たくしすぎちゃったなとは思うけどさ?だからってあんなに避けなくてもいいじゃん!ちょっと視線が鋭くなっちゃっただけなのに……お兄ちゃんのあの態度はあんまり良くないと思う。
まるで私と話しちゃいけないみたいな態度で過ごすお兄ちゃんに私は少々腹が立っている。まさか本当に私がお兄ちゃんのことを嫌いになったと思っているのなら小一時間くらい説教したいくらいだ。
それにせっかくお兄ちゃんのためにお昼ご飯作ったのにさ?俺の分はそもそもないだろうなぁみたいな感じとか……怒りを通り越して悲しいよ私は。お兄ちゃんのことが好きだということは日頃から伝えているはずなのに……。
「はぁ……」
もし……もしこのままお兄ちゃんと仲直りできなかったら一体どうなるんだろう。お兄ちゃんと会話をすることもなく、ただ同じ家に住んでいるだけの赤の他人のような関係になってしまったら……。
そう考えるだけでとても悲しい気持ちになる。それにお兄ちゃんが今回の件でもし私のことを嫌いになってしまったら、当分の間は立ち直れないし、今後一生引きずることになるだろう。それと数週間は確実に寝込む未来も見える。
「……嫌だなぁ……早く仲直りしたいな……」
視界を歪ませる涙をぐっと堪えるために私は天を仰ぐ。しばらく空を見上げた後、湿ってしまった目の周りを軽く拭う。
「……お兄ちゃんのバカ」
どう昇華させたらいいのか分からない気持ちをとりあえずお兄ちゃんにぶつけることにする。理不尽だとは思うがここには誰もいないのだから、これくらいは許して欲しい。
そろそろ戻らないと……椿と連絡は……ついてないか。後で機種変しないとかぁ……お母さんに相談してみよ。
立ち上がるために宙で遊ばせていた足を地面につける。
でも……もうちょっとだけ、もうちょっとだけここにいたら……いや、そんな訳ないか。だってお兄ちゃんは今美緒先輩達と一緒に回ってるんだもん。
昔の記憶を頼りに淡い期待を抱くも、私はそれをすぐに霧散させる。まだここに残りたがっている体を持ち上げ、眩い灯りに照らされた喧噪の中へと戻ろうと思っていたその時、後ろの方からこちらへ近づく足音の存在に気が付く。
「……やっぱここにいたか」
「えっ……お兄……ちゃん?」
足音のする方へと顔を向けるとそこには柔らかく微笑むお兄ちゃんの姿があった。
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