第10話 「ギイとのお茶会③」

 それからはマリスの独壇場だった。


 マリスは明らかにエルフリーデの存在を無視して、ギイにだけ話しかけつづけている。この前の夜会でのこと、自身が今度仕立てるドレスの話、エルフリーデは知らない令嬢や令息の噂―……。


「ギイは、私に明るい色と暗い色のドレスのどちらが似合うと思う?」

「知らない」

「意地悪ね。そういえばこの前、ストークハークス嬢がね、ギイのことをかっこいいって言ってたわよ」

「ストークハークス令息の手前、俺に気を遣っているだけだろう」

「ストークハークス令息がギイの友人だからって? まさかそんなわけないわよ。それに、ブルーノ令息だってね……」


 マリスの話は終わる気配を見せず、エルフリーデはただただ呆然とするばかりだった。


(ギイとマリスがこんなに仲が良かったなんて知らなかった……)


 夜会でギイにマリスが話しかけているのは何度となく遠目で見ていたが、一番驚いたのは、マリスとギイにかなりの共通の知り合いがいるということだった。

 それはマリスが、ギイと同じように社交界の中心人物になりつつあることの現れでもある。


(ギイの知り合いなんて、私は昨日初めて会ったのに……)


 美少女であるマリスは、いつも最先端のお洒落をしているし、ギイの周囲にいる令嬢たちとまったく遜色ない。誰が見たって、冴えないエルフリーデより、マリスの方がギイにぴったりだと言うだろう。

 義母が『ギイの婚約者はマリスのほうがふさわしくありませんこと?』と強気なのは、それなりの根拠がある。

 そしてそれに反論するだけのものを、エルフリーデは何も持っていない。


 エルフリーデはきゅっと口元を引き結ぶと、身を縮こませる。


「ねえ、ギイ、この前の夜会でね……」

「……おい、マリス嬢。俺のことを、ギイと呼び捨てにするな」

「なんでよぉ、いいじゃない、幼馴染なんだから。ギイも私のことマリスって呼んでいいのよ?」

「呼ぶわけないだろう、年頃の令嬢を相手に」

「でも、お姉さまのことはエルフリーデって呼ぶでしょ?」


 非難めいたマリスの指摘に、のろのろとエルフリーデは顔をあげる。なぜかギイはエルフリーデを見ていたが、彼女と視線が合う前にさっと逸らして、マリスに向かって答える。


「当り前だ。エルフリーデは、エルフリーデだからな」

「意味わかんない。お姉さまは格下の令嬢だから呼び捨てしたっていいってこと?」


 格下の令嬢。

 いま、まさに自分でもそう漠然と考えていたことをマリスがはっきりと言葉にして、エルフリーデの胸は打たれたかのように鋭く痛む。


(私……)


 のろのろとスカート部分を掴んで、握りしめる。


(私……こんなに言われても……何も言い返せない……言い返せる、何かを持っていない……のが一番……堪える……私って……なんなんだろう……)


「そんなことは言ってないだろう」


 あまりの胸の痛みに、たしなめるギイの言葉もすり抜けていくばかりだ。

 やがてマリスは、デザート皿に載っているクッキーに気づいたかのように、あからさまに顔を顰めた。


「なに、このだっさいクッキー! 形が悪すぎじゃない、お客様に出すようなものではないわね――ねえ、貴女、これもっていって、捨ててくださる?」


 使用人に捨てろ、と指示した“ダサい”クッキーはもちろんエルフリーデが焼いたものだ。


「……あっ!」


(捨てないで。さっきせっかくギイが……ギイが褒めてくれたのに!)


 エルフリーデが顔を上げるのと同時に、マリスが言い添える。


「こんなクッキーを出すなんて、我が家の品格が疑われちゃうわ」


 マリスはエルフリーデの耳に聞こえるような、大きなため息をついた。


(……!!)


 何度となく義母につかれたため息とまったく同じ。

 びくっとエルフリーデの身体が震え、条件反射のように身がすくむ。


「……ふふっ」


 そんなエルフリーデの耳に、マリスがほくそ笑んだような声が聞こえた。


「さ、早くこの見苦しいクッキー、片付けちゃってよ」


 使用人の足音が聞こえ、エルフリーデはスカートを握りしめて、目を瞑るしかない。


「ああ、君。悪いけど、俺はそのクッキーが気に入ったんだ。持って帰りたいから、包んでくれるか?」

「……は!?」


 マリスが素っ頓狂な声をあげ、エルフリーデも恐る恐る目を開けた。目の前のソファに座っているギイは、素知らぬ顔をしている。


「うちの料理人にも同じようなクッキーを作らせたいから、持って帰る――それでマリス嬢、そろそろ友人宅に行く準備をしたらどうだ?」

「え、えええ? なんでぇ!?」


 マリスの顎ががくんと開く。


「俺ももうすぐ帰るし、ここで解散だ」


 ギイがそう言えば、マリスはしぶしぶといった様子で腰を上げる。


「わかったわ。じゃあギイ、私行くけど……本当に帰るの? まだいたりするんじゃないの」

「包んでもらったクッキーを受け取ったら、帰る」

「……分かった。また夜会でね」

「会ったらな」


 マリスは再びギイに分からないようにじろりとエルフリーデを睨みつけると、名残惜しそうに応接間を出て行った。

 後は沈黙だけが支配する。


(マリスは……きっと本当に、ギイが好き、憧れているんだな……)


 彼女の態度はもしかしたら褒められたものではないかもしれないが、少なくてもギイへの気持ちは一生懸命で、まっすぐなものに感じられる。それに引き換え、自分は何の感情もまともに示せず、ただ口ごもるばかり――。

 だが義母の冷淡さとマリスの悪意にさらされ続けたエルフリーデは、あまりにも臆病になりすぎていた。

しばらくして、ギイが小さく息をつく音がした。


「お前さ……、言いたいことは、言った方がいいぞ」


 ずきりと胸が痛んで、エルフリーデは顔をあげる。

 なんて答えたらいいのだろう。

 少なくても、今の場面はこの家の人間である自分が取り仕切るべきだった。ギイではなく。ギイが一言いいたくなるのも当然だろう。


「ご不快な、思いをさせて、しまって……ご、めんなさい」


 とぎれとぎれのかすれ声で謝罪すると、ギイが微かに眉間に皺を寄せる。


「俺は別に、お前にそうやって謝ってほしいわけじゃない」

「……」


 そう言われてしまうと、エルフリーデに残された言葉はない。


(こんな自分が本当に嫌……でも、どうにもならない、どうにもならないのに……、このままでは、いつか、溺れてしまいそう)


 あまりの苦しさに、エルフリーデは押しつぶされてしまいそうだった。

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