第29話 「ギイとのお茶会」
父との約束通り、ギイにグリーン家での夜会について手紙を送った。
いつもは伝書を扱う役目の使用人に託すのだが、手紙を書いていることに気づいたジェシカが自分に渡してくれ、というので深く考えず従った。
すると予想外なことに彼から即返信があり、すぐにでも顔を見に来たいとのこと。
(こんなに早く、返事がくるなんて……)
ジェシカからギイからの書簡をもらったエルフリーデは驚いてしまった。
「お嬢様、クレモンヌ様に返事を出したい時はオグデンか私に必ずくださいね。他の使用人相手では駄目ですよ」
手紙を前に考え込んでいるエルフリーデに、ジェシカはそんなことを言う。
「どうして?」
尋ねると、ジェシカは少しだけ困ったような顔になる。
「もし、ちゃんとクレモンヌ様のお手元に手紙を届けたいときは、それが一番確実ですので」
若干釈然としなかったがエルフリーデが頷くと、ジェシカはほっとしたような顔になった。折しも翌日は義母もマリスも外出すると聞き、エルフリーデは快諾の返事を送ることにした。
◇◇◇
翌日、エルフリーデはギイのためにクッキーを焼くことにした。
準備が揃った頃、ギイがグレンフェル邸に現れた――片手に赤い花を一輪持って。
向こうのギイに比べると、こちらのギイはそこまでお洒落に頓着しているようには思えなかった。髪は少しだけ乱れているし、洋服だって清潔そうで、仕立てはよさそうだが、ばっちりきまっているわけではない。でもそれこそがギイらしい、とエルフリーデは応接間で迎えながら、こっそりそんなことを考えた。
(ああ、会いたかった――……)
ギイが現れた瞬間、エルフリーデの心の中に喜びの花が咲いた。油断をしたら泣いてしまいそうだ。
(急に泣いたら、情緒不安定だと思われちゃうかな)
エルフリーデは気を引き締めた。
「ようこそいらっしゃいました、クレモンヌ様」
感情を抑えようとしたが、どうしたって自然と声が弾む。
「ああ、急で悪かったな」
それからギイが、少しだけためらったように、しかし思いきった感じで彼女にその花を差し出した。
向こうのギイから花束をもらうことに慣れつつあったエルフリーデは、素直にそれを受け取る。
「まぁ、お花ですか。とっても嬉しいわ――……」
貰った花に視線を落として、口をつぐむ。てっきり薔薇かと思ったそれは、違った。
(カーネーション……)
胸がじわっと暖かくなり、エルフリーデの顔が緩む。
「この花で、よかったか……?」
ギイに尋ねられ、彼女はぱっと顔をあげる。どこか緊張したような眼差しでこちらをうかがっている幼馴染と視線が合う。
「はい、この花がいいです。私……、カーネーション、すごく好きなんです」
そう答えれば、ギイの頬が一筋だけ朱に染まる。
「そうか。だったら、よかった」
安堵したような彼の言葉を耳にしながら、エルフリーデは再びカーネーションに視線を落とした。
(なんて、綺麗なんだろう……)
以前、母が亡くなったときに白いカーネーションを贈ってくれたギイ。その日からエルフリーデにとってはカーネーションは他とは違う、唯一の花になった。
(ギイが覚えてくれているかどうかは分からないけど。ただ単にギイがカーネーションが好きなのかも……ふふっ、それでも構わないわ)
微笑んだエルフリーデの横顔に視線を感じる。
誘われるように顔をあげれば、こちらを熱心に見つめているギイと視線が合う。
「今日は……どうやら俺の知っているエルフリーデだな」
小さく、早口で囁かれたそれがエルフリーデの耳に届くことはなかった。
「どうされました?」
「いいや、なんでもない」
ギイが肩をすくめると同時に、ジェシカを筆頭に使用人たちがティーセットを運んできた。向かい合ってソファに腰かけると、ギイは並べられたお菓子の中から、見栄えがそこまで良いわけではない、エルフリーデの焼いたクッキーを真っ先につまんだ。
「――!」
エルフリーデはクッキーを食べるギイをじっと眺めた。
向こうのギイと違って、彼は決して微笑んでいるわけでも、甘い言葉を捧げてくれるわけでもない。
けれど、こうやって黙ってエルフリーデが焼いたクッキーを食べてくれるのだ。
(私が焼いたって気づいているのかな)
エルフリーデがギイを凝視していることに気づいたらしい彼が、姿勢を変えた。
「俺の好みの味だ。あんまり甘くないし、それに……」
そこでギイが一旦言葉を切って、がしがしと自分の髪をかき殴った。
「俺はどうも言葉にしなさすぎだな。このクッキーは、お前が焼いてくれたんじゃないのか……?」
エルフリーデの目が見開かれる。
(やっぱり、気づいて……!)
彼女の顔がゆるゆると綻ぶ。
「はい、そうです……!」
エルフリーデにつられたのか、ギイの顔も優しく緩んだ。
「そうか。昔から菓子を作るのが好きだと言っていただろ。すごくうまいよ、これ。たいしたもんだ」
(ああ、覚えてくれていた……!)
今やエルフリーデの顔に浮かぶのは、自然な笑みで。
まるで子供の頃のように、無邪気にギイに微笑みかけていた。
「……っ」
どうしてかギイがぐっと息を呑むと、慌てたような口調で、尋ねてくる。
「そういえば、観劇に行こうといって行けていなかったな」
「観劇に、ですか……?」
「ああ。そうだな、『ゴトフリーの悲劇』が舞台化されているから、行ってみないか?」
「えっ……!」
驚きすぎて、言葉を失う。
「ど、どうして……、それ……? 『お転婆令嬢の契約結婚』の方が、今は人気じゃないですか……?」
ギイが腕を組む。
「まぁ、人気なのはそちらだろうけど、だがお前が好みなのは間違いなく『ゴトフリーの悲劇』だろ? ――……昔から」
(ああ、知ってくれていた……、覚えていてくれてた……っ!)
みるみるうちに、ギイの姿がぼやけていく。
下手をしたら、泣き出してしまいそうだった。
(やっぱりこのギイが……私の、会いたかったギイだ……!)
瞬きで涙を押しやると、エルフリーデは微笑んだ。
「『ジャスティスシリーズ』の舞台化はないんですか?」
今度はギイが絶句する番だった。
「……っ、あれは、舞台にするには、壮大すぎるからな……それに、お前、読んでないだろ?」
ちょっとだけ彼の声がかすれている気がする。
「読みましたよ」
エルフリーデの返事に、今度もまたギイが言葉を失う。
(何度も読み返したよ……、ギイのことを側に感じたい夜に)
しばらくして、ごほんとギイが咳払いをする。
「『ジャスティスシリーズ』が名作であることは疑いようもないが、残念だけど舞台化はしてないんだ。だからとりあえず『ゴトフリーの悲劇』を観に行かないか?」
エルフリーデは微笑んだ。
「はい、喜んで」
そう答えると、ギイがふっと息を吐く。
「よし、じゃあ近いうちに行こう。すぐにチケットを手配する」
そして、エルフリーデがずっと見たいと願っていた口角をあげる笑みを、ギイは浮かべてみせた。
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