第2話 「幼馴染との婚約 ②」

 (えっ……、ギイ……!?)

 

 それはまさに今、脳裏に思い浮かんだ名前だった。

 エルフリーデは父を凝視したが、マリスも義母もぽかんとしている。父だけが嬉しそうな顔で続けた。


「エルフリーデはギイと仲が良かっただろう? 我が家とクレモンヌ家との関係も良好だし、それにギイを婿養子に入れてもいいと言ってくれている。これ以上ない良縁だと思うんだが」


(え、なんですって、ギイが……?)


 父の話す内容があまりにも現実味がなく、頭に入ってこない。

 だがそこで父が返答を求めるかのようにエルフリーデを見たので、反射的にぎくしゃくと頷いた。


「だろう? クレモンヌにも了承の意を伝えようと思っている――」


 上機嫌な父に、横から待ったが入る。


「クレモンヌ家からの申し入れなのですか? しかも、婿養子……ですって?」


 衝撃から立ち直ったらしい義母が静かに口を挟む。


「ああ」

「相手にはエルフリーデを名指しで?」

「いや、名前は出されていなかったが、状況的にはエルフリーデで間違いないかと――」


 名前を出されていない、と父が言った時点で義母が畳み掛けるように言い放つ。


「では、マリスでもいいのでは? ギイ=クレモンヌといえば社交界でも名の通った子息ですから、またとない縁談と言えます」

 

 父は逡巡している様子で、エルフリーデをちらりを見た。


「だがギイとエルは同い年だし、それに幼い頃のこともあるし……」

「貴族の婚約に、年齢やら情は関係ありませんでしょう? それこそ、私たちもそうだったではありませんか」

「……」


 静かに淡々と義母が話せば話すほど、父は黙り込んでしまう。これはいわゆる“いつもの光景”だ。


「マリスのほうがよほどふさわしいのでは? 残念ながら次女ではありますが、それでも私の娘ですし、礼儀作法はきちんと躾けましたからどこに出しても恥ずかしくありません」


 きちんと躾けた、というところでエルフリーデの身体がぴくりと動く。


(お義母様は、ギイとの婚約相手をマリスにしたいのね……)


 義母の思惑はわかりやすい。

 だが必死になるのも当然だろう。

 ギイ=クレモンヌは確かに婚約相手として、望ましい人物だからだ。

 エルフリーデの脳裏に、ごく最近夜会ですれ違ったときのギイの姿がよぎる。


 幼い頃は可愛らしかった彼は、今ではすっかり精悍な容姿を持つ男性へと成長を遂げていた。プラチナブロンドの短めの髪と、輝くばかりの翡翠のような瞳は変わらないけれど。

 頭脳も明晰で、また盤石なクレモンヌ家の次男という出自から、ギイは婚約相手に最もふさわしい子息の一人として社交界でも非常に人気だ。


 対するエルフリーデは、地味な装いばかりで、いつも壁の花に過ぎない。

 不釣り合いだ、と言う義母の気持ちもよく分かる。


「まぁ、その話はまた今度改めて」


 父はさっさと話題を切り上げると、ナプキンで口元を拭うと席を立つ。


「エル、後で私の部屋に来なさい」

「……! わかりました」


 父に呼びつけられることはかなり珍しい。

 エルフリーデが頷くと、義母が被せるように尋ねる。


「それはギイ=クレモンヌとの婚約に関する話ですか?」

「違うよ」


 父が穏やかに否定すると、さすがにそれ以上は食い下がることができず、ようやく義母は口をつぐむ。父に続いて義母も出ていくと、マリスが唇を尖らせて姉を睨んだ。


「なんでよ、いっつもお姉様ばかり! だってお姉様のファーストダンスはギイだったんでしょ!?」

「そうね」


 エルフリーデは静かに答える。


「ってことは、ギイのファーストダンスもお姉様だったんでしょ? ギイにとってみたら今となったら恥としかいいようがないんじゃない。それで、なんですって……婚約まで? 嘘でしょ、ギイとお姉様が……?」


 マリスがぎゃあぎゃあ騒ぎながら立ち上がるのを、エルフリーデは黙って見守っていた。


「絶対に婚約は、私にしてもらいますから!」


 捨て台詞を吐いたマリスがダイニングルームを出ていくと、ようやくそこでエルフリーデは長い息を吐く。


(……ギイ……)


 ぎゅっと固く目をつむると、脳裏に過るのはまだ幼い時分の彼との思い出だ。

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