第23話 「不思議ではない世界 マリス」

 しばらく、“自分の社交”に忙しいエルフリーデはマリスや義母にまともに会わなかった。時々屋敷ですれ違うマリスがすごい形相でこちらを睨みつけてきても、どこ吹く風で素知らぬ顔をしていたのだ。


 だがその朝は、久しぶりにグレンフェル伯爵が早朝から所用で外出していて、朝食の席についていなかった。

 エルフリーデがダイニングルームに降りていくと、珍しくマリスと義母が共に朝食をとっていた。

 マリスはいかにも不機嫌といった様子で、つんけんした表情を隠そうともしていない。


「おはようございます、お義母様、マリス」

「おはよう、エルフリーデ」


 後から入室した者として挨拶をすれば、冷たい表情で義母が返してくる。

 義母は、どんなことがあっても礼儀だけは欠かさない。

反対にマリスはぷいっと横を向く。義母がマリスと声をかけると、渋々おはようございますお義姉様、と小さく呟いた。

 エルフリーデは、マリスの隣の席につく。

 ぴんと張りつめた雰囲気の中、朝食をとる。

 やがて食後の珈琲を断って義母がダイニングルームを出ていくと、この時を待っていたとばかりにマリスが攻撃を開始した。


 マリスはじろっと隣の席に座っているエルフリーデの横顔を睨みつける。


「あれだけギイ様との婚約は私にって言ってるのに、まだ分からないの?」


 エルフリーデは静かに珈琲カップを元に戻すと、ナプキンで口を拭う。そんな余裕しゃくしゃくな態度が余計にかちんときたのか、マリスの口調がきつくなっていく。


「私の話、聞いてるの?」

「聞いているわ。でも、分からない、とは?」


 静かな口調で問い返すと、マリスがむかっとしたかのように顔をしかめる。


「……っ、分からないふりなんてしないでよ、夜会のエスコートもそうだけど、ギイ様と観劇も行ったんでしょ、それにこの前はカフェにだって行ったらしいじゃない」


 にこりとエルフリーデは微笑んだ。


「もう噂になってるの、早いわね。でもまだカフェにも行ってないし、観劇もしていないわ。連れて行ってくださいとお願いしたところ」

「っ、早いわね、じゃないわ、なんでよ、なんで急にそんな風に振る舞うのよっ、だって……」


 淡々とした返事に、マリスの目がみるみるうちにつり上がる。


「な、なによ、それ……っ、おかしいでしょ、まだ婚約者候補、でしょ、決まってないでしょ……!?」

「本決まりではないわね、確かに。でも、私が彼と仲良くして悪いことある? 貴女もそろそろ学んだほうがいいわよ、無駄なことを無駄に吠えても、時間の無駄だって」


 それだけ言い放つと、澄ました顔でエルフリーデが再び珈琲カップを手に取った。


「な、なっ、なっ……!」


 わなわなと震えたマリスが、目の前のナプキンを怒りに任せて握りしめる。


「なによ、貴女なんて、陰気な、壁の花の……、だっさい、女のくせにっ……! よくそんなだっさい顔で、ギイ様みたいな令息の隣に立っていられるわね、私みたいに社交界である程度の顔が知られた令嬢のほうが、絶対に彼にお似合いで……っ」


 最後までマリスが言葉を言うことは出来なかった。

 なぜなら、エルフリーデがふふっと笑ったからだった。一瞬でマリスの頭にかぁっと血がのぼる。


「何がおもしろいのよっ! 何も面白いことないじゃないっ!」

「面白いわよ――……社交界である程度顔が知られた令嬢ですって?」

「そうよ、知ってるでしょ。この前だってギイ様と話してた時、私のほうがずっと共通の知り合いがいたじゃないの」

「私が何も知らないと思って、適当なことを言わない方がいいわよ」

「何ですって!? 何を勘違いしているかしらないけど、貴女なんてね、何をしようが、どんな振る舞いをしようが結局ダサくて――……」


 それからぎゃんぎゃん喚きたてていたマリスは、目の前にいる義姉がいつもと全く違う様子だと気づく。


(な、なによ、いつもなら……これだけ言えば、押し通せるのに……っ、それになんんなのよ、その顔はっっ!!)


 エルフリーデの紺色の瞳に浮かんでいるのは、哀れみに似たような感情に思えた。それがますますマリスの神経を逆撫でる。


「何よ、言いたいことがあるなら、いいなさいよ! 貴女にできるなら!」


 顎を突き出して言えば、エルフリーデが良いの?と首を軽く傾げた。そうすると、彼女の淡い茶色の髪がさらりと揺れる。綺麗に撫でつけられたそれは、以前よりも艷やかな輝きを放っていて、エルフリーデによく似合っている……気がする。


(あれ、こんなに……、この人って、綺麗だった?)


「言わせてもらっても、良いのね?」


 エルフリーデの外見の変化に気づき、一瞬怯んだマリスに、静かな声でエルフリーデが再度尋ねた。

 我に返ったマリスは、ぐぐっと顎を突き出す。


「良いわよ、言えるものなら、どうせ言えないでしょ」

「言わせてもらうわ。許可は取ったもの」


 そう言うなりエルフリーデがすっと背筋を伸ばした。


「ギイ様と共通の知り合いって基本よね」

「なっ……」


 エルフリーデが含みのある言い方をして、マリスは唖然とする。


「人の口に戸は立てられぬ、って言い得て妙だと思うわ。私、最近知り合いが増えたの。その方たちから貴女の噂もよく聞くわよ、マリス。随分……奔放らしいわね、驚いたわ」

「……っ!」


 エルフリーデが何を言おうとしているのか気づいたマリスが無表情になる。


「婚約する前は……個人的には婚約した後もそうするべきだと思うけれど、妙な噂がたたないよう、大人しくしておいたほうがいいのではないかしら。それこそお義母様が知ったら、落胆されるのでは? 令息たちの間で貴女がなんて呼ばれているか知ったら、きっと落胆だけでは済まないかも」


 自身の奔放な交友関係について当てこすりを言われ、マリスはさっと青ざめた。


「貴女、何を言って……?」

「だから言っていいのか最初に聞いたのに。そうね、家族のよしみで知らないことにしておいてあげるわ」


 珈琲を飲み終わったエルフリーデは、落ち着いた仕草でカップを戻し、それから立ち上がった。


「さて、お先に失礼するわね」


 そこでマリスが叫び始めた。


「待ってよ、私を脅すつもりっ……?」


 エルフリーデは心外だという表情で義妹を見下ろす。


「そんなつもりはないわ。それにそんな大きな声は出さないほうがいいのではなくて? お義母様に聞こえたら、困るのは貴女よ?」


 ぞっとするほどの静かな声だった。

 マリスが思わずびくっと震えるほどの。

 少ししてから、マリスが口を開いた。

 

「あなたっ……、誰なの、わ、私の知ってる、おね、えさまではないっ……」

「あら、んじゃなかったの?」

「……っ!!」


 ふっと微笑んだエルフリーデを、マリスが信じられないものを見るかのように見上げた。


「いつまでも自分が世界の中心にいるって思わないほうがいいかもしれなくてよ? 貴女が何をしてきたのか、何をしているのか、私は知っているのだから」

「……っ」

「時には黙ることも覚えたほうがいいと思うわ――少し前の私みたいにね」


 再びエルフリーデは微笑むと、振り返ることなくダイニングルームを出た。

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