第19話 「不思議な世界 四日目 ②」
午後になってギイがお茶をしにグレンフェル家にやってきた。
「こんにちわ、エルフリーデ! 何時間ぶりだろうか!」
彼がさっと薔薇の花束を差し出してくれ、エルフリーデは反射的にそれを受け取る。
「ありがとうございます」
「いいんだよ。少しでもこれで君が元気になってくれたらいいんだ」
こちらのギイは本当に優しい、とぼんやりとエルフリーデは思った。
(でも、それも……私をお待ちではないのだけれど)
ふうと彼女はため息をつく。
ジェシカがお茶を運んできて、二人で囲む。ギイはここ数日そうだったように楽しげに話題を振ってくれ、エルフリーデはそれに返事をするという形だ。ひとしきり話した後に、ギイがついでという感じで問いかけてきた。
「それで、記憶は……?」
「昨日と同じです―……ごめんなさい」
「謝ることなんてないよ、お医者さんによれば無理は禁物だと言われたのだろう? まぁこうやって僕に毎日聞かれていたら、嫌でも気にしちゃうか」
ギイがぽんと自分の頭を叩く。
「すまない」
「まさか! どうかお気にならさらないでください」
謝られ、エルフリーデは首を横に振る。決してギイが悪いわけではない。
「ありがとう。だが大人しい君も新鮮で、僕は大好きだよ。そう、どんな君でも魅力的さ」
「……っ」
ギイがまさかこんな歯の浮くような台詞を言うなんて。
あまりの破壊力にエルフリーデの息が一瞬止まった。
(ギイじゃない、けど、ギイ、ではあるからっ……つらい)
エルフリーデの心臓がバクバクと鳴り続ける。
だが、このギイにとっては今の台詞も日常の範囲内らしい。あっけらかんとした様子で彼は目の前に並べられた焼き菓子に目を止めている。
お皿には以前のギイだったらおそらく口にしないであろう、甘いクッキーやマカロンなどが並んでいた。
「せっかく君が用意してくれたんだから、全部食べなきゃね」
彼はそうウィンクして、一番手前にあったクッキーをつまんで口に運ぶ。
「美味しいねえ。遠慮せず、君も食べなよ? ってこれじゃ君がお客さんのようじゃないか」
(優しいな……そうね、元気ださなきゃ。私が……まぎれこんじゃったのは、ギイには関係がないことなんだから)
エルフリーデも手を伸ばして、マカロンを手に取る。
「私もいただきます」
「うん、食べよう。では僕もマカロンを失礼して……」
ギイもマカロンを口にする。クッキーに比べると余程甘いが、大丈夫なのだろうか。
(それか、このギイは甘いものが好きなのかしら……?)
そう思い、美味しいですね、と水を向けてみた。
「そうだね、ちゃんと甘い」
(え、ちゃんと甘いって……?)
「……甘すぎます?」
「そんなことないよ、ちょうどいい」
それからもギイはどんどん食べ進め、最初に彼が言っていた通り、全て食べきった。ギイは旺盛に食べたが、どうしてか紅茶の減りもすごく早くなったのが気になる。まるで甘いものを勢いよく紅茶で流し込んでいるような気がしたのである。
(……やはり、甘いのが苦手なのでは……?)
「あの……」
思わずエルフリーデはギイに話しかけていた。
「なんだい?」
完璧な笑顔が少しダメージを受けている気がするのは、見間違いか。
「その……最近ちょっとお菓子作りに興味があって……よかったら、今度甘くないクッキーを焼きましょうか?」
おそるおそる尋ねると、ギイはぱっと笑顔になる。
「なんてこと、君が!? すごく嬉しいな」
「では……っ」
エルフリーデが言いかけると同時に、ギイが続けた。
「嬉しいけど、そんなことはしなくていいよ。火傷したら大変だからね」
「……っ」
ぐっと両手を握りしめて、エルフリーデは次の言葉を飲み込んだ。
「……承知、しました」
「僕のためにもし怪我をされては目覚めが悪いからな」
色っぽくギイがウィンクをする。
「では……、今度はまた違うお菓子を……料理長に言って準備しておきますね」
「ありがとう、君は優しいな」
エルフリーデはふっと、あの日のギイを思い出した。
(そういえばあの日のギイは……私が焼いたクッキーだけ食べてくれたな。あれは偶然だったのかな。もしあの日のギイに、クッキー焼くって言ったらなんて言っただろう。きっと―……)
エルフリーデの思考は、ギイによって遮られた。
「お菓子を焼きたいと思えるくらいには、体調はよくなってきたかな。それであれば一緒に出かけないか? ちょうど君が行きたがっていた演劇がまだやっているよ」
「私が行きたがっていた演劇、ですか……?」
「うん。“お転婆令嬢の契約結婚”を観たいと言っていたじゃないか」
そのタイトルはエルフリーデも知っている。
元気いっぱいのヒロインが主人公の、ラブコメである。
(ここでの私はそれが好きだったのね……でもなんでも食わず嫌いはよくないな。だってさっき、このギイも頑張って甘いものを食べてくれてたし)
「そうでしたか。楽しみです」
エルフリーデがにこっと笑うと、ギイがほっとしたように微笑んだ。
「よかった。ちなみに、急なんだが明日の午後でどうだい? ちょうど公演があって、父に頼めばチケットが手に入るはずだから」
「承知いたしました」
「君は病み上がりだし、二階のボックス席にしてもらおうかな。そうしたら気楽に行けるだろう」
至れり尽くせりだ。
エルフリーデは頷いた。
「ありがとうございます。お心遣いに感謝いたします」
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