第33話 「side マリス=グレンフェル」
マリス=グレンフェルは苛々していた。
(何よ何よ……っ)
目の前で、エルフリーデが父親と楽しげに会話を繰り広げている。
(ギイ様と美術館に行ったんですって……!? 聞きたくないわ、そんな話っ!!)
腹が立ちすぎてて、食事がろくに喉を通らない。
マリスがエルフリーデとギイを最初に見かけたのは、母が義父と再婚する前に、エルフリーデの母のお葬式に参列した時のことである。
マリスは、泣き続けるエルフリーデの隣に佇む美しい少年に目を奪われた。
そしてその少年が、エルフリーデの唯一の味方であるかのように、彼女の手を握っていたことを、子供心に羨ましいと感じたのだ。
要するに、マリスにとってギイは初恋の相手だったのである。
二人が仲が良いのは知っていたので、母がエルフリーデにギイと親しくするのを禁じたときはすかっとした。母はエルフリーデだけでなく、自分にも禁じたのだけれど。母は礼儀作法には特にうるさいから、驚かなかったが。
エルフリーデの屈託ない明るさは、マリスをいつだって苛立たせた。
ギイだけでなく、義父もエルフリーデを優しく庇護していて、再婚してからすぐにエルフリーデを街に連れ出したときは腹が立ってしょうがなかった。
自分の両親はずっと仲が良くなく、父が亡くなったと聞いてもマリスはなんとも思わなかったくらいなのに。
だが母が義父に抗議してくれたのだろう、それから義父がエルフリーデだけを街に連れ出すような、えこひいきするようなことはなくなった。
マリスはそれからもエルフリーデを"威嚇”し続けた。
自分より格下だと示してやることで、彼女が不幸になればいいと思っていた。
途中まではうまくいっていたのだ。
マリスが攻撃すれば、エルフリーデは心を閉ざし、そして自分の意見をのみこむ。そのままろくでもない貴族と結婚して、どこか遠くに行ってしまえばいいと考えていた。目障りな義姉さえいなくなれば、グレンフェル家の中心人物は間違いなく自分となる。
全てが変わったのはやはり、エルフリーデとギイ=クレモンヌとの婚約。
どれだけマリスと母が抗議しても、義父が珍しく折れなかった。
それから、マコノヒー伯爵家で彼女が昏倒してからだ。
エルフリーデがしたり顔で自分に意見をしてきたことを思い出して、マリスはぎりっと奥歯を噛み締める。
(許せない……ああやって大げさに倒れてみせて、記憶がないなんて言い張るなんて)
最初は自分の"秘密の交遊”について指摘された。それは、知らない、の一点張りでいけるはずだ、と踏んだ。エルフリーデは、母に知られたらどうするなどと言っていたが、おそらく母はマリスの貞操についてそこまで気にしていない。表でしおらしくしていれば、問題ない。裏で“遊んでいる”貴族はたくさんいるからだ。
けれどギイに関しては、違った。
『もしクレモンヌ家が社交界での知名度が高くなくても、彼が人気のある令息ではなくても、我が家に婿に来てくれなくても……、私が家から出ることになっても、それで生活ががらりと変わっても、私は彼と婚約を結びたい――……彼が、いいの。だから婚約者としての立場は貴女には譲れないわ』
エルフリーデは凛としていて、一歩も引く様子がなかった。
あまりにも理路整然と言われてしまい、マリスは思わず黙り込んでしまった。
(私としたことがなんであの時……悔しい……、今度言われたら絶対に言い返す!)
忌々しいことに、今ではギイだけでなく父もエルフリーデに夢中になっているように思える。そしてどうしてか、日に日にエルフリーデが美しくなっていっているような気すらする。
(最初からギイ様が私に興味がないことくらい、知ってた……!)
ギイが誰をみているのかわからないほど、自分は愚かではない。彼は幼い頃からずっとエルフリーデのことしか見ていない。どれだけ美しい令嬢たちに囲まれようとも、ギイは壁の花であるエルフリーデだけを目で追っていた。
それをエルフリーデは知らないはずだ。マリスとしても、エルフリーデに気づかせるつもりもなかった。
(婚約なんて家と家の約束でしょっ……、だったら私でもいいじゃない。それに私だってギイ様が相手なら、遊び回ったりしないわっ!)
マリスは食後の珈琲を断ると、楽しげに義父と話し続けているエルフリーデに一瞥もくれずにダイニングルームを後にした。
◇◇◇
昼前に、怒りがおさまらなかったマリスは母の部屋を訪れた。
朝食後もすぐに向かったものの、母は義父の執務室にいると聞かされた。きっと母は、自分とギイの婚約についてもう一度話し合ってくれたはずだとマリスは信じていた。
「お母様、ご一緒してもいい?」
「いいわよ」
許可をもらったマリスは、母が座っているソファの隣に滑り込む。
普段ならばあまり褒められた所作ではないわね、と軽く叱られるだろう雑な動きであったが、どうしてか母は何も言わなかった。
マリスはすぐに母に向き直る。珍しいことに母がぼんやりとしているように見えたが、気にしない。
「お母様、このままだとお義姉様がギイ様と結婚してしまいます……!」
そう切り出す。
すると、ここでマリスには思ってもいないことが起こった。
母の態度が、180°変化していたのである。
「それは仕方ないわ。旦那様が決められたことだから」
静かに母はそう言い、マリスから視線を反らした。
「えっ……?」
「知っているでしょう、旦那様は聞いてくださるときはいつだってちゃんと聞く耳をお持ちだわ。でも、エルフリーデの婚約については、そうじゃなかったもの……、だから貴女が諦めなさい」
「え!」
「いいわね?」
母がそこで話を切り上げようとしていると気づき、マリスはすがった。
「でも、お母様も、私がギイ様と婚約したほうがいいと言ってたじゃない……っ!」
「それは確かにそうね。でもそれはおそらく我が家が結べる縁談のうち、最も良いかもと思われたからってだけだもの。貴女にはちゃんとクレモンヌ子息以上の相手を探すから」
「うそ、でしょ、おかあさま……?」
マリスの唇が震えた。
(そんな、お母様だけが……、頼みの綱だったのに……っ)
母が視線をようやくこちらに向けた。
冷たく、感情のない眼差しを。
「嘘ではないわ。現実をみなさい、マリス。貴族の結婚というのは、そういうものだから」
マリスは良く知っていた。
母がこういう口調で言い放つ時、絶対に何があっても、彼女の考えは覆らないということを。
目の前が真っ暗になった。
◇◇◇
マコノヒー伯爵邸での夜会。
(またか……、ここの庭園でお義姉様が大袈裟に倒れたんだったわ)
苛々した様子を隠せないマリスの視線の先には、エルフリーデがギイと共に過ごしている姿があった。
夜会が始まると、まず二人はワルツを踊った。
容姿端麗なギイが完璧なリードでエルフリーデと踊る姿はマリスを歯噛みさせるのに十分だった。そしてそれからギイはどんな令嬢が話しかけても首を横に振っているからワルツのパートナーを断っているようだった。
それからワルツの輪から抜け出たエルフリーデとギイはそれはそれは楽しそうに笑い合っていて、かつてマリスに羨望させたような、彼らだけの世界を見せつける。
周囲の人達もそんな二人を婚約者として認めているようで、次から次へと令息や令嬢たちが話しかけている。
そして、エルフリーデはかつてないほど輝いていた。
元々の素材の良さだけではなく、彼女の内面の輝きがあふれているのだ。
(やだ、やだ……っ、なんで、ぜんぶ、あの人がさらっていくの……!?)
今やマリスはどうしてそんなにギイとの婚約に固執しているのか、自分でも理解していない。ただ、エルフリーデを羨み、嫉妬し、彼女を幸せにしてなるものかというどす黒い気持ちだけが彼女を支配している。
(許せない、許せないわっ……そうだっ!)
マリスは夜会会場を見渡すと、とある令息に歩み寄った。彼は広間の奥に置かれたソファに座って、デキャンタを傾けていた。
「久しぶりね」
彼は、ゆっくりとマリスを睨めつけた。
「何だ、お前か」
彼はコッパー子爵子息。女関係にだらしない上、賭博場に出入りしているらしいと、素行がよくないと噂されている子息である。
噂はされているが、コッパー子爵家は素封家で、周囲も無碍にはできないのである。マリスはちょっとした火遊びをしているときに、彼と知り合った。
彼は底知れない人物ではあるが、それでも貴族ではある。
「なんだよ、俺に抱いてほしいってか?」
「違うわよ」
「じゃ、向こういけよ。お前みたいな令嬢は、俺と一緒にいるのは見られないほうがいいぞ」
退廃的な笑みを浮かべる彼に、マリスは話しかける。
「話が終わったらすぐに行くわ。ねえ、相談があるんだけど……、お金のためならなんでもやるって言う人を知らない? なんなら貴方でもいいんだけど」
マリスがそう言うと、コッパー子爵子息が彼女を見上げる。
「なかなか興味深いことを言うな。何を企んでる?」
「企んでるってわけじゃないの。ただ……思い知らせたい人がいるの。ちょっとだけ怖い目に合わせてやりたい」
残りの酒をぐいっと一気に飲み干したコッパー子爵子息が、にやりと笑った。
「暇つぶしになりそうじゃないか。――聞こうか」
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