第35話 「貴方がずっと好きだった」

 その人は、すぐに応えてくれた。


「エルっ……!」

 

 鈍い打擲音が響いた後、一気に負荷がなくなり、エルフリーデは激しく咳き込む。気づけば、ギイがコッパー子爵子息をなぎ倒したところだった。ギイは座り込んでいるエルフリーデを守るかのように目の前に立つ。


(ギイ……、きて、くれてた……っ)


「おい、殺されたいらしいな……!?」

「がはっ……」

「聞いてんのか、お前……?」

「んだよ、話が違うじゃねえか……!」

「話が違う、だと……?」


 よろよろと立ち上がったコッパー子爵子息が、ぺっと血を吐き出し、顔を歪める。


「興が削がれたわ。その女が無理やりやられるのが好きだからって話だったからよ、それにのったまで。野郎が出てくるってことなら俺は降りる」


 ギイの拳がぐうっと握りしめられ、ぶるぶると震えている。


「興が削がれた、だと……!? お前がしたことは犯罪だぞ、クレモンヌ家が正式に謝罪を求めることになるだろうな」


 這うようなギイの声が響き渡ると同時に、コッパー子爵子息がにやっと笑う。


「できるものならやってみろよ」

「ああ、できるさ。何があっても謝罪を求めるぞ」

「やってみろよ、でも俺にグレンフェル嬢を襲うように頼んできたのは、彼女の身内だぜ」

「身内だと……?」

「ああ、マリス=グレンフェルだよ。身内だろが」


(……マリス……?)


 呆然とするエルフリーデと、悔しそうに唇を噛むギイに向かってコッパー子爵子息は肩をすくめた。


「俺だったら、マリス嬢を大人しくさせるけどな。エルフリーデ嬢、脅かして悪かったよ」


 形だけの謝罪をすると、コッパー子爵子息は去っていった。


「くそっ……、あいつ……、絶対に後で痛い目をみさせてやる」


 ギイが唸るように呟いたが、すぐに振り返って、エルフリーデの隣に跪いた。

 

「怖かっただろう、もう大丈夫だ」

「ギイ……」


 彼女がのろのろと手を伸ばすと、ギイが抱きしめてくれた。

 彼の温度を感じてようやく助かったと実感したエルフリーデの身体が小さく震え、ギイの腕に力がこめられる。


「だから言っただろう、庭園を一人で歩くのは危ないって……!」

「ごめん、なさい……。でも、マリス……なんで……、私、なんで……あんなに嫌われているんだろ……どうして、どうしてなの……あんな、人を使って、襲わせるほどなの……?」


 ぽつりと呟くと、ギイがぐっと口元を引き締めた。


「マリス嬢のことなんてもう気にするな」

「でも、でも……っ 私、お義母様にもずっと……好きになってもらえなくて……きっと、私にもなにか問題があって……ずっと、礼儀作法もまともにできなかったから……っ」


 感情が高ぶるままに言えば、ギイの腕に力がこもる。


「違う、お前に問題があったんじゃない」

「――っ」


 強く否定されて、言葉をのみこむ。

 ギイはまっすぐ見通すような強い視線で、エルフリーデを見つめていた。


「お前のことを大事にしないやつらなんて気にするな。俺は――俺はずっとお前だけが好きだ、エル」

「……っ」

「ずっと好きだった。今のグレンフェル伯爵夫人にお前と会うことを禁止されてからも何度もお前に手紙を送ったくらいだ」

「……、手紙、を……? でも……」

「届いていなかったんだろ? この前、グレンフェル伯爵にうかがったよ。手紙も花も、お前に届く前に伯爵夫人の命令を受けた使用人によって取り上げられてたって……」


(そうだったの……?)


 言葉が出ないエルフリーデの頬を、ギイがそっと撫でる。


「返事が来なくてお前に嫌われたのかなって思ったけど、でも思い出したんだ。お前の新しい義母グレンフェル伯爵夫人が、お前に冷たく接してたこと。だからエルに手紙は届いていないかもとも思ってた。どうにかしたかったけど、俺にできることは何もなかった」

 

 がくりとギイがうなだれる。


「両親には相談したが……他の家庭のことだからと顔を見合わせるばかりで……。いくら親友でもそこまで口出しできないよって父には言われていたんだ。だから俺にできることはなかった、と思ってたが……」


 ギイがぎりりっと奥歯を噛みしめる。


「でも、もっと必死になればどうにかなったかも知れない。手紙だって花だって直接渡しに行けばよかったんだ、人任せにしたからこうなったと反省している。グレンフェル伯爵に直接言えば、きっとどうにかしてくれた。彼だって君のことを想っているから」

「ギイ……、ずっと、そうやって私のことを忘れないでいてくれたの……?」


(ギイも、私みたいに……ずっと……?)


「忘れるわけないだろう!」


 きっぱりとギイが首を横に振る。


「俺がエルのことを忘れるわけがない。婚約だってエルじゃなきゃ嫌だと父上に強く言ったのは俺なんだ。もちろん、両親はお前のことを気に入っていたから、承諾してくれたんだが」


 初めて知ることばかりだ。


「ギイが……、クレモンヌ伯爵に言ってくれたの……?」

「ああ。グレンフェル家の問題には口は出せないけど、俺との婚約のことなら言えるって、すぐにグレンフェル伯爵に申し入れてくれたよ」

「ギイ……っ」


 ぽろぽろとエルフリーデの瞳から、こらえきれず涙が溢れ始める。しゃくりあげないようにするので精一杯だ。


「ああ、もう泣かないでくれ。お前に泣かれると俺はどうしたらいいかわからなくなる」


 ギイが彼女を引き寄せ、しっかりと抱きしめる。

 そうするとようやくエルフリーデは泣き止むことができた。


「ようやくまた話せるようになったけど……お前は心を閉ざしてしまってた。どうにかして昔のお前みたいになってほしかったけど……、俺は言葉足らずでお前を傷つけたよな、ごめんな……。最初に今でもお前が好きだって伝えればよかった。でも、怖がらせたらいけないって思ってしまって……」

「ううん、ギイは何も、何も悪くない……私が、私が諦めてたから……」

「でもため息をつかれただけで震えてただろ、お前。一体どんな風にされたら、あんな風になるんだよ、お前の家族だけど……絶対に許せない」


(ギイ、やっぱり気づいてくれてた……?)


 エルフリーデの心が、ふわっと緩む。


「ギイ……、ありがとう」


 彼女はそっと手を伸ばし、彼の頬を包んだ。


「私も、貴方がずっと好きだった。好きで好きで……、会いたかった」

「エル――……!」


 ギイの瞳が丸くなり、それから笑み崩れた。


「俺もお前が大好きだ。義理の母親とか妹のことなんてもう忘れろ。……俺にしとけよ」

「うん……!」


 そこでギイがふと動きを止め、天使の像を見上げた。


「そういえばこの像の前で倒れてしばらく……お前がお前じゃなかった気がしたんだよな」

「え?」

「いや、お前なんだけどな……お前じゃなかった気がしたんだよな。記憶がないってだけじゃなくて……。だけど、今はちゃんと俺の知ってるエルだ。こうして戻ってきてくれて嬉しい」


(ギイ……気づいて……? の帰りを、待っててくれた……?)


 再びエルフリーデの瞳に涙があふれ、いつの間にか彼女は静かに涙を流していた。

 誰も待っていてくれないのではないか、そう思っていたのに――ギイは待っていてくれたのだ。そして戻ってきたエルフリーデに、こうして愛を捧げてくれた。


(戻ってきて、よかった……!)


「わっ、また泣いて……!」

「わ、わたし、私も……、私もなんか、自分が自分じゃないみたいだったんだ」


 そう言えば眉毛を下げたギイが、そうか、と優しく相槌を打つ。


「―――しんじ、られないっ……! どうして、ギイ様が……っ!!」


 そこへマリスの甲高い声が響き合わたり、エルフリーデははっとする。


「お前……、よくぬけぬけと……っ」


 すぐ側でギイが吐き捨てるように言う。

 立ち上がったギイに手を貸してもらいながら、エルフリーデも身体を起こす。


「なんで、なんで助かったのよぉ……っ!!」


 興奮して叫び続けるマリスがエルフリーデに掴みかかろうと手を伸ばしたが、ギイがそれをはたき落とした。


「エルに触るな」

「なっ……」


 払われた手を見つめて、マリスが呆然とする。


「私の手を、叩いたの……?」

「当たり前だろ、エルに何をしようとしたのか知ってるんだぞ、こっちは……! 男に襲わせようとしたな、それは犯罪だ」

「なんでぇ、そんなひどいことをいうのぉ……?」


 みるみるうちに顔を歪め、そして目が潤んでいくマリスに向かって、ギイが口を開いたが、エルフリーデは彼の腕に手を置いて、それを制した。


「お父様に、言います」


 びくっとマリスが身体を震わせた。


「え……?」

「今夜のこと、お父様に言うわ。どうされるかはお父様に決めていただくけれど」


 マリスの顔色がさっと真っ白に変わる。


「あ、私……、そんなつもりは、なくて、その……ちょっとだけ、怖がればいいと、おもって……、全然、全然そんな風に言ってはないの、ちょっとだけ、ちょっとだけ脅してって頼んだだけだしっ……」


 エルフリーデは首を横に振る。


「今、ギイに手を払われて、痛かったでしょう?」

「……っ」

「でも、コッパー子爵子息が私に与えようとしていたのは、そんな痛みじゃなかったわ。ギイが間に合わなければ、私の尊厳は……壊されていたと思う」

「お、お義姉、さま……っ」


 静かな眼差しでエルフリーデはマリスを見つめる。


「そんな風に呼ばないで。貴女をもう義妹家族だとは、思わない。まぁ貴女は、最初からそう思っていなかったんでしょうけど……、家族になれると思っていた、私が愚かだったんだわ」


 エルフリーデは一度口を閉じ、それからはっきりと告げる。


「私は貴女を許さない。でも、これが貴女の望んだ結果よね」


 背筋を伸ばしてエルフリーデは最後通牒をマリスに突きつけた。

 超えてはならない境界線がある。

 マリスは、愚かにもそれを踏み荒らしたのだ。


「あ、あ……っ、だって、だってギイ様が、ギイ様との婚約、が……、私のものになったかもしれなくて……、お義姉様が邪魔で……っ」


 マリスが縋るようにギイを見たが、彼は心底嫌なものを見るように顔をしかめた。


「俺はずっとエルだけが好きだったんだ。お前が婚約者だなんて、こちらから願い下げだ」

「――ッ」

 

 蒼白になったマリスが、エルに視線を戻した。


「お、お義父様には言わないで、お願い、お願いっ……、きっと、まともな婚約も来なくなっちゃって、お母様に私、見放されちゃって。そしたら私、私――」


 エルフリーデはぐっと拳を握りしめた。


(前の私だったら、ここで許したかも知れないけど、でも――……)


 だがそこで、不思議なことが起こった。

 ピカッと一瞬鋭い閃光が走り、どすんと大きくて鈍い音が響き渡ったのだ。


「きゃっ……」

「エル!」


 ギイが彼女を守るように抱きしめてくれなければ、驚いて足を滑らせていたかも知れない。


「あ、ありがとギイ」

「ああ。なんだったんだろうな、今の。雷か……? に、しては音がなかったよな」


 そこでぱちぱちと瞬きをしたエルフリーデは、マリスが立っていた方向を見て、あっと声をあげた。


「ギイ、マリスがっ……!」

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