第9話 「ギイとのお茶会②」

「ようこそおいでくださいました」


 玄関ホールで出迎えたギイは、エルフリーデを一目見るなり、はっとしたかのように目を瞠る。


「あ、ああ……」


 それから彼がじっとエルフリーデを見下ろすばかりなので、途端に不安になってしまう。


(何か変かしら……そりゃ、普段ギイが目にしているようなご令嬢たちとは違うだろうけれど……)


 昨日の夜会ひとつとっても、ギイの周囲にいるのは社交界の人気者ばかりで、それこそ令息も令嬢も容姿端麗、それだけでなく彼らは自分たちを着飾ることをよく知っている。誰もがみんな流行の最先端の洋服や装飾品に身を固めて輝いていた――マリスのように。

 ――貴族令嬢たるもの、場に合わせて多少無理をしてでも最良のもので身を固めるのは当然だ。

それが義母の教えであり、そしてそれはこの国の貴族たちの常識でもある。


(やっぱり素材がよくないから、どれだけ取り繕ってもダメなのかな)


 やがて沈黙に耐え切れなくなったエルフリーデが身じろぐと、ギイがぱっと視線を逸らした。ごほん、と咳ばらいをしてから、彼が口を開く。


「……そのドレスの色、悪くないな」


 どこかぶっきらぼうな、一本調子で呟かれ、エルフリーデは俯く。


(他に褒めるところがないから、ドレスの色を褒めてくれたのね。うん、でも、似合わないって言われただけ良しとしなきゃ)


 俯いていたエルフリーデは、ギイの耳に朱が一本走っているのを見逃していた。

 気を取り直してエルフリーデは顔をあげ、応接間に案内することにする。


「どうぞ、こちらへ。応接間になります」

「ああ」


 それからなんとなくぎくしゃくとした雰囲気のまま、向かい合って座り、お茶を囲むこととなった。

 会話自体は弾まないものの、何度となく訪れていたこともあってか、ギイは懐かしそうに周囲を眺めている。そんな彼の様子を見ているうちに、どこかさざ波だったエルフリーデの気持ちも少しずつ落ち着く。


 少なくても、彼はグレンフェル家に来れて嬉しそうだ。


 やがてメイドがお茶と焼き菓子を運んできて、二人が囲んでいるローテーブルの上に並べる。


「悪いが、俺はあまりお腹が空いていないから焼き菓子は―……」


 そう言いかけたギイの視線が、オーバル型のデザート皿に盛られた焼き菓子を一瞥すると、一か所で留まる。

 

(どうしたのかな……?)


 エルフリーデが見守る中、ギイがゆっくり前かがみになり、皿に手を伸ばした。


「……たくさんはいらないが……、これだけは貰う」

「……ッ」


 思わず声を上げてしまうかと思った。

 見栄えの良い焼き菓子がずらりと並ぶ中、彼の骨ばった指が選び出したのは――……何の変哲もない、下手をしたら一番不格好なクッキーで……エルフリーデが焼いたものだった。ギイは躊躇うことなく、それを口に放り込むとゆっくりと咀嚼しながら目を閉じる。


(食べてくれた……、ギイが、私の焼いたクッキーを……!)


『上手に焼けるようになったら、一番にギイに食べてもらいたい!』

『やったあ、約束だよ』

『もちろん! ギイはあまり甘いのは好きじゃないでしょう? 甘くないクッキーを焼くからね』


いつかの、幼い頃の約束がエルフリーデの脳裏をよぎる。

自己満足だと思っていたけれど――期せずして今日果たせた。


 胸を熱くしているエルフリーデの前で、ギイは目を開け、「悪くない」とだけ呟いた。それから彼はそこにあるエルフリーデの焼いたクッキーをもう一枚食べ、それからは紅茶を飲むばかりだった。


(うれしい……!)


 我慢ならずエルフリーデの口元に笑みが小さく浮かぶと、どうしてかギイがくっと右口角を上げる。そうやってギイが笑顔のような表情になると、今のギイではなく、少年だった頃の彼の印象が色濃くなる。


「お口に合ったようで、よかったです」

「ああ、焼き加減だけじゃなくて、甘さもちょうどいいな」

「!」


 エルフリーデが目を瞠ると、ギイが目元を和らげる。


(ギイの笑顔……昔みたい! 今は可愛いじゃなくて、かっこいいって言わなきゃいけないんだろうけど……でも、私にとっては……『ギイ』だ)


 それからはほのぼのとした時間が過ぎるばかりだった。まるでかつてのギイとのお茶会のように。

 そのうえ時間が経つにつれて、ぽつぽつとだが会話が続くようになってきた。


「今でも、その……よく読書はするのか?」

「読書、ですか? はい、します」

「そうか」


 ギイがそれだけ答えるとお茶のカップを口元に運ぶ。

 エルフリーデは思わず、『今も“ジャスティスシリーズ”が好きですか』と聞きそうになる。『私の辛い時を支えてくれたのは、“ジャスティスシリーズ”と白いカーネーションでした』と。

 

 だがそこで慌ただしいノックの音が部屋に響いて、エルフリーデは口を閉じた。 


「入るわ!」


 あわただしいノックの後、着飾ったマリスが乱入してきて、エルフリーデは唖然として義妹を見つめる。


(……え、なんで……お父様は、確か、午後からお友達の家に出かけるっていっていたはず……)


 出かけるのは出かけるのだろう。その証拠にマリスは外出着に身を固めている。


「やだ、ギイが来ているって知らなくて。ご挨拶にうかがわなくてごめんなさい」


 一瞬足を止めたマリスがカーテシーをすると、そのまま断りもせずにギイの隣に座った。ありえない無作法さに、さすがのギイも開いた口がふさがらなかったようだ。


「マリス嬢、どこに座っているんだ」

「いいじゃない、幼馴染よ」

「令嬢が座る距離じゃない。いいから向こうに行け」

「いやよ。今からお友達の家に行くまでだけだから。挨拶はしなきゃいけないでしょ?」


 マリスがそこでわざとらしく首を傾げる。


「お義姉様と、ギイがどうしても二人でお茶会をしなきゃいけない理由でもあるの?」


 ギイが数秒黙り込む。


「……だとしても、ここには座るな。どうしてもここに座り続けるなら、俺が場所を変わる」

「はぁい、仕方ないわねぇ」


 からからと笑ったマリスが立ち上がると、そのままエルフリーデの隣に腰かけにきた。ギイに背中を向けたマリスは一瞬あまりにも鋭い視線でエルフリーデを射抜く。


「……っ」


 わかっているわね、お義姉様。

 まだ婚約者は誰か決まっていないのよ。


 マリスの瞳は間違いなく、そう宣戦布告していた。

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