第8話 「ギイとのお茶会①」
朝食の席にエルフリーデが下りていくと、珍しいことに父だけが先に席についていた。
「おはようございます、お父様」
エルフリーデが挨拶をすると、父が頷く。エルフリーデが席に着くのを待っていた彼は扉の方向をちらりと見てから、口を開いた。
「今日、ギイがお茶会にやってくると聞いたか?」
「は、はい。昨夜の夜会の折に本人から伺いました」
「そうか」
父はいつものようにほとんど表情を変えなかったが、その口調はどこか安堵しているように感じられてエルフリーデは瞬いた。
(お父様……?)
「私と彼女は、外せない用事があるから朝食後に出かける。マリスも午後には友人の令嬢宅に行くと聞いている。だから出迎えるのはお前だけだ。後で部屋に詳細を届ける――彼が我が家にやってくるのは久しぶりだからな、丁重にもてなしでやってくれ」
“彼女”とは義母のことだろう。
そういえばエルフリーデの前では、父は決して妻とは呼ばない。
(え、そうだったの……それってまさかお義母様やマリスは知らないってこと……それとも、たまたま偶然……?)
マリスはきっと知らないはずだ。ギイがグレンフェル家に来るならば、友人との予定をいれるはずがない。
とはいえ、よほど急用でない限りは、前日にお茶会に招くということはないから少なくとも父だけは知っていたはずだ。知っていて、直前まで黙っていたというのか。
(だとしても、どうして……?)
ぽかんとしたエルフリーデが何かを答える前に、静かに扉が開く音がして、彼女は我に返った。
「おはようございます、旦那様、……エルフリーデも」
「ああ、おはよう」
「おはようございます、お義母様」
そこに義母がやってきたので、それからはいつも通りの水を打ったように静かな席となった。部屋に戻ると、確かに父からギイをお茶会に招いたという類の書きつけが届けられ、エルフリーデは首を傾げるしかなかった。
(お茶会の目的は……婚約者の親睦を深める、ため……? でも、普通だったら同伴者がいないとふしだらな関係になってしまうのに……まぁ、幼馴染同士だし、あくまでも私的なお茶会だから間違いはないと思われているのかもしれないけど)
それにしても昨夜はギイに窮屈な思いをさせてしまった、と夜会での顛末を思い出し、暗くなる。途中まではそれなりに問題なく、あくまでも最近のエルフリーデ基準ではかなりスムーズに会話が続いていたのに、マリスの登場で流れが変わった。
染みついた義妹への苦手意識やおそれをエルフリーデは御することができなかった。
そうしてひとつ躓くと、がたがたと崩れていってしまったのだ。
(ギイは親切だったのに、私がうまく振る舞えなかったわ)
ギイは気を遣ってくれていたと思う。どうしてかエルフリーデを婚約者として紹介していなかったが、それでも手を伸ばして、人とぶつからないよう守ってくれた。
(皆様に婚約者として紹介しないのは当然かも。だって……いつどうなるかは、わからない)
ギイにも何度か婚約者でいいのか、と尋ねられたではないか。彼もこの婚約がまだ決定ではなく、不安定なのは承知だろうし、しかも相手がエルフリーデでは。
(まともに謝罪をすらできない私なんかじゃね)
昔だったら、ごめんなさい、と大声で謝って、それをギイが笑って許してくれただろうが。
それでもギイは夜会の最後、エルフリーデをグレンフェル家の馬車まで送り届けるまで、辛抱強く付き合ってくれていたと思う。
夜会の間中、見上げていたどこかこわばったギイの横顔を思い出しながら、エルフリーデは内心ひとりごちる。
(今日は本当にきちんと……もてなしたいな。謝罪の意味もこめて――そうだ、クッキーを焼こう)
今でもエルフリーデは焼き菓子をこしらえるのが好きである。
義母はもちろんいい顔をしないが、父によれば彼女はすぐに出かけるということ。
お茶会の時間まではかなり余裕があるし、マリスは基本的にエルフリーデが何をしていようが気にはしないから、手の込んだお菓子は難しいがそれこそクッキーくらいなら十分焼くことできるだろう。
(クッキー! そうよ、私の焼いたクッキーをギイに食べてもらいたい)
エルフリーデはその場にぱっと立ち上がった。
あれこれ考える間もなく部屋を飛び出したエルフリーデは一目散に厨房に向かった――こんな風に思いついてすぐに行動するのが、どれくらいぶりかを考えることもないくらい、彼女は夢中になっていた。
◇◇◇
出来る限りの準備をしてギイを迎えた。
自分の髪色に似合うと思っている薄いライトブルーのドレスを着て、きちんと身繕いをした。絶世の美女ではないが、それなりに見られる姿にはなったと思う。
応接間のローテーブルにはピンク色のカーネーションを飾ったし――さすがに白いカーネーションは場にそぐわないから避けたが――あとで運ばれてくる焼き菓子にはエルフリーデお手製のクッキーも混じっている。
以前よりは上達したけれど、エルフリーデが焼いたクッキーは料理長のこしらえた焼き菓子と並べるとさすがに素人っぽさが否めないが。
(見劣りはしちゃうけど……甘さ控えめに焼いたから、少しでも口に合えばいいな)
味覚はそこまで急激に変わると思えないので、きっと今でもギイは甘いものは苦手だろう、と思っている。
(もし食べてもらえなかったら、うん、後で自分で食べたらいいわ。この趣味はそれがいいいところね)
ふふっとエルフリーデは微笑む。
(ギイに焼き菓子を食べてもらうって約束したもの……もうそんなの、忘れちゃってるだろうけれど。でもいいの、私が……果たしたかっただけ)
これは単なるエルフリーデの自己満足だ。
だが、やはり何年ぶりかにギイとお茶会ができるとなって、どこか彼女は浮足立っていたのである。
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