小説家に舞い降りた天使

ぼっち

第1話 【編集者】坂本は思う

 雲一つない快晴。

 鬱々とした感情。

 そんな対比と化した情景が、余計に彼の心理状態を浮き彫りにした。

 謎の徒労感、憂鬱感、絶望感。

 ここ一年は笑顔すらも忘れていた。

 そんな彼に、呟きをもたらす程の怪奇現象が起ころうとしていた。

 そして、


「はあ……今は空から人が降ってくるのが常識なのだろうか」


 彼は目の前で起こっている奇異な出来事を淡々と語った。

 彼にとって高鳴りの感情など、とうの昔に忘れてしまったらしい。

 故に、彼は淡々と語るのだ。

 そう、たとえ、

 ……コロナ、戦争、人工知能。今の時代、何が起きるか解らないなぁ。

 彼がぼんやりと思考巡りを遊ばせているうちにも、人の自由落下は止まらない。

 とうとう落下人が、女性であることが分かる距離にくると……。


「………………あッ」


 胸元に両手を重ね、伸びた背筋を地に向けながら、ふんわりとまるで桜が舞い散るよう、やおら全裸の女性が舞い降りた。

 ……魔法か、なにかで重力操作でもしているのだろうか。魔法の石でも吊り下げているのだろうか、ラ◯ュタみたいに。

 彼は思考しつつも、彼女を優しく抱きかかえる。

 

「……あのう。え? あ、だ、ダイジョブですか?」


 彼がどもるに至った原因。

 それは彼女があまりにも、それこそ人間離れした程に美しいからであった。

 白髪に小柄な体躯。

 青い目の、スタイル抜群の美女。

 例え、奈落の底に落ちた無価値な人間だろうと、美女が上空から降って来る事は驚愕に値した。

 彼の忘れていた感情が一気に放出された。

 心拍数が上昇の一途を辿る。

 大きく息を呑む彼の眼の前で、その美女は小刻みに周囲の匂いを嗅いでいた。

 そして、彼の体臭を嗅ぐと、今度は目を輝かせていた。


「クンカクンカ……良い匂い……!」

「……いや、僕は食べ物じゃないですけど」

「あなたはだれ? ここはどこ?」

「君は上空から降って来た女の子。そして全裸でもある。ここは地球という星の、日本と言う場所の、北海道の札幌という場所ですけど」

「なるほど! わたしはどうやらねむっているあいだにちがうほしに、きていたらしいですねっ!?」

「違う星……? あの、よく解らないんですけど……」


 彼は頬を朱に染めて、美女の体から視線を逸らす。


「もしかしてどこかに服はあるんですか? 寝るときは全裸なんですか?」


 明らかに手には何も無いが、彼がそう尋ねたのは魔法で服を召喚する可能性を考慮した結果だ。

 とはいえ、ここまで全裸を異性に見られ、無反応と言うのは可笑しい。


「ふく? わたしのせかいにそのようながいねんはありませんが」

「ほう。それは行って見たい惑星だ!」


 彼の表情は驚きと願望に変化を遂げた。


「あなたがはだかじゃないのは、そのふくというものをきているから?」


 彼はお姫様だっこを続けたまま、「え、ええ」と答える。


「なんと! このちきゅうのせいたいにきょうみがあります……では、おたがいをよくしるために性行為をしませんかッ!?」




「………………………は?」


 水無月みなづきみなとの担当編集である坂本さかもと京介きょうすけが唖然とする。


「いやだから、こういう夢を見たんだって!」


 対して、自室の机に坂本と対面しながら座る湊は、A4用紙にコピーされたその原稿を手元でひらひらさせる。


「いや……それは解ったんだが、だから?」


 坂本は眠たそうに目を擦り、小首を傾げる。


「だからこれが新作のプロットだ!」


 と、湊はコピーされた数枚の原稿をダンと机上に叩きつける。


「はぁ~~~……いやな、うん、普通に読むよ? でもな、だからと言ってな、この時間に呼びつけるなよッ!」

「今は朝の六時半だけど?」


 湊はこの夢を忘れてはいけないと血眼になって、パソコンに夢に出た内容をタイプした。

 彼の胸中では、良い新作が作れたかもしれないという期待が入り混じる。

 そこで客観的判断を下せる編集者を自部屋に呼んだわけだが……


「ったく、お前の所為で三時間しか眠れてねぇ!」

「ソレオレ関係なくね? ってか、凄いね。んで、この原稿、どう?」


 湊は額に血管を浮かべる坂本を無視して、淡々と聞く。

 余計にそれがムカついたのか、坂本は、


「……っかあああああ! 没だ没! どうして地球外生命が空から降って来るんだっ? どうして人型の美女……それはまあいいとして、鬱っぽい主人公がどうして悠々と堤防なんか歩いてんだ? なんで言葉は通じてんだ? もう何もかも解かんねぇよ!」


 怒りという名の言葉の羅列に、湊は狼狽えた。


「な、中々きついっすね。アハハ……で、でもそれは夢だから……」


 先程とは打って変わって、湊は弱腰に物語る。


「だからこそだ。結論を知りたい。結論を!」


 むむむ、と湊は唸る。

 確かに、勢いだけで坂本を呼びつけてしまった。

 多少は反省する湊。 


「ま、確かに面白そうではあったから、その企画とも言えない企画を練り直してから、もう一度見せてくれ……」


 と、最終的には優しく包み込んでくれるのが編集の坂本なのだ。


「さすが俺の編集者だな! よしっ、ってことで俺は二度寝する」

「うん、頓死しろ」


 怨念を残して、坂本は湊の家を出て行った。

 ちなみに、どうして呼び出されただけで坂本が来れるかと言うと、出版社と湊の自宅が徒歩七分と近く、坂本が出版社の中にいたからだ。

 こうして、湊は二度寝をするのだった。



 水無月みなづきみなと(ペンネーム)は、高校三年生の時にライトノベル新人賞の佳作を受賞し、作家となった。

 それから約四年間の間で、六冊を刊行し、現在はシリーズものを一つ抱えている。

 特段売れっ子作家ではないのだが、集中したら止まらない病気のような特技を生かしてここまで生き残ってきた。

 世に出している湊の作品は完成度がかなりというか、超高い。

 ――けれど、坂本は思うのだ。

 湊ならば、と。


「あ~。アイツは意外にもそこそこ優秀なガキなんだけどなぁ」


 湊の数多なアイデアを没にしてきた張本人は、彼のあどけない顔を思い浮かべて溜息を吐く。


「何か、成長させてくれる足掛かりみないなものがあればなぁ……」


 だが現実は空から美女が降ってくることも無ければ、無為に才能が植え付けられることもない。

 というか既に湊は十分な才能を得ているのだ。

 これから先は、彼が自分で乗り越えていかなければいけない。

 自分もまた編集部に戻って、仕事をこなすのみ。

 数時間の仮眠は必要だが……あのクソ野郎(湊)の所為で仮眠時間が削られたじゃないか!

 まあ、なんやかんやで、二人は仲が良いのだ。

 ……すると。


「あ、坂本さん。こんにちわ」

「あれ、天音さんじゃないですか。こんな時間にどうしたんですか?」

「ええっと、大学に……」


 セミロングの茶髪でスタイル抜群の彼女―—佐藤さとう天音あまねは近くの大学に通う大学生だ。

 顔立ちも良く、湊曰く、異性からはよく告白されることが多いのだとか。

 湊と同じ大学の同期、だったらしい。

 だから、一緒にいる所を何度か見かけたことがあった。

 既にお互い、自己紹介したことがあり、二人は既に知人の関係だった。


「って、こんな時間って時間でもないですけどね……」


 腕時計を外していたので、スマホの画面を開いて時間を確認する坂本。

 画面には七時十五分と表示されていた。


「はっ⁉ クソッ……!」


 そう憎々し気に呟く坂本に、苦笑いで、


「編集者さんも、色々大変なんですね……」

「ええはい! ほんっともう、大変なんですよ‼︎ でも……はは、なんやかんやで楽しいんですよね」


 少し感情的になっているのか、坂本は表情を綻ばせて言った。

 そんな彼が、今の天音には大変輝いて見えた。

 何か目的に向かって真っ直ぐに突き進む生き方をしている彼が、心の底から羨ましかった。


「……そうですか。頑張ってくださいね」


 天音は胸中に募るざわつきを無視して、言葉を掛ける。


「ええ、ありがとうございます」


 どちらからともなく、二人は歩き出した。

 坂本は、あぁ、本当にアイツも天音さんみたいに良い人だったら……! 

 と、夢物語を浮かべるのだった。

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