第15話 「不思議な世界 二日目」

 翌日。

 朝食の後に自室でゆっくりと過ごしていると、ジェシカがギイの訪れを告げた。 


(え、ギイが……?)


 エルフリーデは驚く。

目の前で気を失ってしまったから、彼は気にしてくれているのだろうか。

そうだとしても、こんな風に前触れもなしに訪れるような気やすい関係では決してないが。


(でも、お見舞い……ですものね。それだったらお礼をちゃんと言わなきゃ。色々とご迷惑をおかけしたようだし)


 そう心に決めて迎い入れたのだが――。


「エルフリーデ!」


 ぽかんと口が開く。


 今すぐにでもエルフリーデをハグしたいとばかりに両手を広げて登場したのは――ギイ=クレモンヌのはずである。


 いや、姿かたちはギイなのだが、会えて嬉しいとばかりににこにこした表情といい、視線の甘さといい、それから――。


「今日のご機嫌はいかがかな」

「――ッ!!」


 エルフリーデの前でさっと跪いたギイは、恭しく彼女の手を取り、ちゅっとキスを落とした。

 軽いものではあるが、彼がエルフリーデにこうした親愛の情を態度で示すのは、子供の頃をのぞけは初めてのことだ。エルフリーデが固まってしまったのは、仕方ないだろう。


「同じ広間に僕がいたのに、本当に申し訳ない。婚約破棄されても当然のところ、こうしてまた会ってくれて嬉しいよ」

 

 ぎくしゃくとエルフリーデは手をひっこめる。

 あまりに衝撃すぎて、言葉がするっと流れていったが、なんとか婚約破棄、という言葉だけをとらえることができた。


「こ、婚約破棄、ですか……?」

「そうだよ」

「私、から……?」

「もちろん。だから君がそういうつもりがないとグレンフェル伯爵からうかがって、ほっと安堵したんだ」


 再びエルフリーデはぽかんとする。


「お父様、から……?」

「そうだよ。昨日のお医者様の診断がわかってからすぐに連絡をいただいたんだ」


(お父様と、ギイが、そこまで密に連絡を、取りあっているの……?)


 呆気にとられて立ち尽くすばかりのエルフリーデに、ギイが芝居がかった様子で、どこからか出した赤い薔薇の花束をさっと差し出した。


(……なに、これ……?)


 エルフリーデはぼんやりと薔薇の花束を見下ろすばかりだった。

 ギイのすることなすことが、ことごとくギイらしくない。


「君がそんな風に言葉を失うなんて……! 良くなったとは聞いたが、やはりまだ具合が悪いのかい?」


 彼女はゆっくりと自分の手のひらを額にあてる。


「もしかしたら……具合、まだ、悪いのかも、しれないです……?」


(私、夢の世界にいるのかな……?)


 と、しか思えない。

 実は高熱を出していて、まだ目覚めていないのだろうか?


「やはりそうか!」


 慌てたようにギイが立ち上がると、恭しくエスコートをするように手を差し出す。これまた大げさな仕草にエルフリーデは彼の手を見つめるばかりだ。


「?」

「さ、手をこちらへ」

「……え、ええ……?」

「ソファに座らないと。転んだらいけないから、僕が手を貸すよ」


 彼がさらに手を伸ばしたので、エルフリーデは反射的に自分の手を重ねる。嬉しそうにギイがにこっと笑う。


「……あ、ありがとうございます」

「お礼なんて言わないでいいよ。婚約者として当たり前のことさ」


 ソファに座ったエルフリーデはじっと幼馴染を見上げた。


(ギイ……よね、ギイなの。顔貌は……、ギイだもの、ね……?)


 ギイはそんな彼女に爽やかな笑顔を向ける。


「押しかけてしまって悪かったね。お医者様が無理ない程度の訪問は受けていいとおっしゃったと聞いてね、居ても立っても居られなくてやってきてしまったよ。だが、今日はもう帰る。また明日来るよ」

「……明日……?」

「ああ、そうだよ。少しでも君に会いたいからまた明日来るつもりだが、でも、君は無理しないでくれ。会いたくなかったら追い返してくれて構わないよ」

「追い返す……?」


 ぼんやりと聞き返す。


「ああ、君にはその資格がある」


 冗談交じりの言葉であると証明するかのように、ギイがウィンクをしたので、エルフリーデは思わず軽く身をのけぞらせた。


「追い返す、って私が、ですか……?」

「そんな敬語を使うなんて、君らしくないね……だがお医者様によれば記憶が多少混濁しているらしいから、仕方ないのかな」


 ギイは、部屋の隅に控えていたジェシカに顔を向けた。


「ジェシカ、僕の未来の妻をちゃんと見てやってくれよ」

「かしこまりました」


(み、未来の妻っ、……かしこまりました……!?)


 答えるジェシカに、ギイの様子をおかしいと思っているそぶりは一切ない。


「じゃあまたね、明日まで君がいない世界を耐えることにするよ」


 ギイは、エルフリーデの目の前に再びさっと跪き、彼女の手に挨拶のキスを落とすと、颯爽と帰宅していった。


 後には呆然とソファに座り込むエルフリーデが残った。


(待って、待って……何があったの……? さっき来たのは、本当にギイ……?)


 そこへジェシカが白い花を大事そうにかかえて入ってきた。


「旦那様からお見舞いのお花が届いています」

「……おみ、まい……お父様から?」

「ええ。クレモンヌ様に頂いた花束の隣に飾ってよろしいでしょうか」

「そ、そうね……たのむ、わ」

「承知いたしました」


 ジェシカがてきぱきと先ほどギイが持ってきてくれた薔薇の花束の隣に、白いお花を生けてくれた。


(今まで、私が具合が悪くても、お父様は一度もお花を下さったことはなかったのに……) 


 エルフリーデは混乱していた。


(おかしい、絶対に、おかしい……)


 そこでふっと脳裏に先程のギイの言葉が蘇る。


『同じ広間にがいたのに』


 ギイは確かにそう言った。


(ギイが……僕、なんて言ったことは……子供の頃だけだったのに……? それに、ギイは、同じ広間に……、広間……? だって私が倒れたのは庭園で、あの時、ギイは目の前にいたはずなのに……?)


 エルフリーデは、ぎゅっと自分の手を握り締める。


(明日また来る、って言ってたわ……きっと、明日になったらまた……何か、変わってる……?)


 彼女はふうと息を吐くと、それ以上考えるのを止めることにした。

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