第13話 「私が一番、私が嫌い ②」
夜会に到着すると、いつものようにマリスは知り合いの令嬢たちに囲まれた。普段ならばエルフリーデのことなど見向きもしないが、今夜は違う。
「あっ、私、お、お義姉様たちと来たから……っ! ほらっ、ギイ様も、いるしっ、家族でっ……」
慌てながらマリスがなんとか側に戻ってこようとしたが
「友達は大切にしたほうがいいぞ」
とギイに言われ、その結果しぶしぶといった様子で去っていった。
(マリスがいなくなった……)
ふう、とエルフリーデは小さく息を吐く。
(ギイもお友達と過ごすだろうから、私はいつものように壁の方へ……)
そんなことを思っていると、ギイがじっと彼女の顔を見ていることに気づく。
「お前、さ」
しばらくしてギイが口火を切る。
びくっとエルフリーデが小さく身体をこわばらせると、ギイの瞳が細められた。
「……はい」
かすれてはしまったが、なんとか答えることができた。
ギイが、そのままさっと自身の腕を組む。
「この前も言ったけどさ……もっとちゃんと、自分の意見を言えよ」
「え……?」
「"昔”と全然違うよな」
昔。
エルフリーデは胸に切り裂くような痛みを覚える。
(昔……、昔のほうが、よかった……? そうよね、昔の私しか知らなかったから……婚約したら、全然変わっちゃってて……)
彼女はぎゅうっと両手を握りしめる。
先程、もう何も感じたくないと思ったのに、再び胸が鈍く痛み始める。
「昔のお前だったらもっと元気いっぱいでさ、
聞きながら、彼女はぎゅうっとスカートを握りしめる。
そこでギイの言葉が唐突に消える。
「おい、大丈夫か?」
ゆっくりとギイを見返す。
どうしてか、彼がとても心配そうな顔をしている。
「だいじょうぶ、です……、ごめんなさい、私、私が……」
ぎゅっと胸元を掴む。
呼吸がうまくできなくて、言葉が続かない。
「っ……」
「おいっ……!」
がくんと膝が抜けてしまい、慌てたようにギイがエルフリーデの背中に手を回して、手近な椅子に座らせてくれた。
「あり……、が、……と、……う、ご……」
「もういいから、喋るな――悪い、言い過ぎた」
彼女は首を横に振る。
謝ってくれるなんてギイはやはり性根が優しい。
昔と、変わらない――エルフリーデとは違って。
「ここに座ってろよ。果実水でも持ってくるから……ちょっと休んどけ。紙みたいな顔色だぞ」
なんとかエルフリーデが頷くと、ギイが身を翻して、お盆を持っている使用人の元へと歩いていった。
その前にどうやら友人たちを振り切ったらしいマリスがやってきて、大げさな仕草でギイの腕に手を巻きつける。
(あ……)
ギイが何かを言い、彼女の手はそのままにしてエルフリーデに背を向ける。マリスがちらりとエルフリーデに視線を送りながら、口元に笑みを浮かべたのが見える。
そうして二人ともが背を向けてエルフリーデから去っていく。
まるで、未来を予言しているかのように。
ギイの婚約者はマリスとなって仲睦まじく寄り添い、そんな二人から遠く離れた場所でエルフリーデは永遠に一人きり。
突然視界が歪み、エルフリーデは混乱する。
(……いや……っ)
彼女は衝動的にそのまま椅子から立ち上がった。くらりと立ちくらみがして、彼女は大きく息を吸う。すぐ側に立っていた令嬢がぎょっとしたかのように、そんなエルフリーデを見つめた。
(頭を冷やしたい……)
振り返ることなく、エルフリーデは闇雲に歩き始めた。
◆◆◆
夜の帳が降りた庭園はひんやりとしていて、エルフリーデの波立った気持ちを少しだけ宥めてくれた。
人気もなく、彼女の歩く足音だけが響く。
気づけばエルフリーデは庭園の端にある、天使の像の前に立っていた。美しい白磁のその像は、天使が涙を流しているという他ではあまり見ない、寂寥感漂う造形をしている。
(あ、違う……本当に泣いているんじゃない。月の光を浴びると涙が流れているようになっているんだわ……私、みたいに……)
今の私みたいに、ともう一度心の中で繰り返す。
エルフリーデの心は、真っ黒になってしまった。
もう一度天使の像を見上げる。作者はどんな意図でこの像を造りあげたのだろう。泣いているのは、どんな感情につき動かされているのだろう。
天使の顔は無表情で、喜んでいるようにも、絶望しているかのようにも、見える。
エルフリーデはぽつりと呟く。
「きっと、貴女は……、もう何も感じたくないと思ったんでしょう? ――私と同じね」
(もう、何も感じたくない……このまま――)
「私、ここからいなくなりたい」
彼女の言葉は、夜の闇にかすかな余韻と共に溶けていく。
数秒後、静寂を破り、慌ただしい足音が響き渡った。
「エルフリーデ! どうして外に出たんだ、座ってろって言っただろうが!」
(……ギイ?)
エルフリーデが振り返ると、そこには真剣な表情のギイと、両目をつり上げた鬼の形相のマリスがいた。
「お義姉様、どうしてそうやって私達の邪魔ばかりするの? せっかく私がギイ様とお話していたのに!」
そこでマリスが見せつけるように、ギイの腕に自分の腕を絡めた。
「こんな勝手なことをするお義姉様なんて、知らない。ギイ様と婚約するのは、私よ。ね、ギイ様もその方がいいわよね?」
マリスがぎゅうっとギイの腕にしがみつく。
「お前、だから――……」
「だって私のほうが人気だし、こうやって夜会の途中で外に出たりしないわ。お義姉様はほんっと、淑女らしい振る舞いってのをよくわかっていないのよ――まぁお義姉様のお母様がとんでもない方だったらしいから、仕方ないけど?」
母親について揶揄されて、眼の前が真っ赤になる。
「お義姉様って、本当に困った人よねぇ――お父様はどうしてわかってくれないのかしら」
そしてマリスが大きくため息をつく。
「――っ」
びくっとエルフリーデの体が強張ってしまい、無意識に後退った彼女はなにかにつまずき、後ろへと転んでしまう。
(……あっ……!)
エルフリーデがその瞬間目にしたものは。
「エル!」
一生懸命彼女に手を伸ばしているギイの姿、だった。
(……ギイ……!)
目の前で火花が散ったかのような衝撃があり、エルフリーデは反射的に目を閉じる。
(ああ、ギイの手が私のものだったら、他に何もいらないのに……でもこんな私では、ギイにはふさわしくない。ギイはもっと素敵な令嬢が相手じゃないといけないわ)
遠のく意識の中、エルフリーデはついに認めた。
(私が一番、私が嫌い……、こんな私が嫌い。こんな私は、いらない。やっぱり、消えてしまいたい)
そうして彼女の意識は、完全に闇へと落ちた。
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