第37話 充電日

「んっ……んぅ……」


 カーテンの隙間から刺しこむ光で瞼に取り付けられていたおもりが軽くなる。まだ完全に開くには億劫に感じられたが目をほんの少しだけ見開き、枕元に置いていたスマホで現在の時間を確認する。


 まだ8時か……。


 本来ならもう既に学校に着いていてもおかしくない時間だが、今日は休日。まだ起きるには早く感じられる時間だ。


 もう少し寝るか……別に今日はどこかへ行くつもりもないければ、やらなきゃいけないこともない。家でだらだらする日なのだから後2、3時間は寝ても問題ないだろう。──────ん?


 二度寝を決め込もうと思い再び寝心地の良い姿勢を取ろうとした時ベッドの中、というよりも自分の身体に何か暖かいものが抱き着いている感覚を覚える。先ほどまでは寝ぼけていたから気が付かなかったが、ほんの少し意識と感覚を取り戻したおかげで、体にくっついている暖かさを知覚し、次いでその正体に気が付く。


「……やっぱり鈴か」


 ぺらりと布団をめくると自分の胸に顔をうずめて幸せそうに眠っている妹の姿があった。潜り込まないようお願いし、普段はその言葉をしっかりと聞き入れている鈴乃だが、時々こうして俺の制止を振り切って潜り込んでくることがある。


 鈴乃が小さいときは全然問題なかったのだが、彼女はもう高校生。流石に男女の、それも義理の兄妹がこうして一つのベッドで寝るというのはあまりよろしくない。鈴乃の将来のことを考えてそろそろ兄離れをしてほしいところなのだが……


「中々上手くいかないなぁ……」


「んぅ……んん」


 すりすりと俺の胸板に頬ずりする鈴乃を見て俺は口をつぐむ。こんなに心地よさそうに寝ているのに俺のせいで起こしてしまうのは申し訳ない。俺も二度寝するつもりだったし、今日はこのまま寝かせておこう。何かを言うのは後からでいいや。


 段々重さを取り戻してきていた瞼に俺は白旗を上げ、再び体の力を抜く。鈴乃のおかげで少し目が覚めたため、このまま眠りにつけるか少し心配だったが、鈴乃から伝わる体温が非常に心地よく、俺の意識はあっという間に遥か彼方へと飛んで行ってしまった。








「ん……んんっ……今何時だ?」


「11時くらいだよ、お兄ちゃん」


「そっか、大分寝たなぁ………あの、鈴乃さん?」


 ぽつりと呟いた独り言に返事が返ってくる。鈴乃が俺のベッドに潜り込んでいたことは把握済みなのでそこには驚かない。が、ぼんやりとしていた視界に鮮明さが戻ることで俺は今の状況に疑問を抱くことになる。


「どうしたのお兄ちゃん?」


「何をしてるんですか?」


 なんと目の前に鈴乃の顔があったのだ。それもにっこにこの笑顔の鈴乃が。


「お兄ちゃんの寝顔を観察してたの」


「そんなさも当然かのように言われても困るんですけど……それに見ててもあんまり面白くないだろ」


「そんなことないよ、私にとってはすごく面白いし楽しいことだよ」


「……そっかぁ」


 そう言われてしまえばもう何も言い返せない。ま、まぁ人の寝顔って案外面白かったりするのかもしれないし、鈴乃にそういう趣味があったことは意外だが、そこは兄としてしっかりと認めて受け入れてあげようじゃないか。


「お兄ちゃん今日はどこか行く予定ある?」


「いや、特にない。今日は家でのんびりしようかと思ってた」


「分かった!それじゃあ今日はたくさんお兄ちゃん成分を充電できるね!」


「お兄ちゃん成分って何……鈴、起きれないから離れて?」


「今、朝の充電タイムだから」


「……さいですか」


 先ほどまで目の前にあった顔が今度は自分の胸元へと移動する。そろそろ起き上がろうと思っていた矢先コアラの様に抱き着かれてしまう。俺は大人しく鈴乃の充電が終わるまで、ぐりぐりと額を擦り付けてくる彼女の頭を丁寧に撫で続けるのだった。


 






 それからは歯を磨いたり、ご飯を食べたりといつものようにのんびりと過ごしていく。だが、今日はいつもと違う部分が一つだけある。それは──────


「鈴?」


「?…どうしたのお兄ちゃん?」


「いや、どうしてついてくるのかなぁって思って」


 何をするにしても鈴乃が後ろをついてきたり、横にやってきてくっついてきたりと某有名RPGのように俺の傍から片時も離れないようとしないのだ。


「朝言ったでしょ?今日はお兄ちゃん成分を充電する日だって」


「な、なるほど?」


 答えになっているようななっていないような返答に俺は困惑した声を上げる。


「ちなみにお兄ちゃん成分って何?」


「お兄ちゃん成分はお兄ちゃん成分だよ?」


「そっかぁ」


 ……なるほど、深いなぁ(深くない)。なんで○○なんですか?と聞いたときにそれは○○だからだよとさも当然のように言われるときってなんか「そうじゃねえよ!」っていう言葉よりも先に「お、そうだな」っていう悟りに似た謎の感情が先に来るよね……これもしかして俺だけ?


「ちなみにその成分を充電すると一体どんな効果があるんだい?」


「私が元気になります」


「なるほど……じゃあその成分はどうやったら充電されるの?」


「お兄ちゃんと一緒に居ると充電されます」


「ふむふむ……一緒に居るだけで良いのか?」


「頭を撫でたりぎゅーしてくれたらより効率よく充電できます」


「ほうほう……」


 つまり今日俺は一日中鈴乃と一緒に居て時々鈴乃を甘やかさないといけないのか……うん、全然問題ないしむしろ歓迎すべき内容だ。


 ………でも兄離れどこ行ったって話になるんだよなぁ……。


 高校生になったのだからそろそろ兄離れが必要だという考え、これ自体は間違っていないし正しい考えだと思う。俺ではなく、友達と過ごす時間を増やして欲しいと考え、白川に仲良くなって貰った訳だが……まぁそう簡単に兄離れは出来ないか。


 ゲームもSNSもお酒もたばこも全て同じ。何かをやめる時は少しずつ慣らしていかないといずれ大きな反動が返ってくる。無理して我慢し、抱え込んだストレスのせいで逆戻りなんてことはざらにある。それは鈴乃にとっても同じこと。今まで甘やかしてくれた兄がいきなり距離を取ったらさらに依存度が上がってしまうかもしれない。


 現にこうして一日中くっつきます宣言をされてしまったわけだし。今後の兄離れ計画はより慎重に進めていかないとな。ちょっとずつちょっとずつ、鈴乃の中にある俺の割合を減らしていこうじゃないか。


「その……迷惑…かな?」


 俺の反応があまり乗り気じゃなかったからか、少し悲しげにこちらを見上げる鈴乃。確かに兄離れは大事だが、そのせいで妹を悲しませてしまうのはよろしくない。確かに最近鈴乃と二人でいる時間は短かったし、今日くらいはとことん甘やかした方がいいかもしれないな。


「全然、むしろ鈴乃だったら大歓迎よ」


「……ほんと?」


「ほんとほんと。あぁでも朝も言ったけど今日は部屋でだらだらするだけだからあんまり面白くないかもしれないぞ?」


「ううん、大丈夫だよ!むしろそれが良い!」


「そっか」


 食い気味に俺の言葉に頷く鈴乃の頭を優しく撫でる。いつもとやることは変わらないし俺にはメリットしかない。これで鈴乃が喜んでくれるのならこれでもかと言うほどに甘やかしてやろう。

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