第12話 「私が一番、私が嫌い ①」
マコノヒー伯爵家での夜会の日。
準備を終えたエルフリーデは、自分の姿を鏡で見つめていた。
自分の瞳と同じネイビーのドレスは、袖があまりふくらんでいないもので、胸元はスクエアネック。決して派手な印象は与えない、いわゆるクラシカルなデザインで、これならば悪目立ちせずにギイの隣に立っていても恥ずかしくないだろう。
髪も綺麗に結い上げてもらっているが、自分のくすんだ髪色はいかんともし難い。ネックレスとイヤリングは、前回と同じ父が贈ってくれたものをつけた。
(アクセサリーのおかげで、なんとか及第点……だったらいいな)
盛装したエルフリーデが玄関ホールに降りると、そこにはマリスが待っていた。可愛らしいライトピンクのドレスに、最先端の髪型、アクセサリーももちろんこの前とは違う煌びやかなもの。裕福なグレンフェル家の令嬢として、マリスはいつだって最良の装いをしている。
義姉の爪先から頭の上までざっと視線を送ったマリスは、目を三日月のように細めた。
「ダッさいわね、この前と同じアクセサリーなんて」
アクセサリーについて揶揄されると、エルフリーデの頬に朱が走る。
(これはお父様が下さったものなのに……、それに同じアクセサリーをつけていけないルールなんてどこにもないじゃない)
ぐっと拳に力をいれたが、やはり言葉は形にならない。
そんなエルフリーデを忌々しげに睨みつけたマリスが続ける。
「熱でも出せばよかったのに。そうしたらギイは私をエスコートしてくれたわ。気がきかないわね、貴女。今から足でも折れば?」
「――クレモンヌ様がご到着されました」
そこへ執事がギイを連れて戻ってきたので、マリスが慌てて口をつぐむ。
「待たせたな」
ギイのとろりとした蜜のような声が響き、エルフリーデはすっと息を吸う。
エルフリーデの隣でマリスがせわしなく自分の髪を弄った。
玄関ホールに現れたギイは、今夜も颯爽として見えた。最近の流行である細身の黒いジャケットと、緩やかに結ばれたこれまた黒のタイ――“イケてる若者”の間で流行りの結び方――、白いシャツに、これまた細身のパンツは黒。
全てが彼によく似合っている。
「ギイ、いらっしゃい!」
ぱっと表情を変えたマリスの向こうで、ギイがどこか憮然とした表情で立っていた。そこでようやくエルフリーデはギイが気分を害しているのかもと気づく。だが理由が思い当たらない。
(どうしたの、かな……)
「お前……」
ギイがエルフリーデに何かを言いかけたように思えたが。
そこでさっと動いたマリスが遠慮なく二人の間に入り込んだのでうやむやになる。
「ねえ!」
「――なんだ」
やはりギイの機嫌はあまり良さそうではない。けれどマリスは気にした様子もなく、明るい調子で言い放った。
「今夜、私も一緒に行ってもいいでしょ?」
(……え……?)
マリスが予想もしていないことを言い始め、エルフリーデはどきんとして、義妹の背中を見つめた。
「は?」
さすがにギイもぽかんとしている。
「別におかしいことないわよね。今はお義姉様が“暫定”の婚約者ってわけで、私はその義妹だもの。むしろお義姉様の評判のためには、私もいたほうがいいくらいでしょ?」
マリスが言っているのは、確かに理にはかなっている。
かなってはいるが。
エルフリーデはぐっと唇を噛み締めて、俯く。
(いやだ……)
マリスのことだ。
エルフリーデのことをいない風に扱い、ギイを独占しようとするだろう。
そんなことは簡単に予想がつく。
(ギイの婚約者候補としていつまでいられるかわからないのに……その時間も奪われちゃうの……?)
「むしろ、婚約者の義妹まで優しくするなんてってますますギイが人気でちゃうかもよ、ふふっ」
ギイの機嫌を取るかのようにマリスが笑った。
「俺の人気なんてどうでもいい。エルフリーデ、お前はどう思うんだ?」
ギイに尋ねられ、彼女は顔を上げる。
「私は―……」
ギイの眼差しは思っていた以上に穏やかで、まるで子供の頃に戻ったかのようだった。――幸せだった、あの頃のように。エルフリーデの一番の味方だったギイが相手だったら、きっと理解してくれるのではないか。
その衝動につき動かされ、エルフリーデは口を開く。
「私は、いや――……」
そこでエルフリーデの言葉にかぶせるかのように、マリスが高い、猫撫で声を出す。
「いいに決まってるわよね、おねーさま! 優しいおねーさまが私のことを仲間外れにするわけないわよねぇ?」
マリスが振り向く。
声の調子とはまったく違う、ぎらぎらした瞳でマリスに射すくめられる。
「――っ」
「ねえ、そうでしょお? そんなことしないわよねえ?」
今まで何度もこうして、圧力をかけられてきた。
頷いてはいけない、と。ギイならわかってくれるはずだ、と数秒前に思ったことは瞬時に吹っ飛び、気圧されたエルフリーデは微かに頷いてしまった。
そこでマリスがにたりと笑って、彼女はしてはならないことをしたと、自分でも知る。
(私……、また……やってしまった……)
「ほーら、お義姉さまもいいって。さ、いきましょ?」
マリスは当たり前のようにギイの腕に自分の手を絡めた。それまで黙っていたギイが、乱暴ではないが、さっとマリスの腕を払う。
「おい」
「なんでぇ」
「エルフリーデをエスコートしにきたんだ、俺は」
「ちえっ。仕方ないわねえ、“今は”お義姉様が婚約者だものね……“今は”」
(……わかってる、もうすぐ、貴女が婚約者になるって言いたいのよね)
胸の痛みは、もう飽和していた。
不承不承マリスが一歩下がり、しぶしぶエルフリーデに場所を譲った。
「じゃあ、行くぞ」
エルフリーデに向かってギイが腕を差し出す。
まるで地面に叩きつけられたかのようにぎくしゃくした動きで、のろのろと彼の元へと向かう。
『見てなさいよ』
エルフリーデが通り過ぎる瞬間、マリスがぼそっとそう呟く。ぶるっと小さく震えたエルフリーデは、なんとかギイの腕に手をかけた。
「……ったく」
ギイがそんな風に呟いているのを、ぼんやりと聞く。
こわばったギイの横顔も、緩慢な自身の胸の痛みも、もう何も見ないことに、何も感じないことに、した。
◇◇◇
マコノヒー伯爵家に向かうまでの馬車は、予想通りマリス劇場が開演された。彼女は隣に座ったエルフリーデを無視して、大げさなまでにギイを称え、ギイに心酔したような口ぶりで語り、そしてエルフリーデは分からない誰かの話をし続ける。
「それでね、ギイ」
「……」
「ギイったら、聞いてるの?」
「……、俺のことを呼び捨てにするな、と言っただろう」
「ごめんなさぁい、ギイ様」
「ギイ様……それもどうかと思うけどな。まぁ。婚約者の義妹なら、ギリギリか……」
ため息をついたギイが、もういい、と呟く。
「それでねぇ、ギイ様、私の今夜のドレス、どお? 袖、可愛くない? 今の流行りってこんな感じでしょ」
「袖なんかどんな形でもいいだろうが。どうして令嬢はそんなことにこだわるんだ」
「あ、いけないんだ、ギイ様ったら。子息たちだってタイの結び方にこだわるじゃなーい。それと同じよ。ダサいのは、やっぱり嫌だしねぇ」
ふふっとマリスが笑って、エルフリーデを横目で見る。
袖の膨らんでいないエルフリーデのドレスは、流行に乗り遅れた野暮ったい、ダサいものだと言わんばかりだ。
エルフリーデは馬車の窓から外を眺め、ゆっくりと目を閉じた。
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