第8話 怒り、後に反省

「はぁ……これだからのろまは困るん───って、な、なんだよお前!」


 鈴乃の存在に気が付いた後、俺の体は無意識のうちに少年の前に立っていた。


「っ!」


 鈴乃も俺がここにいることに目を大きく見開いて驚き、気まずそうな表情を浮かべながら俺から視線を逸らす。


 どうして鈴乃が俺や葵さん、父さんに話してくれなかったのかは分からない。もしかしたら自分の力で解決したかったのかもしれない。もしここで俺が動いてしまったら彼女の成長の機会を奪ってしまうことになるかもしれない。だが、妹が目の前で悪く言われているのを見て放置するなどお兄ちゃんには出来ないのだ。


「君、さっきその子になんて言った?」


 出来るだけ感情を、怒りを面に出さないようにしながら優しく問いかける。こいつはおそらく鈴乃と同級生。大丈夫だ、俺は小学生のガキ相手に怒鳴ったり、掴みかかったりはしない。何せ俺は大人だからね。


「べ、別になんだっていいだろ……」


「まぁこれが赤の他人だったら軽く注意して終わるんだけどさぁ、その子俺の妹なんだわ」


「えっ……」


 少年は逸らしていたいた目線を慌ててこちらへと向ける。彼は似てないとでも思ったのか目を細めて疑いをかけてくる。


「まぁ、兄って言っても義理の兄なんだけどね。で、話を戻そっか。君は俺の妹に対してなんて言ってたのかな?」


「えっと……その……それは……」


 体全身に力が入っているのか、俯いたままピクリとも動かなくなってしまった少年。大丈夫だよ少年、俺は君とお話がしたいだけなんだから。大丈夫大丈夫、暴力が振るわれることは無いんだし。俺はただ君とお話がしたいだけなんだから。


「ん?ほら、正直に言いなよ。正直に話したら怒らない……って言うのは保証できないけど」


 俺は先生たちとは違って怒る可能性が十分にあることを教えてあげた、なんて優しいのだろうか。怒らないからって言われて怒られた時のあの何とも言えないやるせなさは嫌いだからね。


「…………」


 答えは沈黙。怒られると分かっているからか、それとも緊張や恐怖で言葉が出ないか。まぁどちらにしてもそっちが話を進めないのならこちらから進めてさせてもらおう。


「のろま」


「っ!」


「さっきの会話聞こえちゃったんだよね。妹に対してのろまかぁ……ねぇ君、ここ最近ずっと鈴乃に対して悪口言ってたでしょ?あぁ、無理に答えなくてもいいよ?多分正解だろうし」


 一ヶ月もの間、少年がほぼ毎日鈴乃に対して悪口や、意地悪な発言をしていたことは想像がつく。もし前世の俺を知っている人がこの状況を見たら「どの口が言ってんだ」とはなるが、今はそんなことはどうでもいい。過去から学び、そして振り返らない男。それが俺なのだ。


「あんまりこれ以上言うのもあれだから手短に済ませるけど、もし君が鈴乃のことを好きでいじめたり、ちょっかいをかけているんだったら今後鈴乃には近づかないでもらってもいいかな?君のせいで妹が悲しい表情してるとこ見たくないんだよね」


 出来るだけ笑顔を浮かべながら、諭すように少年へと語りかける。


「返事は?」


「は、はいっ……!」


 恐怖の感情が滲んだ声音で返事をする少年に、俺はにっこりと微笑む。そして当初の目的であるゴミ捨てをした俺はそのままスタスタと教室に戻っていった。







 やっちまったああああああああああああ!!!


 授業を聞き流しながら俺は頭の中で一人反省会を行っていた。


 いやまぁね?妹が最近暗くなっている原因が目の前にいたらそりゃ飛び出しちゃうのはしょうがないと思うの。実際飛び出していったこと自体は後悔していないしね。問題は別のところにある。


 もうちょっと大人っぽく解決すること出来なかったの!?そもそもまだ解決してないし!!


 先ほど少年へ向けた態度、掛けた言葉。その全てが子供っぽく、ただ自分の怒りと不満を伝えただけで今後の鈴乃の学校生活など微塵も考えていない発言ばかりしてしまった。


 自分の危惧していた「俺のせいで周囲から浮いてしまう」という事象が現実味を帯び始め、俺の胃はまだ若いというのに尋常じゃないほどの痛みを発している。


 絶対これ鈴乃に嫌われた……。絶対「お兄ちゃんのせいで私クラスで一人ぼっちになっちゃったの!!」と後で不満を言われるに違いない。あぁ……気を付けなきゃと言っていたにも関わらず、本能のままに行動してしまったことを悔いるのです愚かな晴翔よ。当初の目的である「妹を甘やかす」は失敗に終わりました。おぉ……第二の人生始まったばかりなのに死んでしまうとは情けない。





「じゃあな晴翔」


「うん、またな」


 時は放課後。荷物を片付けながら友人へ挨拶を交わす。他の人に心配をかけないように出来るだけ表情や雰囲気を変えないでいるが、どうやら上手くいっているらしい。こうして明るく振舞っているが今の俺は鈴乃の件で頭が一杯だった。


 どうしよ……鈴乃に合わせる顔がないんですけど……


 いつも放課後は鈴乃が来るのを待っている俺だが、今日だけは一人で帰りたかった。鈴乃からあまりよく思われていないのなら、出来るだけ不快な思いをさせないように視界に入らないようにしなければならないのではという思考が授業中から延々と脳内を回っていた。


「そうだ、今日は少し遅く学校を出よう。そうすれば鈴乃も先に帰ってるだろうし」


 単純だが効果的な帰る時間をずらす作戦を取ることにした。これなら何か言われた時も先生に呼び止められていたなどの嘘を吐くことが出来る。妹に対して嘘を吐くなど兄としてどうかと頭の中でお兄ちゃん人格の俺が話しかけてきたが、鈴乃が傷つかない優しい嘘なら吐いてもいいという結論が出されるともう一人の僕も大人しく引き下がってくれた。


 図書室……いや、しばらくはここで時間潰すか……。


 図書室で本を読んで時間を潰そうかと考えたが、本を読む気になれなかったし、そもそも図書室が空いているのかという問題が浮かんでしまったためこのまま教室で待っていることにした。先生に何か聞かれたら探し物をしてましたとでも言っておこう。


「はぁ……」


 俺はクラスの人が全員帰ったことを確認してから一人ため息を吐いた。もっと穏便に、鈴乃の学校生活が脅かされないように解決することが出来なかったのか、その考えが頭から離れない。


 あの時の自分が感情の手綱をしっかりと握ることが出来ていたら、鈴乃ともう少し仲良くなれていた未来があったかもしれない。そう考えると何もかものやる気が失われていく気がしてしょうがない。


 俺の第二の人生の大きな目標の一つが早々に崩れるとか……俺は前世で一体何を学んだんですかねぇ……。


 自己嫌悪の感情がむくむくと膨れ上がる。あの25年間から何も成長できていない事実を突き付けられ、俺は今すぐに部屋に引きこもりたくなった。


「……もっかいやり直せたらなぁ」


 何を贅沢なことを抜かしているんだと自分でもツッコミを入れたくなる。もう既にチャンスは与えられていた、それなのにそのチャンスを棒に振ったんだ。分かってる、分かってるからこそ俺は現実逃避をしたくなったのだ。今くらいはこんな弱音を吐くことを許して欲しいと誰かに言うわけでもないがそう頭の中で考えた。


「あっ……お兄……ちゃん」


「……へ?」

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