第16話 「不思議な世界 三日目 ①」

 翌朝、エルフリーデはあることに思い至り、ジェシカに頼むことにした。


「ここ数日の新聞、ですか?」

「残っている分だけでいいわ。ちょっと気になることがあって」

「数日でしたらまだ残っているかと」


 ジェシカはすぐに新聞を持ってきてくれた。

 新聞を読まない令嬢や夫人も多いが、エルフリーデは必ず目を通すようにしている。だから夜会で倒れた前日も当日も読んでいたのを思い出したのだ。


「どうぞ、お嬢様」

「ありがとう」


 息をつめながら、渡されたそれを広げてみる。


(……、同じ、だわ……)


 拍子抜けした。

 ジェシカが持ってきてくれたのは、エルフリーデが読んでいた新聞と寸分違わずまったく同じであった。


(この記事覚えている……あ、こっちの記事も同じ……って私ったら何を……同じに決まってるのに……何を期待していたのかしら)


 エルフリーデはすぐに新聞を畳んで片づけた。

  

 ◇◇◇


「おはようエルフリーデ。調子はどうかな。お医者様もおっしゃっていたと思うがあまり気にせずゆっくりしていなさい」


 朝食の席に着くと、父がエルフリーデの顔を見るなりそう言ってくれた。


「昨日よりは、体調は大丈夫そうです」

「そうかい。記憶はどうだ?」

「それは……まだ……」


 父は心配そうな表情になる。


「そうか。無理に思い出そうとするなよ、無理だけはするな」

「ありがとうございます」


 父の隣の席で義母が、またその向かいの席でマリスが何かを言おうと口を開いたが、それを先んじるように父が続ける。


「ギイは今日もお前に会いに来るだろうね、エルフリーデ」


 ぐっと義母とマリスが口をつぐむ。

 問いかけられたエルフリーデは答えるしかない。


「そ、そうですね、そうかもしれません」

「うむ。彼はエルフリーデのことが心配なのだろうね。婚約者だから当然だが」

「こっ……、そうでしょうか」

「私のかわいいエルフリーデが相手なのだから、当たり前だが」

「……っ」


 ぴたりとエルフリーデの食事をする手が止まる。

 ぎろっとマリスがエルフリーデの顔をにらみつけたが、昨日のこともあってか何も口にはしなかった。


(お父様も……、やっぱり……)


 父はもともとエルフリーデに気持ちを向けてくれていたと思うがそれでもしかし、私のかわいいエルフリーデ、などと義母やマリスの前で口にしたことはない。

 距離感が全く違う。


(でも、どうして……?)


 違うことは肌で感じても、どうして違うのかが分からない。

 エルフリーデは黙って食事を終えると、逃げるように自室に戻る。するとまるで見計らったようにギイが訪ねてきたとジェシカが告げに来た。

 応接間に向かうと、ギイは待ちかねたようにソファから立ち上がる。


「おはよう、エルフリーデ! 我慢できず朝一番に来てしまった僕を許してくれないか」


 彼はまたしてもさっと跪き、彼女の手にちゅっとキスを落とした。今回は予想はしていたので、なんとか身をすくめずに済んだ。

 エルフリーデは手を戻しながら、挨拶を返す。


「お、はようございます、クレモンヌ様」


 その途端、ギイの瞳が丸くなった。


「クレモンヌ様だって……!?」

「えっ……?」

「失礼、大きな声をあげてしまって」


 彼はすぐに「そうか、記憶がごちゃごちゃなんだもんな、仕方ないな」などと続ける。


(クレモンヌ様って呼ぶのは違ったの……?)


 エルフリーデはおそるおそる尋ねる。


「ごめんなさい、間違ってしまいましたか……?」

「いいんだよ。好きなように呼んでくれて構わない」


 そう言いながらもギイは寂しそうだった。


「――それで、体調はどうだい?」 

「あ、その……、体調自体は昨日よりはいいのですが、その、まだ記憶は戻ってなくて……」

「昨日の今日だもんね。まだ本調子じゃないだろうに、ごめんね。だが、エルフリーデの顔を見ないと調子が出なくって……」


 ギイがふうとため息をつきながら、前髪をかきあげる。

 勇気を出してエルフリーデは遂に尋ねることにした。


「そんなに、私、以前と違いますか……?」

「うん、そうだね。こんなに静かなエルフリーデはエルフリーデじゃないみたいだ」

「こんなに、静かな……?」


 子供の頃はともかく、大人になってからのエルフリーデは饒舌にはほど遠い。ギイは一体誰について話しているのだろう?


(まるで違う私がもう一人いるみたいな……)


「でも静かなエルフリーデもいいよ。気にしないでくれたまえ、僕はどんなエルフリーデも好きだから」


 にこにこと笑いながら、ギイはそう言い切った。


 ◇◇◇


 しばらくしてギイが帰宅すると、廊下が騒然とした。どうやらマリスがエルフリーデの部屋に入ろうとしているが、それをオグデンが押しとどめているようである。


「……なんで、私がはいっちゃいけないのっ……!」

「エルフリーデ様は少しお休みなられていますので」

「知ってるわ、でもギイ様が来ていたんでしょ! ギイ様は良くて、私がだめってどういうことなのっ」


 マリスの声が尖っていき、苛々しているのが手に取るように分かった。


(もしかして、何か言いがかりでもつけに……?)


 内心さっと身構えたが、そこでオグデンの静かな声が続いた。


「マリス様、これからご友人のお宅に行かれるために準備なさらないといけないのでは?」

「え……っ、確かにそうだわっ! 部屋に戻るっ!」

「それがよろしいかと」


 すぐに足音が小さくなっていき、どうやらマリスは去っていったようだ。


(マリスは……、変わらない。同じね、いつもと。ううん、むしろいつもよりも激しいかも)


 そんなことをぼんやりと思っていると、ノックの音が響いてオグデンが入室してくる。


「失礼いたします。今日のご予定の確認に参りました。以前は参加されるとおっしゃっていたと思いますが、どうなさいますか」


 手渡されたのは、グリーン伯爵家でのお茶会の招待状だった。

 

(カティア=グリーン……? 確かにカティアは、私にも親切にしてくださる方だけれど……)

 

 穏やかな気性のカティアは、壁の花であるエルフリーデにもいつも優しい。だが、お茶会に呼ばれるほどの関係ではない。


(呼ばれていた記憶はないけれど、でもあて先は確かに私になっている……他の人にも、会ってみたい)


 エルフリーデは顔をあげた。


「行ってみるわ」

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