第6話 「父との話し合い」

 父の部屋に入ると、彼はちらりとエルフリーデに視線を送った。


「そこに座りなさい」

「はい」


 指し示された、父の差し向かいのソファに腰かける。

 

 父との関係は、決して悪いわけではない。

 父なりに、エルフリーデとの関係を保とうと努力してくれているのを感じているし、エルフリーデとしてもそれは同じだ。


 だが父とは”ある事件”から明らかに関係が拗れた。


 再婚してからしばらくして、父がエルフリーデだけを街に連れ出してくれたことがあった。その日だけは、窮屈な義母たちとの暮らしから解放されて、エルフリーデはのびのびと過ごすことができ、唯一の息抜きになった。


 父は、エルフリーデが好きな本や焼き菓子をたくさん買ってくれた。

 何より以前のように父が笑顔なのがエルフリーデの一日を最高に彩ってくれたのである。


 だが夕方帰宅したエルフリーデたちを待っていたのは、義母の冷ややかな眼差しと、つんけんしたマリスで。


『旦那様、エルフリーデだけを街にお連れになったのですか? それは紳士として正しい行いでしょうか。置いていかれたマリスのことをちらりとでもお考えになられましたか?』


 義母の後ろで、マリスがつんと顎をあげる。


『だが君、それは……』


 顔を顰めた父は何かを言いかけ、はっとしたようにエルフリーデを見下ろした。父に取りつくったような笑顔が浮かんだのを見て、エルフリーデはゆっくりと絶望する。


『その話は向こうでしよう――エル、寝る準備をしなさい』


 父と義母が連れ立って歩く背中をエルフリーデは立ったまま見送る。それまで黙っていたマリスが、ふん、と淑女らしくなく鼻を鳴らす。


『あーあ、お二人これから喧嘩しちゃうのかしら。全部お姉様のせいね。ま、どうせそんな事も考えもせず、おねだりばっかりしたんでしょうけど!』


 エルフリーデが抱えている荷物を、忌々しそうに睨みつけてマリスも部屋を出ていく。一人取り残されたエルフリーデは、うなだれるしかない。


(私のせいで……お父様にまで迷惑をかけた……)


 母だけでなく、父まで――。

 その思いは、まだ幼かったエルフリーデを苛んだ。

 

 それからは父がエルフリーデを街に行こうと誘っても、その向こうで義母が目を眇め、ため息をつくと、頷けるわけがない。 

 父が悲しげな表情になるのを見ると胸が張り裂けそうになる。

 だが、エルフリーデにはどうすることもできず、やがて父も娘を街に誘うことは諦めたようだ。

 

 会話は極端に減ってしまったが、父はそれでも娘に寄り添ってくれていたと思う。

 何しろエルフリーデのファーストダンスの相手をギイに決めたのも父である。

 エルフリーデが少しでも気安い相手を、と考えてのことに違いない。

 黙って話をクレモンヌ伯爵と取り決めしてくれていたし、デビュタントの夜会に義母も連れてこなかったのも表向きはマリスの世話があることになっていたが――確かめてはいないが――おそらく父の采配だと思っている。


 だから父には感謝している。


 しているけれど、父が再婚してからはっきりとした距離があいたのは変えられない事実だ。


 今も父は黙ったままで、居心地のあまりよくない空気が部屋を支配している。

 しばらくしてようやく、父がゆっくりと話し始めた。


「お前を呼んだ理由だが……」

「はい」

「ギイ=クレモンヌとの婚約についてだ」


 エルフリーデははっと小さく息を呑む。


(その話はしないと、お義母様には答えていらっしゃったけれど……!?)


 そんなエルフリーデの反応に、父は曖昧に微笑んだ。しばらくなにか考え事をしていた父が、少しだけ口元を引き締める。


「お前はもし私がギイ=クレモンヌと婚約を結ばせない、と言えば、喜んでそれを受け入れるのかな?」


(喜んで……そんなわけない!)


 ギイとの婚約話をもらって嬉しくなかったわけではない。


(でも、私がそうやって思っていることが……お義母様やマリスにバレてしまったら……何が待ってるかわからないもの……)


 感情を押し殺し、反応をうかがわせないようにする。

 そうして、いつしか自分の意見を口にすることができなくなってしまった。

 エルフリーデはスカートをぎゅっと握りしめ、うつむく。


(お父様にでも……なんて言ったらいいのか……お義母様の悪口を私から聞かされたく、ないだろうし……)


 何も答えられずにいると、やがて父がふう、と息をつく。


「当面は、そのままでいこう。いいな?」


 ぱっと父に視線を送ると、彼は今度は微かな笑みを浮かべていた。


「クレモンヌ家に使いを出しておく。数日後、クレモンヌ家での夜会に招待されることになるだろうから、そこでギイにエスコートしてもらうように」


 父が続けた言葉に、エルフリーデはスカートを掴む手に力をいれる。


(数日後なんて、もうすぐじゃない……! そうか、だからお父様は私に確認を……!)


 今まで婚約者がいなかったギイが、エルフリーデを夜会でエスコートする。そのことの意味を周囲の人々が知ることで、様々な反応がもどってくることが予想される。

 そのほとんどが――エルフリーデに否定的なはずだ。


(私がギイにふさわしくないって言われることが多いだろうな――真実だけれど。やがて婚約はマリスのものになるだろうか。でもそれでも……私は……)


 エルフリーデは、静かに心を決めると顔をあげた。


「承知致しました。クレモンヌ様には、我が家に迎えはいらないと言付けてください。夜会でのエスコートだけをお願いできれば、幸いです」

 

 一般的な婚約者同士だと、家まで迎えに行くのがほとんどであるが……これなら最小限のエスコートとなり、“ギイが”恥ずかしくないだろう。


「だがそれでは……」


 そう、それでは婚約があまり上手くいっていないと、例えばどちらかが乗り気ではないと周囲に思われてしまうかもしれない。

 さすがに父も驚いたようで、何かを言いかけたが、やがて諦めたように口を閉ざし、小さく頷いた。


 これが今の、エルフリーデと父の精一杯の会話だった。

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