第31話 「カフェと、美術館と」
それから数日後。
二人の姿は、カフェにあった。
(まさか、こちらのギイともこのカフェに来ることになるなんて……!)
向こうのギイとストロベリースコップケーキを食べたあの洒落たカフェである。ギイに誘われたときは、びっくりした。
(やっぱりギイはギイってところかな……)
エルフリーデはふかふかのソファに腰を下ろしながら、しみじみ思う。
「お嬢様、ご注文はどうされますか?」
(あ、この人……っ)
向こうのギイと訪れた時にもサーブしてくれた店員だった。けれどもちろん、この彼はエルフリーデに会うのは初めてだ。
彼に向かって、エルフリーデはにこりと微笑む。
「一番人気はやっぱりストロベリースコップケーキ?」
「さようでございます」
「じゃあ、それをいただこうかしら」
彼女は珈琲と共に注文することにした。どうしてかギイはむっとしたような顔で、珈琲だけを頼んでいる。
(こちらのギイは、ケーキを頼まない……、ふふっ、予想通りね!)
注文が来るのを待つ間、ギイが腕組みをしてソファにもたれかかった。
「どうしてストロベリークロップケーキが人気だと知ってる」
「……え?」
エルフリーデはきょとんとして対面のソファに座っているギイを見つめた。
「誰かと来たのか?」
エルフリーデは首を横に振る。
「誰とも来ていないで……」
です、と言いかけて、ギイがじろりとこちらを見たのでエルフリーデは慌てて言い直す。
「……来ていないわ。噂で聞いただけ。だってとっても人気でしょ、このカフェは」
砕けた口調になると、ようやくギイの身体から力が抜けた。
「まぁ、そうか」
「誰かと来たことある?」
水を向けると、彼はさっと頬を赤くする。
「俺だって……誰とも来てない。初めて来たんだ」
「やっぱり! じゃ、同じじゃないの。噂を聞いたの?」
「――そうだ、すごく評判がいいからな。それに……お前は、甘いものが好きだろ?」
目を丸くしたエルフリーデの前に、店員が一人分のストロベリースコップケーキを運んできた。しかし気を使ってか、スプーンは二つある。
エルフリーデはスプーンを一つ手にして、それからそれをギイに差し出した。
「味見、しない?」
「ん」
素直にそれを受けとったギイが、一口だけケーキを食べる。咀嚼するうちに彼の眉間に皺が寄っていく。
「甘い」
(だろうな)
エルフリーデは思わずふふっと笑う。
「なんだ?」
「甘いの、やっぱり苦手なのね」
「そう言ってるだろう」
だがこのギイは珈琲をすぐに飲んだりはしなかった。
エルフリーデは微笑み、自分のスプーンをスコップケーキに差し入れた。この世界でもスコップケーキはとてつもなく美味しそうだ。
「クリームは甘すぎて背中が震えるが、スポンジは悪くないぞ」
「背中が震えるって?」
「身体の正直な反応だ。でもまぁ、一口ならなんとか食べられる。ストロベリーのおかげで後味は悪くない」
エルフリーデは記憶と同じケーキをゆっくりと味わった。
「美味しいわ。言う通り、ストロベリーがあるとないとでは大違いよね。……甘いものが得意ではないのに、味見してくれてありがとう。おかげで感想を言い合えるから楽しい」
ギイが小さく身じろぎ、それから珈琲を飲み始めた。
(私の好きなギイだったらこうしてくれるって思ってた……、思っていた通りで、嬉しいな)
ほっこりした気分で、エルフリーデはケーキを食べ進める。
「確かこの店は、焼き立てのパイも美味しいって聞いたわ。よかったら、そこまで甘くないパイでも頼む?」
思いついてギイに尋ねると、彼は口元を歪める。
「気を回さなくていい――……まぁ、お前が甘さ控えめで焼いてくれるっていうなら、食べる」
「――っ!!」
エルフリーデはぱっと彼を見つめた。
ギイはそっぽを向いて、珈琲カップを傾けているが、その耳は驚くほど赤い。
「今度焼くわ……その時は、ぜひ食べてね」
胸の高鳴りのままそっと言えば、ギイがもちろん、と呟く声が聞こえた。
◇◇◇
その日の帰りに、美術館に行かないか、と誘われてエルフリーデは呆気に取られた。
(なんか、ギイって……、向こうのギイと訪れた場所を嗅ぎ分ける力があるのかしら。こんなに同じ場所ばかり誘ってくるもの?)
とはいえ、彼にそのまま伝えるわけにはいかない。エルフリーデは快諾し、翌日に訪れることになったのだ。
(行こうって誘ってくる場所は同じだけど……)
だが、向こうのギイと決定的に違うのは、こちらのギイはエルフリーデに合わせることはしないところだった。
「お前、どのエリアから攻める?」
美術館の案内が載ったカタログを手に、ギイがそんなことを尋ねてくる。
「攻め……、えっと……、近代の写実派からにしようかしら」
それこそ向こうのギイと訪れた際に途中まで鑑賞したエリアだ。どうせならば続きをと答えると、ギイが頷く。
「それなら、ここを真っすぐに行って、つきあたりを右だ。近代の写実派、いいよな。でも俺は現代の写実派から鑑賞することにする」
彼がフロアマップを指し示しながらそう言う。
「俺の好きな画家の絵がありそうだからな。外せない」
「へえ、誰が好きなの……?」
「ピケっていう隣国の画家なんだが、知ってるか?」
「知らないわ。後でみてみる」
「ああ、現代の写実派の代表といえるくらいの画家だぞ」
他の人たちに迷惑がかからないように小声ではあるが、会話が弾む。
かつてそうだったように。
そして会えなかった長い空白の間を埋めるかのように。
気の合う幼馴染だった二人は、成長してもそれは変わらなかった。
それから二人は思い思いのエリアを、心行くまま鑑賞した。
時々遠くにギイを見かけることがあった。彼はどうやら風景画が好みで、人物画になると早足になるようだった。
気に入った絵の前では、十分でも平気で立ち止まっている。
(わかりやすい……、でも楽しんでいるっていうのが伝わってくるわ)
半日以上を過ごしたあと、併設のカフェでお茶を囲みながら話すときには、エルフリーデの頭からは向こうのギイと美術館を訪れたときのことはすでに抜け落ちてしまっていた。
「風景画が好きなの?」
「そうだな」
「やっぱり、旅行記が好きだから……? それこそ、『ジャスティスシリーズ』みたいな?」
そんな風に言葉がこぼれ落ちると、涼しげなギイの瞳がはっとしたかのように見開かれる。
「この前も言ってたが、『ジャスティスシリーズ』のことを覚えているんだな」
「……、覚えてるわ。その……」
エルフリーデは持っていたティーカップをぎゅっと握りしめた。
「あれから何度か読んだから」
本当は何度か、ではない。
何度も、である。
でもさすがにそうは言えなかった。
エルフリーデがそういえば、驚いたようなギイの表情がみるみるうちに嬉しそうになる。
「そうだったのか。面白かっただろう?」
「まぁ、悪くはなかったわ」
「素直じゃないな。あれは冒険譚としての金字塔を打ち立てた名作だぞ」
「昔から本当に、あの本に関しては熱すぎるわよね!」
まるで自分が書いた本であるかのように胸を張るギイがおかしくて、エルフリーデは声をあげて笑った。
ひとしきり笑って、気づけばギイが呆然としながら自分をみていることに気づく。
「あっ、ごめんなさい……、騒がしかったわね」
慌てて居住まいを正すと、ギイがゆっくりと首を横に振る。
「まさか。――……いくらでも、笑ってくれて良いんだ」
彼がそう言ってくれたので、エルフリーデはほっとして、笑顔になった。
「ありがとう」
「それで、えーと、話に戻るが……、そんなわけで俺は風景画の方が好みなんだ。お前は逆だな、人物画の方が好みだろう? 人物画になると途端に動きがのろくなったものな」
「のろくなったって……言い方!」
楽しそうに笑うエルフリーデを見て、ギイが笑う。
そのことが、エルフリーデにとって何よりも嬉しかった。
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