第5話 「幼馴染との婚約 ⑤」
父と義母の関係はいつも一定の距離があり、母のそれとは全く違った。
それでも母の遠縁でもある関係で昔から知り合いだということ、エルフリーデにふさわしい環境を与えること、色々な事情を鑑みて、お互いに令嬢を連れての子連れ再婚となったという。
確かに義母はとにかく礼儀作法に厳しかった。
ギイと遊ぶことも、義母にとっては“ふしだら”で“ありえないこと”だった。
再婚後はじめて、クレモンヌ家とのお茶会をしたときに真っ先にギイに駆け寄ったエルフリーデの後ろで、義母が大きなため息をついた。
その頃にはすでに、義母の躾けは始まっていて、エルフリーデはぎくりと身体をこわばらせる。
『……エル、どうしたの?』
驚いたようなギイに、エルフリーデが何かを答える前に義母が声をかけた。
『エルフリーデ、こちらにいらっしゃい』
『……はい。ギイ、ちょっとまってて』
『うん、わかった』
少しだけ眉根をしかめたギイに断ってからエルフリーデは、マリスと並んで立っている義母の元へと重い足取りで向かった。
『エルフリーデ、あんな風にクレモンヌ令息に駆け寄ってはならないわ』
『……』
答えられずうつむくエルフリーデ。
義母が小さくため息をつくと、びくっと身体が震える。
『まさかそこまで“出来損ない”とは。ジョセフィーヌのせいね』
エルフリーデはぐっと手を握りしめた。
(また私のせいでお母様のことを……悪く言われちゃった……!)
『貴女の年頃でそこまで言わなくてはならないとは思わなかった。いい、エルフリーデ。今後はいくら小さい頃からの友人であっても令息との遊びは禁止します』
心臓がどくりと嫌な音を立て、エルフリーデは思わずぱっと顔をあげる。
義母はいつものように冷淡な表情で、義理の娘を見据えていた。
『何か言いたいことでも? いいこと、いくら貴女のような年齢でも、挨拶はともかく、令息と肩を並べて遊ぶことははしたないことです――わかったわね?』
(ギイと、会えなくなる……!? 嫌だ……!!)
エリフリーデは一度口を開け、それからどうしても言葉が出ず、閉じた。
(それだけは、嫌だ……、どうしたらいいの、お父様に頼んだら、なんとかなる……? どうしたら、どうしたら……!?)
必死で考えを巡らせているエルフリーデを尻目に、義母がふうっと大きなため息をついた。
その時、エルフリーデの身体は凍ったように固まる。
『何を勘違いしているのか知らないけれど、これはたった今からの決定事項よ。さあ、マリスもあちらにいきましょう? お花をつんでいらっしゃい』
義母がマリスを促すと、義妹はじっとギイを見つめていた。
『……マリスも? マリス、ギイと遊びたいわ。だってギイ、かっこいいもの』
『だめよ。いくらマリスがエルフリーデより年下とはいえ、令息と遊ぶことははしたないことなの。それからここは外よ、自分のことは私と言いなさい』
ぴしゃりと言われ、マリスはそれ以上ごねたりしなかった。エルフリーデはそれからどうやって時間を過ごしたのかほとんど覚えていない。覚えているのは、少し離れた場所からこちらを気遣わしけに眺めているギイの視線だけで――お別れの言葉すらもろくに言わせてもらえなかった。そしてその日を境に、エルフリーデは義母が許した振る舞いしかさせてもらえなくなる。
ギイがいたとしても、形式上の挨拶しか交わさなくなり、そしていつしか彼に会うようなお茶会も一切開かれなくなったのだ。
だからギイとのやり取りはそこで終わってしまった。
それからのエルフリーデの心の支えは、白いカーネーションと、『ジャスティスシリーズ』を読むことだったのだ。
次の再会は数年後――マリスが言った通りのデビュタントの夜会で――エルフリーデのファーストダンスの相手は、ギイだった。
父が頼んだという。
クレモンヌ伯爵も、以前ギイと親しかったことを知っているから、快諾してくれたらしい。
『久しぶりだな、エル』
クレモンヌ伯爵の隣で爽やかにそう言ったギイに、エルフリーデはぽかんとしてしまった。
(だれ……?)
ギイは見目麗しく成長していた。誰もがうっとり見つめるようなそんなハンサムな青年で――幼い頃は同じくらいだったのが嘘のように、二十センチは身長が高い。慌てて自分を見下ろす。細いのだけが取り柄の自分は胸も小さく、女性らしいとはいえない。そして取り立てて美人でもないと自分でも分かっている。
周囲の令嬢たちが、ギイのファーストダンスの相手がエルフリーデと知って、妬むような視線を送ってくる。
『おひさしぶり、です……』
呟くような声しかでない。
ここに義母がいたらため息をつかれるような無作法さだが、幸い彼女はまだデビュタント前のマリスが心配だといって今夜は来ていない。
ギイがさっと眉根をひそめたような気がして、エルフリーデはいたたまれなくて視線を落とす。
『そんな他人行儀に話すんだな』
『――……』
彼女は答えられなかった。だがせめて顔だけは見ようと視線をあげて、ふとギイの喉仏に気づく。それはまさに、エルフリーデがギイと会えない時間の長さを物語っていた。
(もう、私の知ってるギイじゃない……)
きゅうっと胸が痛んだ。
『……では、ダンスをしようか?』
ギイが差し出してくれた手を、エルフリーデはおずおずと握った。手袋越しではあったが、彼の手がごつごつして、男性なのだと実感する。
彼とのファーストダンスは、緊張のあまりぎこちない動きだったがなんとかギイの足を踏まないですんだ。彼のリードも良かったのだと思う。
(一曲だけ、一曲だけなんだから……)
暗号のように念じ続ける。
そしてファーストダンスがようやく終わると、ほっと人知れず安堵の息をつく。
ワルツの輪から出て、向かい合って挨拶をする。
ギイがそこでためらった様子を見せた。
「エル、俺……」
エルフリーデははっとして彼を見上げた。再会して初めて、二人の視線がまともに合う。ギイの翡翠のような瞳が、じっと彼女を見下ろしていて――。
その瞳をみると、彼女の胸が一つ高鳴る。
(ああ、瞳は変わらない……でも……いつから『俺』と言っているのだろう……)
昔は『僕』だったはずだ。
やはり目の前にいるギイは、ギイであって、彼女の知っているギイではない。そこでエルフリーデは挨拶もせずにぼけっと彼を見つめている自分に気づいた。
さっとカーテシーをする。
「ワルツのお相手をありがとうございました。素晴らしいリードのおかげで、忘れがたいファーストダンスにしていただけました」
「――、エル、だから俺は……」
彼がぐしゃっと前髪をかきあげる。
ギイはなにか続けたかったのだろう、けれどその一瞬後には彼はたくさんの子息や令嬢たちに囲まれていた。
エルフリーデは一瞬で輪の外に押し出されてしまう。
クレモンヌ伯爵は顔が広い。だから伯爵はギイをつれて様々なお茶会に参加していたはずだ。顔見知りが多いのも頷ける。
「ギイ、あっちでカードゲームをしようぜ」
「クレモンヌ様、是非私とワルツを――」
「よろしければ私とも――」
「クレモンヌ、嗅ぎ煙草を吸ってみないか」
「ちょ、ちょっとお前たち、待て俺はまだ――」
ギイが焦って何かを言っているが、エルフリーデは自分がいたら邪魔だろうと思い、もう一度その場でカーテシーをして去った。
それからというもの、夜会で会う度にギイは話しかけてくれるようになった。
一言二言会話をすると、しかし他の子息や、令嬢たち――ときにはマリスだって――が、彼に話しかけるから、いつでも中断されてしまう。
エルフリーデは、挨拶を交わせるようになっただけで満足していた。
だって社交界の人気者であるギイと、壁の花である自分では立場が違いすぎる。
その自分が、ギイの――婚約者?
エルフリーデはそこで我に返った。
(いけない、お父様に呼ばれていたんだったわ)
テーブルの上に置いてある珈琲はすっかり冷めている。彼女はそれを飲み干すと、父に会うべく席を立った。
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