第38話 天国
この世には天国は存在しない。何故ならば天国とはこの世とは別の世界にあるから、単純明快な理由だ。だがそれはあくまでも一般的な天国についての話だ。私、高橋鈴乃にはこの世にも天国というものが存在する。
「はい、あーん」
「あーむ……んふ~」
あぁ……天国すぎる~……。
私は今、お兄ちゃんの部屋で、お兄ちゃんの膝の上に座り、お兄ちゃんを背もたれにしてアニメを鑑賞していた。そう、天国はここにあったのだ。
朝ごはん兼お昼ご飯を食べ終え、お兄ちゃん成分を充電するのが迷惑ではないと言われた私はうっきうきでお兄ちゃんの部屋についていった。お兄ちゃんは私の突飛な提案を受け入れてくれたが、私にもほんの少しの罪悪感と迷惑ではないかという心配はある。
お兄ちゃんと一日一緒に居られるだけでも十分なことを忘れないでね私……でもくっつくぐらいは全然問題ないと思うからいい感じにバランスを見極めるのよ、分かった私?
ベッドの上にぽすんと座り、今日この後の振る舞いに細心の注意を払うよう自分に言い聞かせているとお兄ちゃんはテーブルの上にタブレット端末を置き、腰を下ろす。そして──────
「おいで、鈴。こっちの方が効率よく充電できるんでしょ?」
とめちゃくちゃ優しい微笑みと共に私のことを膝の上に招き入れる。
……いいの!?お兄ちゃんの膝の上に座ってもいいの!?
細心の注意を払ってから10秒も経たずして私の理性という名の氷山はほとんどが溶けて消えかかっていた。
い、いやいやいやいや!確かにお兄ちゃんとくっつけるのは嬉しいし、お兄ちゃんの方から私を招き入れるとか中々ない展開だけども!……い、いいんだよね?お兄ちゃんが言ってるから何しても許されるよね?
「?…あー……流石にこれは嫌だ──────」
「全然嫌じゃないです!!」
「ごふっ!……そ、それならよかったけど……」
「ご、ごめんお兄ちゃん……」
「大丈夫大丈夫、気にしないで」
や、やってしまった……。お兄ちゃんの優しさを無下にしかけた挙句、ものすごい勢いでお兄ちゃんにダイブしてしまった……気、気を引き締め直すのよ私!いくら甘えても良いと言われても限度というものがあるのよ?特に私は一度タガが外れると大変なことになるんだからそれをゆめゆめ忘れないようにするのよ。
「そうだ、鈴はもう今週のやつ見た?」
「まだ見てないよ」
今週のやつ、おそらくはアニメの事だろう。私はアニメや漫画をよく見るようになった。面白そうだから、とかではなくお兄ちゃんと一緒に居る時間が増えるからという単純な理由によるものだが。
しかし、そのおかげでお兄ちゃんと一緒に過ごす時間を確保できているし、アニメも見てみると面白いものが多いしで一石二鳥。アニメを見始めた昔の私を褒めてあげたい。
「それじゃあ今見ちゃうか」
「うん!」
「いやこの切り方はずるいわぁ。マジでいいとこだったのに」
「そうだね」
アニメのEDが流れ始め、アニメ制作陣からすれば嬉しい苦情を、とても楽しそうな声音で告げるお兄ちゃんに私は同意する。実を言うとアニメの内容があまり入ってこなかった。理由は一つ、お兄ちゃんの腕が私のお腹に回されていたからだ。
無意識なのだろう、今も私をぬいぐるみの様にぎゅっと抱きしめている。非常に嬉しいし幸せなのだがそれと同じくらい恥ずかしくて頭がどうにかなってしまいそうだった。大丈夫かな?私臭くなかったよね?それと体温高すぎたりしなかったよね?
あれやこれやと不安な気持ちが頭の中を駆け回る。特に何も言われていないため大丈夫だとは思うが、お兄ちゃんのことだ、もし仮に何かがあっても黙っていることだろう。正直不安で仕方ない。
「鈴、ちょっとトイレ行ってきても良いか?」
「うん、もちろん」
次回予告を見終えたお兄ちゃんは部屋を出て行く。
「ふぅ……お兄ちゃん成分の過剰摂取でどうにかなりそう」
足りないと良くないことが起こるが過剰に取りすぎても良くないことが起こる。それがお兄ちゃん成分なのだ。正直もう不足していた分のお兄ちゃん成分は補給済みであり、今はもう許容範囲限界のところまで来ている。
ま、まさかお兄ちゃんからこんな積極的に来るとは……嬉しい誤算すぎる。でもこれ以上あんな風にされたら私……た、耐えれるかな……?
お兄ちゃんが帰ってくる前に溜まった熱を冷ますべく私は手で顔を仰いだり、胸元をパタつかせて体に風を送る。
お兄ちゃんもやりたいことあるだろうし、しばらくはクールタイムかな。この高鳴る心と火照る身体を沈める時間が必要だし私としても丁度いい。
「よいしょっと……鈴、紅茶冷たいのだけど良いか?」
「うん、ありがとお兄ちゃん」
部屋に戻ってきたお兄ちゃんは飲み物とクッキーを持ってきてくれた。冷たい飲み物を飲みたいなと思っていたのでとてもありがたい。お兄ちゃん好き。
「っしょっと……鈴、来る?」
お兄ちゃんは先ほど同様優しい微笑みを浮かべ、太ももの辺りをポンポンと叩く。
……やばい、今日のお兄ちゃん積極性がすごい!えっ!?いきなりどうしちゃったのお兄ちゃん?私の事好きなの?私もお兄ちゃんのこと大好きだよ!?
私の頭がお兄ちゃん成分の過剰摂取によりついにおかしくなってしまう。もう論理的な思考は当分の間取れないだろう。1+1?35とかだっけ?
「……?どうする?」
なかなか動かない私に痺れを切らしたのかお兄ちゃんは優しい声音で選択を促してくる。
欲望に忠実に行くのであれば今すぐにお兄ちゃんの上に座りたい。でも、でもこれ以上行くとなんかこう……私駄目になっちゃう気がするの!
小さじ一杯ほどの理性が私の本能に急ブレーキをかける。えらい、偉いわ私の理性!そんな小さな体でよく本能を止めに入ったわ!後は任せて理性君!私がなんとかするから──────
「何か見たいものあるか?」
「んーお兄ちゃんの好きなものでいいよー」
ごめん理性君、この誘惑には耐えられなかった……。
ぐでんとお兄ちゃんに全体重をかけ、背中から伝わる体温と幸福感に私の口元はゆるゆるになる。
もう今日は理性とかそういうのどうでもいいや……今が幸せだったら私は何でもいいのです……。
考えることを放棄し、お兄ちゃんに甘え倒すことにした私。言い訳をするのならばお兄ちゃんが私の脳がぐでぐでになるまで甘やかしてくるのが悪いのだ。そんなのに耐えれるはずも無い、故に私は悪くない。
「じゃあこれでも見るかぁ。前から気になってはいたんだよなぁ」
お兄ちゃんが新しくアニメを見始めたのをよそに私はお兄ちゃんに甘えるように頭を擦り付ける。正直今アニメに払える集中力はない。私はお兄ちゃんに甘えるので精一杯なのだ。
「あ、クッキー食べたくなったり紅茶飲みたくなったりしたら言ってね」
「え?う、うん……」
い、一体どういうことなのだろう……?普通であれば「好きに食べてね」や、「好きに飲んでね」と言うはずだ。……試してみよう。
「お兄ちゃん、クッキー食べたい」
「あいよ。はい、あーん」
「!?!?!?」
このファーストクラスの席あーんオプションまでついてるの!?
片手で皿を作り、もう片方の手で私の口元にクッキーを近づけるお兄ちゃんに私の脳は興奮と驚きで飛び出しそうになる。
い、いいんだよね!?私から食べていいんだよね?
お兄ちゃんに脳をやられてしまった私はアイドルを前にした熱狂的なファンのような反応をとってしまう。お兄ちゃん成分の過剰摂取に、私はこれでもかというほどの多幸感と恥ずかしさでどうにかなってしまいそうだ。
「あ、あーむ……うん、美味しいよお兄ちゃん。つ、次は紅茶が飲みたいなぁ?」
「分かった。はいどうぞ」
溢れない様にそっと傾けられたグラスに口をつけこくこくと紅茶を飲み進める。
「ぷはぁ……ありがとお兄ちゃん」
「うん、何かあったら言ってね」
……お兄ちゃんのペットになった気分を味わえてなんかこう、ゾクゾクすると言うかなんと言うか……。私、来世はお兄ちゃん家の猫か犬になりたい。
その後もひたすらお兄ちゃんに甘え続けた。お兄ちゃん手ずから与えられるクッキーと紅茶は普段食べ、飲むときよりも数百倍甘美に感じられた。そこらの高級品よりもこちらの方が美味しい、間違いない。
お兄ちゃんのせいで私の理性はスヤスヤと眠りこけ、普段抑制されいている本能が雄叫びを上げながら野原を駆け回り始める。その結果───────
「お兄ちゃん頭撫でて~」
「よしよし、鈴乃はいつも頑張ってて偉いな」
「へへ~」
頭を撫でてもらい……
「お兄ちゃんクッキー食べたーい」
「はい、あ~ん」
「あーむ…むふ~」
クッキーを食べさせてもらったり……
「ん~お兄ちゃ~ん」
体の向きを変え、お兄ちゃんの胸板に頬ずりをしたりと甘えに甘え倒すことになる。昔のただひたすらお兄ちゃんに甘えていた時のことを思い出す。もうここから離れたくないと当時の私も思っていたっけ……。
まるで赤子をあやすようにとんとんと優しく叩かれる。その心地よいリズムに私の瞼はだんだん重くなっていく。お兄ちゃんから伝わる体温、心と体を包むお兄ちゃんの優しさと匂いに私の意識はどんどん遠のいていき──────
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